觜本 格(かがく教育研究所)
芦屋から六甲山地を横断して有馬温泉に抜ける芦有ドライブウェイ。車は芦屋川に沿って、何度もヘアピンカーブを繰り返しながら、急傾斜の山道を登る。芦屋川の侵食力の大きさを物語る急崖には花こう岩が露出した岩場が各所で見られる。左へ行けば芦屋ゴルフ場、右は有馬・宝塚の分岐点を右に行ってしばらくすると一気に風景が変わる。広い敷地の豪邸や別荘が立ち並ぶ住宅地である。標高が五百㍍~五百五十㍍の平坦面が広がっている。この平坦面は「芦屋奥池面」と呼ばれている。芦屋市の水源となっている奥池貯水池があり、奥池町と奥池南町の住宅地、芦屋ゴルフ場がある。
甲山のある北山面は標高二百㍍前後で百万年前に海に覆われた場所だった。ではそれより三百㍍以上も高い芦屋奥池面はいつできたのだろう。この場所でも大阪層群が分布している。正確な年代は不明だが、大阪層群中部亜層群と上部亜層群にあたる地層で百万年よりも新しい地層と推定される。ここは百万年前には海は入ってこなかったが、池や湖のある平野部だった。芦屋奥池面は六甲山地の真ん中を貫く五助橋断層で北側を区切られている。
芦有ドライブウェイを進むと六百五十四㍍地点に東六甲展望台がある。ここからは芦屋奥池面のようすがよくわかる。北山面も大阪平野から生駒山までの眺望を見ることができる。さらに車は六甲山頂へと向かう。
山頂付近の隆起準平原
六甲山地の最高峰は六甲山九百三十一㍍である。その西に観光施設や山荘の立ち並ぶ六甲山町がある。起伏はあるが、なだらかな平坦面を利用して六甲山ゴルフ場や六甲牧場、高山植物園、人工スキー場などがつくられていて、市民や観光客に親しまれている。六甲山地を縦断するように走る六甲ドライブウェイはこの平坦面を走っている。標高八百㍍前後にあるこの平坦面を「六甲山頂面」と呼んでいる。
山頂は山地が隆起して高くなる過程で削られていく場所だから、平らな面がここで形成されたはずはない。六甲山地が隆起を始めていなかった二百万年より前に、海に近い位置に広がっていたであろう「準平原」(丘陵)が持ち上げられたと考えられる。隆起量が侵食量を上回り、山が成長して谷は深く切れ込むことになるが、準平原はほとんどその地形を残して山頂付近に残った。「隆起準平原」と呼ばれている。六甲山地の隆起の激しさと新しさを物語っている。
六甲の階段状地形をつくった断層活動
六甲山地はいくつかの起伏の小さな平坦面とその間をつなぐ急斜面の組み合わせによって階段状になっていることが分かる。八百㍍級の六甲山頂面、五百㍍級の芦屋奥池面、二百㍍級の北山面がある。さらに百㍍級の上ヶ原面がある。そして現在の川原や海岸に近い沖積平野を含めて、五段の階段である。高い面ほど古い歴史を持っている。六甲山地の形成の歴史を記録している。
それぞれの階段の登り口には断層が走っている。甲陽断層・芦屋断層・五助橋断層などだ。どの断層も地形や地質にその活動を明瞭に残している活断層である。これらの活断層が動くことによって、六甲山地は高くなってきた。北山面や芦屋奥池面の地層の年代から考えると、百万年前から六甲山地は隆起を始めたと考えるのが妥当だろう。
百万年で約千㍍の山地に成長したのだから、一年で一㍉㍍の動きとなる。六甲山地は毎年一㍉㍍ずつ高くなっているのだろうか。
断層が動くと地震が起こる。そして山は高くなる。大きな圧縮力でひずみ、ストレスをためた岩盤が耐え切れなくなって破壊される。それが地震であり、破壊されたところが断層である。六甲山地はふだんは「耐えている」が、耐え切れなくなったら断層が動いて高くなる。大雑把に言えば、千年に一度、千回の地震を起こして約千㍍の山地になってきたのが六甲山地だといえる。兵庫県南部地震はそのような六甲変動の一コマだった。
地下に隠れていた断層
一九九五年兵庫県南部地震以降、神戸と阪神間の市街地の地下の地層が詳しく調べられた。今まで分からなかったことや不確かだったことが明らかになってきた。その一つが平野の地下に大断層が隠れていたことである。地表の地形には表れないが、地下で基盤岩である花こう岩が大きく変位し、その上に重なる大阪層群の地層がたわむように曲がっている。西宮断層、岡本断層、王子断層、大倉山断層、和田岬断層、大阪湾断層など今まで知られていなかった断層(伏在活断層)の存在が明らかになった。それらの断層の変位が数百㍍にもなることも分かった。六甲山地の歴史階段はもう三段ほど増えた。
(元神戸市立中学校理科教員・元神戸親和女子大学教授)
芦屋から奥池・六甲山頂へのルート
六甲山地の階段地形(藤田和夫・佐野正人〔2000〕を参考に改変)
(兵庫民報2021年10月3日付)14:30