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2017年7月23日日曜日

プレゲンスイキン:ZEROこねっと

カコから学び、ジダイの本流つかもう

「核兵器ゼロ!原発ゼロ!ZEROこねっと」は七月十七日、「プレゲンスイキン―二〇一七年度の原水爆禁止世界大会にむけた学習企画―」を神戸市内で開催し、十七人が参加しました。
七月七日に採択された核兵器禁止条約をうけて、今年の原水爆禁止世界大会は画期的な大会になることが予想されます。この世界大会に参加する前に学習しようと、本条約の内容や歴史的意義を学び、条文の核心部分であるヒバクシャの声・被爆体験の聞き取りを行うことの二部構成で行いました。

核兵器禁止条約について報告する冨田教授

核兵器禁止条約の内容については、原水爆禁止世界大会起草委員長を務める冨田宏治関西学院大学教授が報告しました。
報告では、「本条約の書き出しが核兵器の非人道性について書かれ『二度と使用されない残された唯一の方法として、こうした兵器の完全廃絶が必要であるとの結論を認識し』という部分は、第一回原水爆禁止世界大会から被爆者と反核・平和運動がずっと掲げていたこと」「一番大事なのは、ヒバクシャという言葉が公的良心の担い手として二カ所も入っていること。被爆者の声を聞いて、被爆者の声が形になったという条文になった」と述べ、条約は原水爆禁止運動と被爆者の勝利だと強調しました。
そして、世界の世論と運動、とりわけ日本政府の態度を改めさせるためには、日本政府を交代させることが必要だと語りました。

被爆体験を語る千葉さん

被爆体験については、千葉孝子さんが広島の爆心地から約二kの地点で被爆した体験を語り、「これまで被爆者で良かったことなんて何もなかった。でも、被爆者の願いに応えて核兵器禁止条約が採択された。被爆者として生きてきて誇りに思う。生きてきて良かった」と述べました。
長崎出身の被爆三世の青年も参加し、「千葉さんの話で祖父を思い出した。被爆者の方々の思いが詰まった条約で本当にうれしい。日本政府の姿勢は本当に情けない。世論を高めて政治を変えたい」と感想を話しています。

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

亀井洋示「悪の烙印」



2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

マラソンで反核・平和:新日本スポーツ連盟兵庫



新日本スポーツ連盟兵庫は七月九日、「スポーツは平和とともに! 第三十六回(二〇一七年)関西網の目反核・平和マラソンを開催、四十四人のランナーが、神戸市役所から明石市役所までの二十四km(四区間)をそれぞれに応じて走りました。
出発式では、人類史上初めて核兵器を違法化する「核兵器禁止条約」が、「国連会議」で採択された記念すべき時期の開催であることが主催者から報告されました。
兵庫・大阪の周辺地域だけでなく埼玉や四国からも参加したランナーたちが、「平和を守れ!」「九条守れ!」「憲法守れ!」とコールしながら、沿道や通りがかりの方々に平和と核兵器廃絶を訴えました。
「がんばれ!」「応援している」という声援だけでなく、わざわざ玄関先に出てきて握手してくださる方々、満面の笑顔でハイタッチしてくれるこどもたち、要所要所で、給水などの支援をしてくださったスタッフの皆さんに元気と勇気をいただきゴールをめざしました。
この企画には久元喜造神戸市長、平和首長会議会長の松井一實広島市長、日本非核宣言自治体協議会会長の田上富久長崎市長からメッセージが寄せられました。
私は「ランナーズ9の会」メンバーとして初めての参加ですが、神戸市役所から須磨浦公園までの十三kmを楽しく走らせていただきました。
(黒田みち=川西市議)

