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2018年4月8日日曜日

「健康権」と日本社会(2)

井口克郎(神戸大学大学院人間発達環境学研究科)

第二回 「借上復興公営住宅追い出し裁判」と健康権

社会的事項についても国家の対応求める

健康権が求めている国家の義務は、単に人々が病気になったり、介護が必要になったりしたときに、差別なく医療・福祉サービスが受けられるよう、社会保障制度等を整備・拡充することにとどまりません。その大きな特徴は、人々の健康状態を規定する要因となる様々な社会的事項についても国家の対応を求めていることです。
前回紹介した国連「一般意見第十四」は、「到達可能な最高水準の健康」の実現のために、単に病気等になったときのケアを行う国家による医療・福祉制度のあり方にのみ配慮をすればよいというものではなく、その他の健康状態を規定する要因、および健康悪化の原因となる様々な経済的・社会的事項の領域(労働、住居、教育等のあり方も含まれるでしょう)についても、国家や行政の対応を要求しています(注1)。
たとえば、伝染病などを予防するためには、国家による正しい知識に基づく予防教育が必要であり、そのような教育や情報を市民に保障することが重要です。また、この間過労死や過労自殺が大きな社会問題となっていますが、企業等による労働者の働かせ方も、人々の健康に大きな影響を与えます。雇用・労働政策の場でも健康権に基づく法規制が必要です。また、人々の居住の環境のあり方も健康状態を大きく規定します。人々の固有のニーズに応じた快適な居住環境保障のための居住政策が必要です。

健康権侵害問うべき神戸市・西宮市の対応

近年、行政による市民への対応のあり方を巡って、健康権に大きく関係する事件が起きています。たとえば、神戸市や西宮市が、阪神・淡路大震災被災者の入居する借上復興公営住宅に二十年の「退去期限」があるとし、入居者に別の公営住宅への転居を求め、応じない入居者を裁判に訴えている問題です(注2)。借上復興公営住宅に入居している方の中には、高齢の方なども含まれ、それぞれの方に転居ができない、もしくは消極的にならざるをえない様々な事情があります。
そのような方々を、無理に転居させることは、健康権の視点からも問題があります。住居は人間の生存、生活、健康の最重要の基盤の一つですが、人間は住居があるだけでは健康的に生活できません。良好な住居を得て、それに適応することに加え、近隣と人間関係やコミュニティを作り、医療機関やかかりつけ医等との関係性を作り、買い物場所等を開拓し……時間をかけた努力の上で、ようやく安心して健康に住むことができるわけです。そうして獲得した馴染みのある住居・生活環境から高齢の方等を外的圧力によって無理に引き離し、転居させることは、その人の健康を害したり、要介護状態や病状の悪化をもたらしたりするリスクが高いことが報告されています。
筆者もこの間、東日本大震災被災地で被災者の方々の生活調査をしていますが、その結果を見ても、津波や防災集団移転促進事業による高台移転などで、外的要因によって住み慣れた住居や地域から転居せざるを得なかった被災者の方々の健康状態が、住み慣れた住居や地域に住み続けることができた人々に比べて悪化度合いがひどい傾向が見い出せます。今回の神戸市や西宮市の対応は、そのような状況を人為的に作り出すリスクが非常に高く、健康権の規定から見ても違法性が問われてしかるべきです。
健康権は今後、社会保障や借上復興公営住宅問題に限らず、労働問題、原発問題など様々な分野での活用が求められます。
(つづく・小見出しと資料は編集部)


(1)「一般意見第十四」第四項および第九項など参照(上)。
(2)同問題の詳細については、市川英恵著・兵庫県震災復興研究センター編『22歳が見た、聞いた、考えた「被災者のニーズ」と「居住の権利」―借上復興住宅・問題』(クリエイツかもがわ、二〇一七年)をご覧ください。

資料:「一般意見第14」の第4項と第9項
4 規約の第12条を起草するにあたり、国連総会第三委員会は、WHOの基本文書前文にある健康の定義を採択しなかった。これは、健康を「身体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態(well-being)であり、単に疾病や疾患がないことではない」と概念づけたものである。しかし、規約の第12条1項が「到達可能な最高水準の身体及び精神の健康」と述べているのは、医療に対する権利に限られない。反対に、起草の過程及び第12条2項の明文の文言は、健康に対する権利は人々が健康的な生活を送ることができる状況を促進する広範囲の経済的、社会的要素を含み、食料、栄養、住居、安全な飲み水及び十分な衛生へのアクセス、安全かつ健康的な労働条件、並びに健康的な環境のような、健康の基礎となる決定要素に及ぶことを認めている。
9 第12条1項における「到達可能な最高水準の健康」の概念は、個人の生物的及び社会・経済的な前提条件と、利用可能な国家の資源の双方を考慮に入れている。国家と個人の関係においてのみでは解決できない側面は数多くある。特に、良好な健康は国家によって確保されうるものではなく、また、国家は、人間の疾病の原因となりうるすべてのものに対して保護を与えられるわけでもない。例えば、遺伝的要素、疾病に対する個人のかかりやすさ、不健康な又はリスクの多い生活習慣は、個人の健康に関して重要な役割を果たすことがありうる。従って、健康に対する権利は、到達可能な最高水準の健康の実現のために必要なさまざまな施設、物資、サービス及び条件の享受に対する権利として理解されなければならない。
「一般意見」は日弁連の国際人権ライブラリー(https://www.nichibenren.or.jp/activity/international/library.html)より。

(兵庫民報2018年4月8日付)

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