挑戦の機会逃すはわが意にあらず――無数の支援で当選果たす
四年前、次男が立候補して十二票差で及ばず、今回も彼をと考えて準備したが、生活の問題で神戸に転出。長男の無農薬・有機栽培認証の田圃も、私も頑張って少し明るい兆しが見えてきたが、農業収入の大半を占める桃が病気で大赤字に。そんな中、加東市では共産党らしい活動がほとんどないままに時間だけが過ぎ、告示まで一カ月、ついに私が六十九歳で立候補を決意し、短期の選挙戦で無数の支援を得て当選することができた。
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二十歳の誕生日に日本共産党の一員となり、神戸中央郵便局で労働組合運動にも参加、途中で全逓労組から執行権停止で役員から外されながらも、夜間交代勤務の職場で党員も読者も増やしながら、保育所父母の会・学童保育所づくりと運動にも夫婦で頑張ってきた。
一九八九年に郵産労を結成し、予定より少数で苦労したが、一九九五年の阪神・淡路大震災以来、理屈から要求実現の労組に成長し、郵政民営化反対の運動では県下にアンケートを配りに行くなど奮闘してきた。
郵政民営化後一年半で退職を迎えるので、郵産労兵庫県協議会議長の最後の仕事にと、事務室のない支部と県協議会の組合事務室の獲得に全力を挙げ、ほぼ実現した。
再雇用試験は形式的な面接だと聞いていたのに、私も含め組合員十五人が受験し十三人が不採用と、余りにひどい差別の是正を求め手を尽くしたが解決せず、最終的に裁判での金銭和解となった。
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一方、八年間、党議席が空白だった加東市は、国の方針そのままに福祉の切り捨てと公共施設「適正化」をすすめ、東条地域では十三施設の統廃合と小・中一貫校設置がすすめられている。
加東市の中心産業である農業の後継者不足は深刻で、広大な農村地域を維持・発展させるためには、何より後継者が食べていけるだけの所得と価格の保障が基本になるが、荒れ地を作らないため、退職者で時間のある人たちとの共働きのシステム化で地域を活性化していきたい。
(兵庫民報2018年11月18日付)