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

加東市平和行進:沿道の家から出てきて激励も


三回目の加東市平和行進を開催しました。
七月九日午前八時三十分に旧滝野町役場・滝野文化会館前に集合。出発の九時までの間に、三人の参加者から挨拶をいただきました。
行進に対し、日曜日ということもあってか、家の中から沿道の皆さんが出てきて激励していただくこともありました。通り過ぎる車の中から見つめる方もいました。
途中、社商店街にある加東民商で休憩をとってから、加東市非核宣言都市の標柱を目指し行進。十一時過ぎに到着しました。
行く先々でビラの配布と宣伝カーから流れる「核兵器なくせ」と言う呼びかけや「青い空は」「原爆許すまじ」の歌は多くの沿道の皆さんに伝わったと思います。
今回は十七人の行進団でした。隣接する小野市、加西市、西脇市ばかりでなく、加古川市から参加された方もありました。今回は、視力障害者の方も一緒に行進しました。
「来年は、もっともっと多くの方に呼びかけて一緒に行進できるようにしよう」と参加者から意見も出されました。
今年も県原水協から、「加東市→広島」の横断幕、ゼッケン、のぼりを用意してもらうなど、たいへんお世話になりました。(岸本高志)

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

ノーモアヒバクシャ近畿訴訟・傍聴記2017-07-13

裁判所は被爆の実相に謙虚に向き合うべし

副島圀義

七月十三日、大阪高裁での最終弁論。五月の本欄で「(弁護団は)映像も駆使して被爆の実相を訴える」と報告しましたが、ギリギリになって裁判所が許可しない結果になってしまいました。六月にも地裁・裁判長が意見陳述でスライドを使わせない、ということがありました。

「被爆者の病気が原爆放射能に起因するかどうか」の判断で、発症メカニズムがしばしば争点になります。裁判所が個々の争点だけに目を向けてしまうのでなく、被爆の実相に謙虚に向き合うことを、弁護団は強く求めています。
映像を使っての弁論不許可に対して弁護団は
―原野さんは判決を待たずに死去。川上さんは体調不良で法廷にくることができなかった。そのようななかで、一日も早く判決を求める。
―裁判官には、提出した映像を見てもらっている。
として、遺憾の意を表明のうえ、この日での弁論終結を了承。来年一月十六日に判決、となりました。

原告・原野宜弘さん。被爆時は生後十カ月(長崎)。行方不明の父を探す母に負ぶわれて爆心地近くを一週間歩きまわります。脱毛などの急性症状が出たと姉は話しますが「原爆手帳申請書にはそんな記載がない」と国は否認。一審判決は「被ばくによって発症感受性が高くなることは認めても、直接の発症原因は他にある」として国の却下処分を認めました。高裁での国の言い分も同じことの繰り返しでした。

―原爆は瞬時に大都会を壊滅させ、救援・救護もできない状況をつくりだした。
―生き延びられた被爆者への救援も、実態調査・研究・公表も、占領軍は抑止。
―その結果、被ばくにより低下した免疫力の回復が阻害された。
―放射線の種類・強度、内部被ばくの影響等々についての科学的知見の多くは、広島・長崎以後に得られたものであり、それもしばしば、核開発をすすめる側だけが占有。
このような被爆の実相に謙虚に向き合うことがなければ、被爆者の訴えへの公正な判断はできないと、強く思います。

十四日には大阪地裁での弁論がありましたが、傍聴できませんでした。原告・宮本義光さんが意見陳述で「生きている人が『水ばくれんね。水ばくれんね』と言っていたが目をそらして歩き続けるしかなかった」など生々しい体験を語られたこと。もともとこの日で結審の予定だったが国側が反論したいと続行を求めたこと、などを伺いました。

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

関電さん原発やめて金曜行動250回まつり(姫路)

〝一日も早くここに来なくてすむよう〟


姫路市での「関電さん原発やめて金曜行動」の「二百五十回まつり」が七月十四日に行われました。
二〇一二年七月十三日以来、脱原発はりまアクションの呼びかけで、関西電力姫路支店前での抗議行動と、姫路駅前でのスピーチ、パフォーマンス、音楽など多彩な行動が取り組まれてきました。

姫路支店前での行動

今回の関電支社前行動では、脱原発はりまアクションの菅野逸雄さんが「二百五十回、それぞれの務めや家庭の都合をつけ行動してきた。一日も早くここに来なくてすむよう原発をやめてほしい」と訴えたのに続き、参加者が次々とマイクをにぎり脱原発を訴えました。

