2020年7月26日日曜日

こくた恵二「コロナ禍のなかで想う」

連載エッセイ4

神戸と京都は、パンの消費量一、二位を争うまちである。
ところで、私の住む京都は、もう一つ「日常の暮らしの中に和菓子がある」というまちでもある。祇園祭の宵山十六日には、この日一日限りの「行者餅」がある。菓子司の柏屋光貞さんの作。文化三年(一八〇六年)京の都に大疫病が流行した際に、当時の柏屋さんが、聖護院門跡の山伏として、奈良大峰山で修行中お告げを授かり、それをもとに祇園祭の「役行者山」にお供えとしてつくり、人々におすそ分けしたところ疫病から免れたという故事に従ってつくられたもので、無病息災の霊菓と言われる。
季節にいわれのある菓子を食べて先人を思いやり、季節を愛でる。これは私にとって慣わしの一つ。四月に桜餅、五月は柏餅、六月には「夏越の大祓い」で茅の輪をくぐり「水無月」を食し、土用の丑の日は「あんころ」を食す。秋はどの店の月見団子を所望しようか。「和菓子屋の回し者」と冷やかされるかもしれないが、私は存外真面目にその効用を信じている。
「土用の丑の日に鰻」との教え、夏になると鱧が食べたくなるのも、つくられたものかもしれない。しかし、四季折々、季節の節目を通じて、生活の変化とありように備えていくのもこれまた楽し。
経済効率最優先、公の私物化、「自己責任」の大流行り。新自由主義の下、ケアや医療などあらゆるところから「余裕」を失わせている。ここらで脱却し、菓子の風習も愛でる心の余裕も必要では。
(日本共産党衆院議員)

(兵庫民報2020年7月26日付)