神戸高塚高校事件は、一九九〇年七月六日、初めての期末試験に遅れてはならないと駆け込んだ一年生の女生徒が教師の閉めた校門に挟まれ亡くなった事件です。
遅刻者には校庭のランニングなどのペナルティを与えるため、「校門指導」として鉄製の門扉を閉じることを校長らが決め、教師に厳格に実行させていました。この事件を通じて、生徒を一人の人間として扱わない「管理主義教育」や「校則」が改めて明らかになり、大きな社会問題になりました。
事件後、労組や市民団体で教育共闘を結成して、改善を求め、毎年行動を継続してきました。また、当時の保護者が子どもの学校の実態を知らなかったことを反省し、「高塚高校事件を考える会」をつくり、事件の裁判では教師一人の責任だけが問われたため、「親の教育権」を求めて提訴し、たたかいました。
校門前の慰霊の集会では、事件当時の生徒の「あの時の記憶が鮮明に蘇る、あの教師一人の責任にしてはならない」とメッセージが読み上げられ、当時の父母、教師、教職員組合、諸団体からも、「事件を風化させてはならない」「学校や教育を変えるたたかいを」との決意も語られました。
〔小林明男〕
(兵庫民報2022年7月24日付)12:30