姫路駅前での行動

訴える大関さん

パフォーマンス

姫路駅前では、防護服を着てのパフォーマンスやバイオリン演奏などが行われました。また、福島県郡山市から自主避難し、現在姫路市に住む大関美紀さんが、福島原発事故当時、小学校五年生だった娘に、鼻血、下痢、心臓の痛みなど体調不調が現れ、娘の健康最優先にと自主避難してきた経緯を語り、「当たり前の日常が奪われたのに、各地で原発再稼働とはどういうこと?」と訴え、「子ども脱被ばく裁判」への支援を呼びかけました。
脱原発はりまアクションは加古川駅前でも毎月十一日に脱原発を訴え、今月十一日で六十八回目となりました。

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

衆院議員_堀内照文エッセイ(11)

私たちの努力でつくりだした条件を確信に さらに前進させる力を

自民歴史的惨敗――都議選を報じる各紙が一面トップの大見出しで共通して打ち出したのが、これでした。都民ファーストが躍進する中、わが党は、議席が一ケタ台とも言われた事前のマスコミ予測を覆す十九議席への前進。しかも、八議席から十七議席への前回の躍進に続く重要な前進です。
その結果が大きく国政を揺るがし始めています。拒否し続けた国会審議に応じざるを得ず、何よりも安倍内閣支持率の下落が止まりません。選挙一週間後の読売新聞では遂に不支持が五二%にもなりました。一番新しい時事通信の調査では支持率がついに危険水域の三割を切りました。
国会でどんな抗弁をしようが、都議選最終日に街頭宣伝で異論を唱える聴衆を「こんな人たち」呼ばわりした、まさにその国民の怒りからは逃れられません。
兵庫県知事選でも、政権与党=自公などに支えられた現職批判は強いものがありました。ママの会など新たな共同の広がりは画期的です。私たちの努力でつくりだした新しい条件や可能性の広がりに確信を持ちつつ、さらにどんな組み合わせや条件のもとでも前進させるような組織の力をいかにつくるか、新しい歴史を切り開く、困難はあれどもやりがいあるたたかいに勇躍して取り組む決意です。

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

池内衆院議員招き明石で「つどい」

日本共産党創立記念の日、三人が入党を決意

日本共産党東播地区明石市委員会は党創立九十五周年記念日の七月十五日、池内さおり衆院議員を招き、「日本の未来と綱領をかたるつどい」を開催。会場は百三十一人の参加でいっぱいになりました。
くすもと美紀明石市議の司会で、最初に新町みちよ兵庫九区国政対策委員長が挨拶したあと池内議員が講演しました。

講演する池内さおり議員

池内議員は、
―党の専従になるに際して、愛媛の父母、兄と、「綱領」を読み合わせて説得し、理解を得たこと(その後、ご両親が入党)。
―二十五歳になったとたん「まさかの」立候補要請に即答したこと。
など自己紹介をするとともに、
―国会議員となって、全国の要求をとりあげ、調査し、勉強し、最後の一分一秒を惜しみ質問をしていること。
―共謀罪法案の審議で維新議員が「もう十分審議した」と打ち切ったことは許せないと思ったこと。
など国会状況を生々しく報告し、「日本共産党の議席をもっと増やさなければ」と訴えました。
東京都議選で、そねはじめ都議が定数一議席減のなか自民党幹事長を打ち破って当選を勝ちとったことも報告。当日着用のレインボーカラーシャツからLGBT性的マイノリィの話やオール沖縄でたたかう那覇市議選応援の話など。次々と飛び出す話は、参加者みんなに元気を与えました。


講演のあと、会場のそこかしこに入党を呼びかける輪ができ、就職がきまったという四十代の男性と、「なぜもっと早くすすめてくれなかったのか」と語ってくれた六十代の女性が入党しました。
また、入党を呼びかける予定だった五十代女性が来ていなかったので、「まだ時間がある。行きましょう」と池内議員らがその女性を自宅へ訪ねて入党を訴えると、すぐに入党を決意。この日、合わせて三人が入党しました。
七月十九日は記念講演ライブ視聴会を、二十二日には昼間に録画視聴会を予定しています。
(新町みちよ)

