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平野喜一郎さん |
1 円安が物価騰貴をひきおこした
食料品を中心とした、すさまじい物価高騰の原因は何か? それは何よりも低金利による円安です。六月十三日には、一時百三十五円二十銭の円安になりました。
異常な円安の原因は何か? もちろん、コロナ禍で国際的な供給網が分断されたこと、「プーチン禍」で穀物や原油などの価格が急騰したことなどの影響も大きいのです。だが、最近の物価高騰の原因はなによりも円安による輸入品の高騰によるものです。他方、アメリカの中央銀行であるFRBは金融引き締めの方向へ舵を切りました。ゼロ金利政策を解除し、政策金利水準(誘導目標)の〇・五ポイント大幅利上を発表しました。さらに十六日には〇・七五ポイント引き上げを決めたのです。欧州の中央銀行ECBも量的緩和の縮小をしました。
一方で、日本の低金利維持、他方で、アメリカの大幅金利引き上げが、円売り・ドル買いを引き起こしたのです。金利の高い方に金が流れるのは当然のことです。お金は金利の高い国で運用する方が有利だからです。
円安の現状はすさまじいものです。二カ月前、一ドル=百十四円でしたが、いま百三十円台です。かつて一ドル=百円時代がつづいていましたし、二〇一一年には一ドル=七十五円三十二銭という、円高の戦後最高値をつけたような時代もあったのです。その頃、金利が高く、一九八〇年前半は実質金利が五%以上でした。定期預金すれば十年でほぼ倍になりました。いま一千万円を預けても年百円です。タンス預金が増えるのは当然です。
2 物価高騰の主犯は安倍と黒田
責任は何より第二次安倍内閣(二〇一二年十二月発足)のアベノミクスと、それを忠実に実行した黒田日銀総裁の金融政策でした。黒田の「金融の異次元緩和」こそアベノミクスの柱だったのです。二〇一三年、安倍は看板政策として「三本の矢」をかかげました。その第一の矢は「大胆な金融政策」つまり大幅な金融緩和、低金利でした。「異次元緩和」とは量的・質的な緩和であり、過去最大の二倍となるお金を増やすことです。安倍は「輪転機をまわして紙幣をどんどん印刷すればよい」といいました。当時、「紙幣じゃぶじゃぶ」といわれたものです。二〇一四年の第二次金融緩和では出回っているお金の量を八十兆円にふやす、といい、二〇一六年の第三次金融緩和ではマイナス金利が実施されました。円の値うちが下がるのは当然のことです。
アベノミクスは貨幣の減価によってインフレになり景気が良くなるというのです。これは全くまちがっています。原因と結果の取り違えで、正しくは、景気が好いと物がよく売れその結果インフレになるのです。だが「インフレになれば景気がよくなる」と原因と結果を逆転したアベノミクスは、二%の物価高騰を目標にしたのです。
二%の物価目標(インフレ・ターゲット)に当時の白川日銀総裁は反対しました。「物価の番人」である日銀が反対するのは当然のことでした。ところが後わずかの任期を残して白川氏をクビにし黒田氏を後に据えました。オセロゲームのように白を黒にかえたのです。白川総裁から「異次元緩和」の黒田総裁へ変わる事で、日銀は物価の番人から物価の破壊者になりました。
3 過ちを改めない安倍と黒田
今、超低金利によって物価高騰という悪い結果がでたのに、黒田は過ちをみとめず、超低金利の金融緩和政策を続行しようとします。先月の日銀経済政策決定会議は「短期金利をマイナス〇・一%、長期金利を〇%程度に誘導する大規模な金融緩和政策を維持」を決定しました。黒田は二%の物価目標の実現が重要だ、と発言しました。物価の番人がさらに物価を壊しているのです! そして、日銀法では日銀の独立性がいわれているにもかかわらず、安倍は日銀を政府の子会社だと発言しました。
安倍と黒田の低金利政策は裏目にでています。低金利は地方銀行を直撃しました。低金利だから金が株式に向かうと株高を期待したが株は上がっていません。
円安によって輸出産業が儲かるといいますが、今日では現地生産が進み、円安のメリットは、トヨタなどをべつにすれば期待されたほど大きくないのです。トヨタのような輸出産業は多国籍企業化し、円安によって巧妙にもうけを大きくしていますが、原料を海外に頼る中小企業は輸入原料の高騰で苦しくなっています。
