憲法をないがしろにする安倍政権に対し立憲主義を守るたたかいを通じて日本共産党と知り合った安保関連法に反対するママと有志の会@兵庫の向山桂子さんと、広島で被爆、苦学のなかで党の姿を知った杵守春美さんに、政治へ関わる思いや日本共産党についてご寄稿いただきました。(紙面の都合で再構成していますので文責は編集部/写真は別の機会に撮影したものです)
ブレない姿が頼もしく
安保関連法に反対するママと有志の会@兵庫向山桂子さん
私は、安保関連法に反対するママと有志の会で「だれの子どももころさせない」というスローガンのもと同じ思いをもつ方々とともに、子どもたちが生きていく未来を平和な社会にしたいと活動を続けています。共謀罪が可決されてからも、繋いだ手を離さず横のつながりを大切にして行動しています。
どこかの政党を支持する立場ではなく、今できることは何だろうと考え政治に関わっています。政治を知れば知るほど、生活に直結していると感じるからです。主権者である私たちが政治に背を向けていたら、いつまでたっても生活は良くなりません。国家権力を縛るはずの憲法を変え、緊急事態条項が組み込まれ、国のために戦争に行く、そんな日が来るように思えてなりません。
実際に政治を変えていくのは、日ごろの政治への監視と選挙での投票です。
政治への監視とは、国会の様子をみることだけでなく、日常の生きづらさを政治に結びつけて諦めず声をあげること、周りの方と共有することです。
そして選挙。選挙とは投票するだけではなく、候補者さんと積極的に関わっていくことだと思っています。選挙は政治家だけがやっているものではなく、応援している人も含めみんなで創り上げていくものにしていきたいです。こうなってほしいという未来があるならば自分もいっしょに行動したい、そんな思いで関わってきました。
そんな中で、しっかりとした綱領をもとにブレることのない共産党の姿は頼もしくありました。
私が政治に望むことは、憲法に基づいた民主主義が実現できる議席を、国会の中に取り戻すことです。対話を大切にした話し合いを国会に求めます。
そのために、私ができることをこれからも模索し実行していきたいと考えています。
苦学するなか党の姿知り
広島で被爆、須磨区で美容室を開いていた 杵守春美さん
私は太平洋戦争勃発の年、昭和十六年生まれ。三歳と十カ月の時、ピカドンが投下されました。真夏の朝の明るくまぶしい陽ざしのなか、強烈な稲妻が走ったことを、今でも鮮明に憶えています。
「広島がええりゃことになったどう!」と大人たちが叫びながら走り回っている姿を茫然と眺めていました。爆心地より離れた尾道ですが、次の日から、縁側に灰が積もっていて、そうです「死の灰」とも知らず、私は母と必死で拭いていました。結果、今では、異常な白血球・赤血球の数値です。めまいは週に二、三度。狭心症もあり、ニトロはいつも財布に入れて持ち歩いております。弟妹たちも皆、甲状腺の病気があります。姪も生まれつき心臓に小さい穴があり、無理はできませんが、脳梗塞の母を抱えて介護と仕事に追われています。甥も腎臓が悪く疲れやすい体質です。因果関係を医師に尋ねると、どの医師からも返事はありません。
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家庭の事情で五歳から働いていて、義務教育すら受けられませんでした。でも、子どもにも手がかからなくなった四十二歳で、やっと、通信教育、青雲高校への入学がかない、有意義で楽しい四年間を過ごさせていただきました。通信教育といっても月二~三回のスクーリングで、若い人との交流が楽しみでした。
ちょっぴり生意気ですが、子どものころからなぜか共産党が好きでした。貧乏人の味方、人を差別しない。
学校に行けない私は、図書室の本を風呂敷に包み肩に担いで持ち帰り、雑学ではありますが、それらの本、道端で拾った本を、内職の無い夜、ローソクを頼りにむさぼり読みました。色々な本を読み進む中、戦中「戦争反対」と言っただけで憲兵に捕まり、拷問を受け、投獄されたり、殺されたり、国家権力のどんな迫害にも屈しなかった先人たちの高潔な志を受け継ぎ……等々色々本から学びました。学校へ行く時間のない私にとって本だけが先生でした。
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私は二十一歳から小さな美容室をもつことができ、年上の方、若い人、多くのお客様と接することができ、色々と人生を学ばせていただきました。一人の尊敬するお客様に入党を勧めていただき、喜んでこの春、入党しました。
仕事は大好きで、腕を磨くために市内連合、県大会、全国大会の着付けの部、ヘアーの部に頑張り、コンクール出場を続け、トロフィー・賞状は置き場がないほどいただきました。それは努力したという誇りです。
でも、手指の術後、店を閉めることを決心しました。前から納得のできる仕事ができなくなったら、店を閉めようと強く思っていたのです。
そんな時、入党することができとてもうれしく、今は月一度の支部での勉強会が楽しみです。支部の皆様が優しくて、何も知らない私に色々と教えてくださいます。自分のできる範囲で頑張りたいと思います。
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八月の党支部会議で、七月七日、ニューヨークでの国連会議での志位和夫委員長の発言のビデオを見せていただき、思わず号泣しそうになりました。日本共産党代表団が、国際赤十字、宗教指導者、学術研究者、被爆者団体…等々の方々とともに核兵器廃絶のために奔走してくださり、国連百二十二カ国の賛同をえられるまでに至る経緯を知り、うれしさと感謝で胸がいっぱいになり、涙がぽろぽろとこぼれました。
しかし、安倍さんはアメリカに追従して、唯一の戦争被爆国なのに会議に参加しなかった。安倍さんは危なくて、不安でいっぱいです。
安倍さんの改憲を阻止し、核兵器の無い、戦争の無い世界にしましょう。
(兵庫民報2017年10月22日付)