一人一人の幸せを保障する日本国憲法/一人一人とつながっている日本共産党
弁護士 吉江仁子さん
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日本共産党の躍進に期待する兵庫県弁護士の会の宣伝 右端が吉江弁護士 |
みなさんは今の社会で息苦しく感じることはありませんか? 私は、子どもの頃からずっと「普通であること」に強く憧れていました。子どもらしく、中学生らしく、高校生らしく、女らしく。私には、はみ出すこと無く普通でいることがむずかしく、悩みました。
憲法はこんな風に言います。「みんなと一緒でなくてもいい。一人一人違う人間であっていい。一人一人、自分の思うように幸せを追求してもよい。それでも法の下に平等であり、政治的に差別されない」。これ、すごく背中を押してくれます。
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七十年前の戦争の死者は、国内で三百十万人、世界で五千万とも八千万とも。あの戦争を体験し、私たちは、一人一人が尊重され、幸福を追求することができる社会をつくろうと憲法に書きました。この社会の中で、一人一人平等の価値を持つ存在であり、政治的に差別されないことを宣言しました。すごくいい憲法だと思います。
社会は、どうしても、多数派を基準に設計されていきます。もし、私たちの多くが車いすを利用していたならば、町はこんなに階段だらけではなかったでしょう。多数派の人にとって、心地よい設計が、少数者のだれかを恐ろしく不便にしているかもしれません。これは、私たちの社会が本質的に持っている落とし穴だと思います。
私たちの憲法は、そのことがわかっているから、個人の尊重と幸福追求権の尊重と法の下の平等と政治的に差別されないことをうたいました。
政治的問題には、正解も間違いもありません。ただ、人がたくさんいるから、テーマごとに、多数派と少数派がいるだけ。一人一人のレベルで見れば、多数派も少数派も、意見の価値は平等、そういう宣言です。そう宣言すれば、多数派基準の社会設計で、少数者が、不都合を感じても、意見を言いやすいだろう。少数者の意見を反映させれば、私たちの社会はもっとよくなっていくだろう……どうでしょう。私たちの憲法ってすごく賢くて懐が深いと思いませんか?。
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ところが、現実の政治はどうでしょうか。与党の数の力で、議論もなにもなく、国民一人一人のささやかな願いを無視し、ふみにじる、そんな政治が行われています。私たちの憲法九条は、「国際紛争を解決する手段としての武力を永久に放棄する」とうたっていますが、安倍政権が進めた政策は、軍事力を具体化し、他国を力でねじふせようとするものに他なりません。安倍首相は、国会で「自民党は結党以来改憲を目指してきた」と述べ、だから憲法に縛られないと答弁していますが、「ルールが気に入らなければ、ルールを守らなくてもいい」という理屈は通りません。
戦後七十年、私たちの憲法は、私たちの暮らしを守ってきてくれました。今こそ、私たちが、憲法を守るときです。たとえたった一人の少数者であっても、あなたは政治的意見を言ってもよい、あなたの意見は多数派の誰かの意見と平等の価値を持つと認められる。それが、今の憲法では保障されています。
しかし、自民党は、改憲草案で「国家のための国民」を求めています。政府の方針を批判する意見は、公益に反するという理由で封じられる危険があります。安倍政権は、今の憲法のしばりを勝手に解き放ちはじめました。国家緊急事態条項の提案にあるように、今後はますます国民無視、国会軽視の政策が推し進められていくでしょう。
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日本共産党は、憲法の申し子です。常に国会では少数派でありながら、多数派に対し一歩も引かない迫力で、国民の視点・憲法の視点から意見を言い、議論を深めています。経済界を優遇する政府の政策の落とし穴をわかりやすく私たちに教えてくれるのも日本共産党です。安保国会のときに、自衛隊の内部資料を入手し、法案成立前から、自衛隊が南スーダンでの駆けつけ警護のあり方について議論していることを暴露したのも日本共産党でした。
与党が数の力で台風のように暴れている今だからこそ、日本共産党のような野党による重石が必要です。日本共産党は企業献金にも政党助成金にも頼らず、国民一人一人とつながっている唯一の政党です。躍進を心から期待しています。
(2016年7月10日付「兵庫民報」掲載)
