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語る金田峰生さん |
「共産党は野党共闘をよく決断してくれた」「今まで嫌いやったけど、見直した」「兵庫はあんたが勝たなあかん」なんて、声をかけてもらえました。懇談の場でも話題になります。ちょっと誤解している方もいるけれど、説明すると納得してもらえます。
―金田さんはどんな子どもでしたか/社会的な関心のきっかけは
母や祖母に戦争の話を聞かされ、「戦争は怖い、嫌だ」と今でも思っています。ずっと小児ぜんそくだったので、公害問題にも関心が向きました。
勉強は嫌いでした。特に「とにかく覚えろ」といわれると苦痛でした。できない癖に「点取り虫にはなりたくない」とかいって。勉強をしない言い訳ですね。今になって後悔しています。日本の教育は記憶力に偏重していて、それは良くないと私は考えていますが、しかし私自身は、記憶力のなさがつくづく情けないと、身に染みて思っています。
―日本福祉大学を選んだ理由は何ですか
高校の部活で「社会福祉同好会」というのを立ち上げたのですが、「実践派」と「理屈派」に分かれて、私は後者でした。自分は「福祉の心」がない人間だと自覚していて、人の社会で生きていくのに「ちょっとまずいかな」と。それで「福祉とは何か」を「理屈」で知っておくくらいは必要かと考えて。それに学費も、偏差値も、ここならなんとかなるかなと。
あんな事故が二度とおこらないよう、本気で社会構造変えなあかんと入党
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犀川スキーバス事故を報じる『赤旗』紙面(1985年1月30日付) |
―そして、在学中に犀川スキーバス事故(八五年一月二十八日)がおこりました
学生たちは、まじめで、「人の役に立ちたい」とか、すごく純粋で志(こころざし)が高くて。それが志半ばにして、理不尽にも命を断ち切られた。「何でやねん」と。
私だけではなく、「こんな事故が二度と起きないようにしたい」「彼ら彼女の分まで生きよう」…大学全体がそんな雰囲気になりました。
ベテラン運転手がなぜ単純な事故を起こしたのか。そこが問題でした。ずさんな労務管理が明らかになりました。五十人もの命を預かる運転手さんを、そんな働かせ方をしてええんかと。たぶん、その会社の社長さんも「人の命は、地球より重い」とか言うと思いますが、実際は、人の命よりも儲けが優先。どこでゆがむのか。資本主義という社会構造に原因がある。だから「あんな事故が二度と起きないようにする」には、社会構造を変えないとあかん。そうしないと、また同じような事故が起こる。なんだか究極の選択みたいに聞こえるかもしれませんが、実際にそうですよね。
亡くなった学友の分まで生きるというのは、寿命を延ばすことは無理ですから、「あんな事故が二度とおこらないようにする」ために、自分なりに考えたことをやる。そういう人生を生きることかなと。
本気で社会構造を変革しようと、しかも科学的に「それはできる」ということも解明して実践しているのが日本共産党でした。他にはないでしょう。知ってしもたらしゃあない。だから共産党員になりました。
―今年また、長野県でスキーバス事故が発生しましたが
学生が亡くなりましたね。辛いし悔しいね。
犀川バス転落事故が起こった年の夏に日航機墜落事故もありました。〇五年にはJR福知山線脱線事故がありました。
具体的な原因はそれぞれ違うけど、構造は利潤優先という共通点があります。しかも今回の事故は、国が「規制緩和」で利潤最優先を助長していた訳で、新自由主義政治は、ほんまに罪深いと思います。
福祉は「共感すること」が大事やと学びました
―「福祉の心が必要」と入学したという話でしたが、「福祉の心」とは
そのときは、「困っている人を助ける」とか、「思いやり」とか、そういうイメージでした。でも「弱い人を助ける」とか、何か偉そうで、「そんな優しい人間ちゃうわ」と。
大学でも落ちこぼれでしたが、福祉は「共感すること」が大事やというのは学びました。
誰もが安心して暮らせるようにする。よりよく生きられるようにする。政治は、社会保障を中心に据えるべきだと思います。
政治家なら、「世のため人のため」ということを、曲がりなりにも考えると思うのですが、安倍首相はそうじゃないですよね。祖父がやりたかったこと、自分がやりたいことをやる。世のため人のためやなくて、自分中心。自分が絶対。あんな人は政治家になったらあかん。ましてや首相なんてやらしたらあかん。私でもそう思いますね。
(三回連載・次号に続く)
(2016年4月10日付「兵庫民報」掲載)
