2020年10月18日日曜日

大門みきし「さよならミョンソン」

連載エッセイ55


私の初恋の人はミョンソンという名前の美しくて聡明な在日コリアンの女の子でした。京都の小学校の五年生の時、道で自転車を直してあげたのがきっかけで仲良くなり、ミョンソンの家にもよく遊びに行きました。こわいハラボジ(おじいさん)がおられて、「なんでおまえらは朝鮮の子をいじめる。日本人の祖先は大陸から渡ってきた。元をただせば、みな兄弟やないか」と毎回、説教されました。オモニ(お母さん)は美味しい玉子雑炊を作ってくれる優しい方でした。
その後ミョンソンは朝鮮中学校に進み、私と会ってくれなくなりました。
それからほぼ半世紀後。二〇一五年の大阪都構想の住民投票の際、住吉区で地元の方々と反対の宣伝活動をしている姿をフェイスブックに投稿したら、ミョンソンからメッセージが届きました。「大門君、お久しぶりです。今は大阪の生野区で、娘と孫と暮らしています。都構想反対です。大阪市にはとてもお世話になったんです」と。また私のカジノ追及の国会中継を見て、「カジノはいやです。大門君の正義感は小学生の時と少しも変わらへん。だから共産党なんやね」とメッセージをくれました。
いつか会いたいと思っていたのですが、先日、京都の友人から今年の春に病気で亡くなったと聞きました。会っておけばよかった。なぜ中学生になったら離れていったのか、大阪市にお世話になった話も聞きたかった。色んな苦労があったんやね。さよならミョンソン、安らかに。
(日本共産党参院議員)

(兵庫民報2020年10月18日付)