終戦七十五年の年末に伝統ある市民集会・デモ行進が行われます。ことし六十回目となる「神戸港平和のためのクリスマス闘争市民集会」(23日18時、波止場町緑地)です。
〔梶本修史=兵庫県原水協事務局長〕
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神戸港は、戦後すぐに米軍(連合軍)の全面占領のもとにおかれます。日本有数の港湾機能を持ち、川崎、三菱など日本最大の軍需工場地帯でもあったからです。以来、一九七四年に神戸市に全面返還されるまでの間、米軍の補給・休養基地として重要な役割を果たしました。
第四突堤には米軍基地司令部が置かれ、港の各出入口には米兵MP(*1)と日本人SP(*2)が立哨し、厳重な検問が行われました。一九五二年には、第六突堤(以下「6突」)を除いて条件付きで返還されましたが、金網で囲まれた「日本人立入禁止」の表示が掲げられ、米第七艦隊の補給・輸送・休養・慰安の基地とされました。
〔梶本修史=兵庫県原水協事務局長〕
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神戸港は、戦後すぐに米軍(連合軍)の全面占領のもとにおかれます。日本有数の港湾機能を持ち、川崎、三菱など日本最大の軍需工場地帯でもあったからです。以来、一九七四年に神戸市に全面返還されるまでの間、米軍の補給・休養基地として重要な役割を果たしました。
第四突堤には米軍基地司令部が置かれ、港の各出入口には米兵MP(*1)と日本人SP(*2)が立哨し、厳重な検問が行われました。一九五二年には、第六突堤(以下「6突」)を除いて条件付きで返還されましたが、金網で囲まれた「日本人立入禁止」の表示が掲げられ、米第七艦隊の補給・輸送・休養・慰安の基地とされました。
神戸港は、当時、極東における最も設備が整った戦闘・補給基地として、また、歓楽街を控えた慰安基地として、あらゆる点で第七艦隊のアジアにおける重要な位置を与えられていたのです。
朝鮮戦争時(一九五〇年勃発、五三年休戦)には、連日、武器、弾薬、食糧などあらゆる物資とともに米兵も積み出されました。港湾労働者は、カービン銃をかまえた米兵監視下で、冷凍された米兵の遺体、肉片が付着したままの戦車、不発弾などの荷役に昼夜かまわず強制的に駆り出されました。
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その後も神戸港には、一九五七年=三百十一隻、五八年=百十八隻、五九年=百十隻、六〇年=百三十隻、六一年=九十八隻とほぼ年中、米軍艦が停泊している状況でした。世界でも有数の国際商業港でもあった神戸港が商業船で込み合っていても、6突の占用使用、他の突堤も優先使用が認められており港湾の麻痺状態に拍車をかけていました。
商業船の航行妨害、ハシケへの当て逃げなど海の事故に加えて、大型空母入出港時には艦載機のエンジン始動による騒音、陸では、米兵たちが我が物顔で闊歩し、非行、買春、市民への暴行、街なかでの発砲事件など、市民生活に重大な影響、不安を与えていました。検疫がフリーパスだったため、麻薬や武器が神戸市内の暴力団に横流しされたり、コレラ感染さえも起こりました。
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一九五九年、神戸港湾関係労組共闘会議(港湾共闘)が結成され、港の労働者の権利と生活を守る闘いと合わせて、「第七艦隊は来るな」「6突米軍基地返せ」の要求を掲げました。
宣伝ビラ、米兵向け英文ビラ(「国の両親のもとで静かなクリスマスを」などの訴え)、英語でのマイク宣伝、市民アンケート、市民署名、基地調査、海上デモ、米艦入港のたびの抗議集会、集会届け出が間に合わない時にはひとり一人がプラカードを持って訴える「ブラブラ抗議デモ」、神戸市交渉などあらゆる形態の闘いが繰り広げられました。
一九六一年十月、全港湾建設局労組神戸港支部が、6突の米軍基地入口前の事務所の塀に「No More War, Yankee Go Home!」の看板を立てました。出入りする米兵に七回にわたり破壊されましたが、その度に立て替え、文言も「Get Out The 7th Fleet From Japan, Asia」とかわり、十メートルもの大看板に生まれ変わりました。
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一九六一年十二月二十四日、一年間の闘いの総決算と翌年への発展をめざす場として、「神戸港平和のためのクリスマス闘争市民集会」(クリスマス闘争)が始められました。
毎年クリスマスには、米艦が米兵の慰安と休養のために入港し、三宮、元町界隈はたくさんの酔っぱらった米兵であふれました。この年のクリスマスイブに、「米兵のいない静かなクリスマスを!」との市民の切実な願いを込めたスローガンで始まった年末の集会・デモは「クリスマス闘争」と呼ばれ、その時々の平和と暮らしの要求と結んで取り組まれてきました。
翌一九六二年には、五千人の参加で集会がもたれ、米艦のいない、静かなクリスマスが初めて実現しました。その後も米艦の神戸港利用は続きましたが、クリスマスの入港は皆無となりました。
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こうした闘いで一九七四年には神戸港からすべての米軍基地が撤去され、翌七五年の非核「神戸方式」誕生へとつながったのです。
非核「神戸方式」四十五周年の年に、第六十回の節目を迎えた「クリスマス闘争」の伝統は、核兵器禁止条約発効(二〇二一年一月二十二日)の年の闘いにしっかり継承されることでしょう。
―注――
*1 Minitary Police=憲兵、軍警察。
*2 Shore Patrole=(米海軍)警備兵。
*3 「兵庫民報」は六三年創刊。六一年の最初のクリスマス闘争や六二年の大集会の記事は残念ながらありません。
第60回神戸港平和のためのクリスマス闘争市民集会
12月23日夕方、波止場町緑地(農業会館南・国道2号線浜側)で集会が行われました。その後、元町商店街までデモで訴えました。主催は実行委員会(事務局:神戸港湾関係労働組合共闘会議)。日本共産党の、こむら潤さんも参加しました。(兵庫民報2020年12月20日付)