近畿オンライン演説会

3.20日本共産党近畿オンライン演説会:録画公開中



3月20日に行われた日本共産党近畿オンライン演説会の録画がYouTubeで公開されています。上の画像をクリックすると視聴できます。

2021年4月4日日曜日

民主主義の日本めざして――「川崎・三菱大争議」100年:第十三回 川崎・三菱大争議の影響で農民運動も高揚

乾 信行(元兵庫県農民運動連合会事務局長)

川崎・三菱大争議は、兵庫県の重い小作料に苦しむ農民に影響を与え、一九二一年の小作争議件数は四百十件で全国一。愛知二百七十八件、大阪二百四十二件等に比しても、農民運動は高揚した。
一九二二年四月九日、賀川豊彦らの呼びかけで、全国各地の小作団体が糾合され、日本農民組合(略称「日農」)が神戸YMCA会館で創立大会を行う。一九二三年東播連合会、一九二四年に長尾有の指導で淡路連合会、一九二五年西播連合会が結成された。
当時の兵庫県の農民組合は、加古、印南を中心にした東播連合会(七~八支部、三~四千戸)、三原、津名にわたる淡路連合会(二十支部、約八百戸)、宍粟郡の西播連合会(十七~十八支部、七百~九百戸)、武庫、川辺、尼崎(四~五支部、百~百五十戸)の四地域に組織され、組合員総数は多い時で六千名に達した。
いち早く東播連合会が結成されたのは、日毛、鐘紡、三菱製紙など大工場地帯が近く、賃上げ闘争や労働者の解雇反対運動などの影響が農村に波及したこと、川崎造船で解雇された行政長蔵のように、労働運動家が農民運動の指導者として役割を果たしたこと、飾磨郡、神崎郡は水平社運動の中心的地域であったなどが背景にあった。
高砂市中島村では、関西筆頭の大地主伊藤長次郎の小作人が、高率小作料に苦しんでいた。凶作だった一九二一年、「日農」創立を知り、賀川豊彦に相談。兵庫県最初の日農支部ができ、小作料引き下げ闘争で官憲との激しい闘いで、成功的に和解となる。
加古川市八幡宗佐村、印南郡志方村でも「日農」の指導で、小作料引き下げの闘いが展開された。志方村では、地主の小作地立ち入り禁止の攻撃に、牛の鞍に赤い旗を立て、女性は赤手ぬぐいをかぶり赤タスキで共同田植えを行い、跳ね返した。
淡路では、地主の強い支配力で全国でもまれな裏作麦の現物小作料制度があり、淡路での闘いは「農民運動のメッカ」といわれるほど果敢な運動が展開された。
津名郡鳥飼村の日農支部では、小作料永久三割減免、麦小作料撤廃の要求を地主に突きつけ小作料を引き下げさせ、この勝利を受け、全淡路に農民運動が広がり組合が生まれた。
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その力には、歯科医で日農淡路連合会委員長の長尾有の献身的な奮闘があり、一九二七年の兵庫県会議員選挙(三原郡・定数二)では、労働農民党から立候補、得票率三〇・八%で当選し、政治的にも大きな前進が生まれた。

 

長尾有
――田村昭治(元淡路文化史料館長)著『ここに人あり 淡路人物誌』によれば、長尾は戦後、一九五二年十一月より神戸協同診療所に歯科医として勤務、七四年死去直前まで市民が安心して医療をうけるための医療生協運動に尽くした。

(兵庫民報2021年4月4日付)