スッキリ勝訴と、気になる訴訟指揮と…
副島圀義
一月二十二日は大阪地裁第二民事部で弁論、二十三日は第七民事部でお一人について判決、二十五日は同部での弁論、と続きました。二十三日の判決と二十二日の弁論をレポートします。
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報告集会で挨拶する宮本さん夫妻と小瀧弁護士 |
二十三日、宮本義光さんが勝利判決を受け取りました。
長崎で爆心地から一・八キロメートルで被爆し翌日爆心地近くを通って避難、一週間近く重傷の被爆者とも一緒に生活。労作性狭心症で認定申請したが国は喫煙や飲酒が原因だとして却下。宮本さんの提訴後も、国側はもっぱら「他の原因での発病」に固執しています。
しかし判決は「国の審査方針は、放射線被ばくの影響を過小評価している疑いが強い」「心臓疾患と放射線被ばくの関係は一般的に肯定できる」「喫煙など他の原因があったとしても、被爆の影響まで否定されるものではなく、あいまって発病に寄与したと考えるのが自然で合理的だ」と、司法判断と科学的知見の到達点にたった、明快・スッキリしたものでした。
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二十二日に地裁第二民事部で、提訴後に死去された森野義法さんの裁判を承継されたご子息・良次さんが証言しました。
―森野さんは原爆投下時、因島の日立造船在職中、召集令状をうけて入隊準備中。八月十日、広島の陸軍部隊で療養中だった兄の安否を尋ねて被爆地を探し回る。いったん帰宅し十六日に入営(広島)したが、翌日召集解除。戦後は健康状態がよくないことが続いたが、被爆者健康手帳の取得は被爆から五十九年後、悪性リンパ腫で手術を受けてからだった。
因島から一緒に入営した友人が見舞いに来てくれ、証人になってくれたので「十六日の入市」と手帳には記載。――
国は「十六日入市なら、発病するほどの放射線はすでにない」と決めつけてきたのですが、この日の証言で「十日の入市」が否定しきれないと見たのか、今度は「十日の昼からではないか、夕方ではないか」とくどくど聞きました。
国の「認定審査の方針」には「入市が原爆投下後約百時間以内」という字句があるので、「十日の昼以後なら切り捨てられる」という戦術に出たのでしょう。
気になるのは裁判官も「十日の何時に入市したか」に注目している様子があることです。
しかし国の「方針」でも「約百時間以内」は「積極的に認定する範囲」です。これらに該当しない場合でも「被ばく線量、既往歴、環境因子、生活歴等を総合的に判断」としています。
七十三年前、原爆投下直後の船や鉄道の運行時刻を調べるなど「重箱の隅をつつく」ようなことでなく、被爆の実相に謙虚に向き合ってもらわねば、と思わされたことでした。
(兵庫民報2018年2月4日付)