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2016年5月22日日曜日

証言:「乙仲通」はコンテナ船から、広げたのはタクシー

新谷良春(元全乙仲労働組合連合会委員長)

「乙仲(おつなか)通」が道路愛称として神戸市に認定された二〇〇八年四月から八年がたつ。新聞でもたびたび紹介されている。

鯉川筋側の入り口に立つ銘板

銘板に刻まれた明治41年当時の地図に
現在の通り名を重ねたところ(編集部作成)

JR元町駅東口を出ると鯉川筋が南北に走る。大丸を左に見て海に下ると国道2号線(海岸通)に出る。その手前を西に栄町通がある。二つの通りの間に西行きの一方通行の道が中央郵便局まで続く。この道が「乙仲通」と呼ばれている。

初期パンフは「誰が言い出したかわからないが」と紹介していた。

乙仲の活動家が次々とかけていく年齢になったので「乙仲通」誕生のいきさつを残しておきたい。

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「乙仲」とは、港の海運貨物取扱業の戦前の法律に規定されていた「乙種仲立業」の略称で、戦後法律は廃止され「乙仲」はなくなったが港湾、船会社と貿易会社などでその後も広く使われてきた。「乙仲」業界の労組の名称も「全乙仲労働組合連合会(全乙連)」で一九八七年の名称変更時には最後の委員長をつとめさせてもらった。

「乙仲通」誕生


米国のコンテナ船「ハワイアン・プランター号」が日本に来航、一九六七年九月、初めて神戸港・摩耶埠頭に着岸した。コンテナ船時代の始まりである。

コンテナ化により自分たちの職場「乙仲」が将来どうなるのかとの産業分析のため当時の共産党の乙仲(総)細胞(=支部)所属の労働組合役員が会合をひらいた。

神戸港の地図を広げ、「乙仲」業者の店を記していくと一カ所に集中してきた。そのとき皆が発した言葉が、「まるで『乙仲通』だ」であった。これが「乙仲通」の最初である。

個人タクシーの役割


私たちだけで「乙仲通」を使っても世間には通じない。

私たちの仲間の勤務先が「乙仲通」唯一の信号機のそばにあり、この会社は、常時個人タクシーを数台傭車して、税関や検疫所に行くのに使っていた。私たちの仲間が「海岸通と栄町通の間の道を西に行って」よりも言いやすい「乙仲通」を使い始めた。そして運転手もタクシー無線や一般客に対しても使い、自然に広がっていったと推察している。

海岸中通


「乙仲通」が公式に認定されて気になっていたのが、元々の名称の有無である。

定年退職後も通っている「乙仲通」の立ち飲み屋で、そこの主人の父親で「乙仲通」に戦前から住む地元酒店の古老(古賀哲夫元県議の同級生)から生前、元々の通りの名称が「海岸中通」だと教えてもらった。知っていれば「乙仲通」を使わなかったかもしれない。

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現在の乙仲通

「乙仲」という言葉を知る人は少ない。通りの名に「乙仲」を使うのは業界の者だけで、私たちが最初だと思っている。

私たち以外に名づけ、広げたと言う人がおられれば傾聴したいと思う。

現在の「通り」は、雑貨や繊維品の小さな個性豊かな店がたくさん集まっている。今後も市民に親しまれ、特に若者でにぎわう「通り」になってほしいと願う。
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(2016年5月22日付「兵庫民報」掲載)

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