2021年1月10日日曜日

なんだろうと掘り出した須恵器:五十年が過ぎ、古墳が発見された

昨年、宍粟市山崎町金谷地区で新たに二基の古墳が発見されました。そのひとつ金谷4号墳の場所で五十年前に須恵器を発見した山下英男(宍粟市山崎町在住)のお手紙を紹介します。

私が住んでいる宍粟市山崎町金谷地区には数多くの古墳が点在しています。
今回、古墳だとわかったのは、こんもりと山のようになっているなあと、私が子どもの時から思っていたところでした。しばしば遊びに行ったからよく覚えています。
私が高校一年生、一九七一年――十月ころだったと思います――たまたま散歩がてらに、今回のその場所に行きました。道を広くするために側面が削られていました。
その削られたところに土器のようなものが少しだけ見えていました。何だろうと思って掘り出してみると、後で分かったのですが、須恵器だったのです。
地区には「金谷古墳を守る会」があり、その会の代表者でもあり、考古学に詳しい方にその土器を預けました。
それからなんと五十年が過ぎました。
ため池工事の作業道路設置のためにその場所の掘削が計画されました。五十年前に須恵器が見つかっている場所でもあることから「金谷古墳を守る会」が調査を要望。宍粟市教育委員会、県の方々の協力もあって、石室が発掘されました。市教委によると七世紀ごろの円墳であるということでした。
金谷地域は山崎町南部の水田地帯にあり、『播磨風土記』には「比治里(ひじのさと)」と記されています。この地域を治めた山部氏一族の墓とみられる古墳が点在しています。
今回、地元住民対象の説明会がありましたが、まさか、五十年前に私が須恵器を発見したことが、今回の古墳発見につながるとは思いませんでした。
古墳は石組みが崩れないように埋め戻されています。

参考記事
この古墳発見については昨年十一月六日付「神戸新聞」に記事があります。