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国会議員団兵庫事務所長として、04年台風23号水害の被害状況を 井上哲士参院議員(左)とともに現地調査する金田さん (中央、04年10月、豊岡市内) |
県議、国会議員団兵庫事務所長として現場へ行き、要求実現に全力
―県議選に出られました
党から県議立候補の要請があって、実は、「通らんと思うけど」って言われたのですが、「医療をもっと充実させなあかん。それには自民党政治を変えなあかん」と感じていたので、受けました。
もう二十年以上前になりますけど、初めて、たすきをかけて駅頭に立って「日本共産党です」と言うのに、さすがに膝が震えました。反応も冷たくてね。今は隔世の感があります。
―県議の経験が生きている部分というのは
県議二期目の選挙に失敗して〝浪人〟状態になった私に「大沢たつみ参議院議員(当時)の現地秘書」の任務がまわってきて、そのまま国会議員団事務所の仕事を引き継ぎました。兵庫の国会議員がいなくなって、地元と国政をつなぐ仕事、自分で現場へ行って、調査して、当局と交渉するということもやりました。そこで、議員だった経験が少しは役に立ったと思います。
―県議時代は、どういう問題を取り上げられてきましたか
一年目は、健康福祉、二年目が産業労働、三年、四年と建設だったかな。本会議の初質問では、県独自の老人福祉医療制度があって、それを改悪するというので、制度ができた理由や経過を調べて追及し、改悪を一年遅らせることができました。子どもの医療費無料化は、当時は三歳未満まででしたが、新日本婦人の会のみなさんなどが中心になって、就学前まで要求して、六歳未満になりましたが、私は、「保育園でインフルエンザがはやり、五歳児は無料で、六歳児は有料になる。就学前まで無料にしたほうが、整合性がある」なんて論戦しました。
しゃべり方、パネル、笑いなど演説も自分なりに工夫を重ね
―候補者活動は、すごく気が張るでしょうね
二十八歳で立候補して、選挙の種類に違いはありますが、自分が候補者になるのは今回で九回目ですから、ある程度慣れました。そりゃ、苦手なことやしんどいなと思うことも多々あって、今でも候補者には向いていないと自覚はしていますが、候補者ではなく共産党の仕事という意味では、私は自分で選んだ仕事ですし、やりたい仕事をやらせてもらっているわけです。だから、特に癒しが欲しいとかは思わないですよ。インタビューで「ストレス解消法は」とか聞かれるけど、答えに困ります。
―各地で国会議員といっしょに演説されることも多いですよね。
実はね、若い頃は「自分とどこが違うのか、同じことを話しているのに」なんて思っていたんですよ。ただふざけて不破さんの演説のマネしてみたら、あのしゃべり方ってずいぶん合理的なんです。喉に負担がかからない。それでなんか同じような感じになっちゃって、ある人にボロクソに言われて、それからしゃべり方をかえたり、言葉を言い変えてみたり、屋内ではパネルを使ったりして、「共産党のイメージと違うなあ」と言われたこともあったのです。そのうち、「何が違うか」というのがなんとなくわかってきたように思います。
あと、私も以前から演説でも笑いがあった方がいいなと思っていたので、たまに冗談を言ったりしていましたが、やっぱり難しいなと思います。そこへ清水忠史さんが出てこられた。さすがだなと。宮本岳志さんも、私は、笑いあり涙ありの藤山寛美さんの芝居に似ているように思うのです。そして大門みきしさんですよ。面白いことを言っているわけではありませんっていう顔をして、しれっと面白いこと言われる。「もうかないませんわ」って感じですね。
多彩な方々と気脈通じる対話に/「絶対に裏切らない」と決意
―候補者をやってこられてのエピソードとかありますか
またざっくりした質問やね(笑)。
候補者でなかったら、たぶん巡り合えなかった、いままでほとんど交流のなかった、例えば、農協、漁協、宗教者、あるいは中堅企業の社長さんなど多彩な方々と気脈の通じる話ができるというのはうれしいですね。
最近、いちばん印象に残ったのは、ある農協の幹部とTPPをテーマに懇談したとき、「正直、安倍政権に対する不信は拭われへん」と言われました。兵庫の農協の本気さを感じました。色々あっても私は裏切らないぞと思いましたよ。 (続く)
(2016年4月17日付「兵庫民報」掲載)

(2016年4月17日付「兵庫民報」掲載)
