2021年1月10日日曜日

新連載:民主主義の日本めざして:「川崎・三菱大争議」100年

ことし2021年は「川崎・三菱大争議」から百年。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟兵庫県本部の協力でその意義について考える連載を始めます。


第一回 プロローグ(1)一九二〇年代

治安維持法犠牲者の闘いと抵抗の歴史の源流は神戸に――一九二一年「川崎・三菱大争議」の歴史的意義

岡 正信(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟兵庫県本部会長)

今から百年前、第一次世界大戦後の恐慌の中、一九二一年に神戸で戦前の日本労働運動史上最大の闘争が起こった。「川崎・三菱大争議」である。
一九一八年の米騒動後、労働運動が急速に発展し、一九二〇年には日本最初のメーデーが東京で開催され、翌二一年には神戸でも開催された。大戦後の恐慌により、造船業をはじめ各産業とも大量解雇や操業短縮、なし崩しの賃下げ攻撃が労働者に加えられた。
神戸では、労働組合の承認、団交権、八時間労働制、賃上げなどの要求を掲げ、川崎造船所、三菱造船所を中心に全市的闘争に広がり、七月十日には三万六千人あまりの大デモ行進が行われるまでに発展。川崎争議団が労働者の「工場管理権」を要求に掲げると、姫路第十師団をはじめ軍隊、憲兵隊などが弾圧にのりだし、この闘争は鎮圧された。
『兵庫県労働運動史』(兵庫県労働運動史編さん委員会編、一九六一年、兵庫県商工労働部労政課刊)では、「日本労働運動のメッカ」「現代日本の労働運動への貴重なみちびきの光」(兵庫知事・阪本勝)、「戦前、神戸は日本労働運動の発祥地」「川崎・三菱大争議での総意的闘争」(同編さん専門委員会委員長・森脇甚一)として高く評価した。そして「(この闘争で)職場を奪われた多数の活動家による全国各地での労働農民運動の『一粒の麦』としての活動」の「当時の運動全体に与えた計り知れない影響」を指摘している。
事実、県下各地で労働争議、小作争議が多発し、一九二二年四月九日に「日本農民組合」が神戸で結成され、兵庫では淡路、東播、西播を中心に六千人を組織。同年五月十一日には女性解放をめざす最初の婦人団体「新婦人協会」神戸支部が全国初の女性政談演説会を開催。同年三月に京都で全国水平社が創立大会を開き、十一月に兵庫区専称(勝)寺でその兵庫県連合会が創立大会を開催し、六千人を組織。一九二五年には史上初の階級的労働組合である日本労働組合評議会が神戸で創設された。国民の闘いの高揚の中、一九二二年七月十五日に日本共産党が創立。兵庫では二六年に神戸細胞(支部)が結成された。これに対し、戦前の絶対主義的天皇制という軍国主義的独裁政治のもっとも凶暴な武器「治安維持法」が施行されたのは一九二五年。一九四五年の敗戦によって廃止されるまでの二十年間に国内で検挙・投獄・獄死した者は治安維持法国賠同盟の調査によると数十万人に達した。
「治安維持法体制」のもと、国民を無謀で壊滅的な侵略戦争に引き込み、暗黒政治へと突き進んでいった。
(続く) 

写真:『労働争議示威行動写真絵葉書』(川崎三菱大争議五十周年記念実行委員会、一九七一年復刻) から

(兵庫民報2021年1月10日付)