4 貨幣の減価は資本主義を覆すというケインズの見解
黒田がすすめているのは円という貨幣の減価です。円という通貨の減価は困ると思うのは健全な常識から言っても当然のことです。海外旅行の際に、今まで、一ドルを得るのに百円払えばよかったのに、今、百三十円出さなければならないのですから。
貨幣の減価を通貨の堕落と考える経済学者ケインズが次の様に書いています。
「レーニンは、資本主義を破壊する最善の方法は、通貨を堕落させることだといったといわれる。レーニンは正しかった。現代の社会の基礎を覆すのに、通貨を減価させるほど巧妙で確実な方法はない」(「平和の経済的帰結」一九一九年)
この点でケインズは正しかったのです。貨幣は資本の基礎です。通貨を減価=堕落させれば、貨幣の上になりたつ資本主義も危うくなる、というのは容易に理解できます。
たしかにケインズは資本家階級の立場に立っていました。「貨幣改革論」(一九二三年)で、ケインズは資本主義を三階級から構成される社会として把握していました。①投資家階級、②企業家階級、③労働者階級―からなる階級社会と把握したのです。自分は労働者階級の立場には立たない、企業家階級の立場に立つ、一方で、投資家階級、つまり利子生活者には安楽往生を期待する、つまり、消えてもらいますといっているのです。そのケインズが、通貨を減価堕落させれば資本主義が危うくなるよ、と言っているのです。
一九三〇年代から一九六〇年代はケインズ経済学の時代でした。自由放任の資本主義では大恐慌になった、国家によって管理されるべきだと時代が要請したのです。
一九二九年にはじまる大恐慌で、三〇年代初期アメリカ資本主義は破壊され、アメリカは死んだといわれました。そこにルーズベルトが登場し、ニューディール政策を掲げました。直接にケインズを採用したのではないけれども、アメリカのニューディール政策もケインズと同じ方向をめざしていました。
5 新自由主義
一九七〇年代には反ケインズ主義が台頭しました。サッチャー主義、レーガノミクスの新自由主義です。新自由主義という名前は自由放任主義と言い換えた方がよく内容をあらわしています。
日本には少し遅れて九〇年代に新自由主義が動き始めました。小泉の郵政民営化がそのシンボルでした。推進者は小泉内閣のブレイン竹中平蔵氏(現在人材派遣会社会長)でした。最悪の「自由化」は雇用の「自由化」であり、それまで労働者を護ってきた労働法が改悪され、労働者の四割が非正規社員になったのです。そのため、この三十数年、何より賃金が上がらなかったのです。また成果主義になったので、すぐれた技術者は海外へ流失していきました。新自由主義は日本の大企業をも弱くしたのです。トヨタ以外の日本企業は「トップ50」から転落しました。自動車以外に海外に打って出るすぐれた商品がなくなったのです。
6 輸出超過が国富を生むというのは二百五十年前に否定された謬論である
黒川日銀総裁らの、円安で輸出が増え、その結果国が富むという考えは、十七、十八世紀の重商主義の考えたことであって、すでに否定された説です。
重商主義は、十七世紀、絶対主義の経済政策として提唱されました。総貿易差額を輸出超過(出超)にすれば、英仏などの絶対主義国が豊かになるという経済政策です。これに反対したのがアダム・スミスです。
アダム・スミスは、国富が貿易差額によって生ずるとする重商主義に全面的に反対しました。『国富論』全編にわたって諸国民の富は労働者の労働によって生み出されることを明らかにしました。重商主義こそスミスの敵だったのです。
おわりに
黒田総裁は六月六日の講演で「家計の値上げ許容度は高まっている」と発言し、国民の批判が集中しました。「値上げは受け入れていません」「もういっぺん言ってみろ」「日銀総裁不適格なことは明らか」と怒りの声がまきおこりました。彼は謝罪し、撤回したもののなお批判が続きました。
岸田首相のいう「新しい資本主義」は、黒田総裁のインフレ期待説と、その背後にあるアベノミクス、さらにその源流である新自由主義を批判も否定もしていません。間違いが証明済みの過去の説を批判し、否定してこそ真に新しい資本主義といえるでしょう。過去の誤謬を否定しないのならば、当面の物価値上げの主犯は岸田内閣といえるでしょう。
(三重大学名誉教授・経済学)
(兵庫民報2022年7月3日付)11:00