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

労働運動の違い越え労働法制改悪反対へ連続学習会

安倍政権「働き方改革」労働者は幸せになれるか!?――労働法制改悪反対連続学習会(全三回)が始まりました。労働法制に反対する弁護士有志の会の主催です。
第一回は七月十四日、神戸市勤労会館で開かれ、「安倍政権の『働き方改革』の全体像」をテーマに日本労働弁護団の佐々木亮弁護士が講演しました。

主催者挨拶をする丹治弁護士

兵庫連合顧問を務める丹治初彦弁護士は主催者を代表して挨拶し、「この連続学習会は、弁護士有志で主催したものだが、労働運動の違い越えた方々が取り組む集会となっている」「安倍政権は、成長戦略の破綻が明白になり、『一億総活躍社会』とか『働き方改革』と言い出した。そのなかで二年前に労基法改正を言い出したが、その時は連合も強く反対しており実現しないと思っていた。ところが連合がいま方針転換しようとしている。議論の積み重ねのない修正ではだめだ。この連続学習会の成果を職場に持ち帰っていかして欲しい」と呼びかけました

講演する佐々木弁護士

佐々木氏は、「同一労働同一賃金」や「長時間労働是正」など〝甘い言葉〟で、安倍首相は「働き方改革」に着手したと述べ、その経過や内容を九十ページにのぼる資料を使って解明しました。
長時間労働をなくすといいながら過労死ライン(月八十時間)越えを容認、非正規雇用をなくす方向には背を向け、解雇の金銭解決に道を開くことなど、この「改革」は労働者一人ひとりの健康や生活を守るためではなく、首相の発言に繰り返し出てくる「生産性」の向上にのみ関心がある方向だと批判しました。
そのうえで、これを容認する連合会長らの動きもあるが、世論と運動で労働者を守るルールを作らせる方向が大事だと訴えました。
羽柴修弁護士が閉会挨拶し、「『働き方改革』の目的が何なのかがよくわかった講演になった。労働運動が政府に巻き込まれてはならない」と述べ、学習会への引き続く参加を訴えました。
第二回、第三回の開催予定は次のとおりです。
  • 第2回:8月10日(木)18時30分/神戸市勤労会館講習室308/「過労死遺族は訴える」西垣迪代(兵庫労災を考える家族の会)/労働現場での取り組み報告
  • 第3回:9月2日(土)14時/神戸市勤労会館大ホール/「私たちの求める『働き方改革』」西谷敏(大阪市立大学名誉教授)
  • 参加費:各回とも資料代500円/申し込み不要
  • 主 催:労働法制の改悪に反対する弁護士有志の会☎078‐341‐3332(中神戸法律事務所)

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載

観感楽学: 「こんな」と「あんな」

「こそあどことば」というのがある。指示する言葉の体系で、話し手から見て、空間的に近い=こ、少し離れている=そ、遠い=あ、定まらない=ど、に分類される▼たとえばいくつも並んだスイカの中で気に入ったものを、対面販売してくれているお店の人に指示するとき、自分に近いものから「これ」「それ」「あれ」と使い分け、迷っているときは「どれ」となる▼都議選最終日、安倍首相は秋葉原に集まった人たちをまえに「こんな人たちに、みなさん、私たちは負けるわけにはいかない」と息巻いた。目の前の聴衆後部で「アベハ、ヤメロ」とコールしている人たちを意識してのことだ。一方その八日後、新宿で行われた安倍退陣を迫る集会において、共産党の小池晃書記局長は「あんな人に負けるわけにはいかない」と声を張り上げた。当然だがその場には安倍首相はいない▼小池さんはもちろん、ことばの壊し屋であるかの人でさえ、この場合において「こそあど」の使い方に文法的な誤りはなかった。しかし、「どんな」でもなく「あんな」でもなく「そんな」でもない、明確に多数となった「こんな」人たちに追い詰められた姿がそこにはあった。(T)

2017年7月23日付「兵庫民報」掲載