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2018年9月9日日曜日

鳴尾地域の集いに100余人

平和を願う地域住民の集い実行委員会 柳沢 尚


七十三年前、昭和二十年、十五年続いたアジア太平洋戦争終戦の年、当時の鳴尾村(編注=鳴尾、甲子園など現在の西宮市南東部)は米軍機B29による八回もの空襲をうけました。
とりわけ八月五日深夜から六日未明にかけてB29が百三十機も飛来し次から次へと焼夷弾が落とされました。人々は逃げまどい、一晩で鳴尾村は壊滅的な被害を受けました。広島に原爆が落とされた八月六日八時十五分の数時間前の事です。
それは川西航空機の工場があったからです。当時の海軍の主力戦闘機だった三菱の〝零戦〟に代わるものとして、川西航空機によって〝紫電改〟が作られていました。〝紫電改〟のために鳴尾村は犠牲となったのです。
工場跡は今、武庫川団地となり、空襲の跡形もありません。
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この鳴尾地域で住民有志による実行委員会がつくられ西宮市の後援も得て八月二十五日「集い」を開催しました。事前に地域に配布した六千枚のビラによる呼びかけに応じて百余名の参加がありました。
会場となった上田公園には、原爆パネルを展示し、公園にやってくる人たちに訴えました。
公園内の上田公会堂では、地域の人たちの自作の文化作品がずらりと並び、その数五十点余。書、絵画、切り絵、染め物、パッチワーク、絵手紙等々多彩な作品。参加者はじっと見入りました。
主催者挨拶の後、最初は沖田守男さん(西宮民商)のジャズピアノ演奏。会場はじっと聞き入りました。続いて沖田さんのピアノ演奏をバックに、劇団四紀会の女性五名による木村光一作の「この子たちの夏」一九四五年広島・長崎(副題)の朗読劇。会場は静まり咳ひとつありません。
次に西宮原爆被害者の会の武居勝敏会長による被爆体験の語り。武居さんは、昭和二十年四月生まれ。原爆が投下された時は生後四カ月で自身の記憶はありませんが、その後の生活や当時広島女学院の女学生だった姉の体験を語りました。当時の広島の少女たちは多くが県外に出なかった。被爆したことを他人に知られたくないため。人生にとって、最も大きな喜びである結婚や出産が恐怖の対象になる。この体験談に私はショックを受けました。八十六歳になるお姉さんが高槻市で暮らしていることを聞き、ほっとした気持ちになりました。
十四時からは、関西学院大学の冨田宏治教授の「核兵器禁止条約と『核なき世界』への展望」と題しての基調講演。「対話より制裁」と叫ぶ安倍政権は、核兵器廃絶、世界平和の実現に背を向けた青息吐息の政権であることもよくわかる講演でした。核兵器禁水条約が核兵器廃絶へ大きく踏み出したこと、被爆者が大きな力を果たしていることもよく理解できました。
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鳴尾地域でこの集いが持てたことは大変喜ばしいことです。各地でも住民による平和の集いが開催されることを願っています。

(兵庫民報2018年9月9日付)

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