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2016年1月24日日曜日

観感楽学

阪神・淡路大震災の年は被爆五十年だった。当時、被災地に居住した被爆者は三千九百八十六人(全県で六千三百五十三人)。兵庫県原水協は被爆者を訪ね安否確認を行い支援活動を展開した▼兵庫県は、被爆者の安否確認すら行わず、「被災で住所異動は連絡を」の「お知らせ」を出したがそれを被爆者の手元に届ける措置もとらなかった▼原水協は、住所がわかる被爆者の会会員(神戸市内千百八十七人、芦屋市百十六人、宝塚市九十八人など)を住宅地図に記し、交通機関が途絶えた中、倒壊した住居から近くの避難所まで訪ね歩いた。神戸市内では約三分の一が全壊・全焼、半壊▼必要な救援物資を届け、落ちかけた天井などの補修、入浴や通院・入院の手配、ガレキの片付けや屋根のシート掛けなども行った。生活、健康など切実な要望、相談も寄せられたが、合わせて被爆体験、被爆者としての苦労が語られた▼この貴重な機会を子どもらにも聞かせようと、のべ二百二十五人の教員、青年が参加。「原爆にも地震にも負けない」と語り、逆に訪問者を激励した被爆者は、この二十年間に二千四百五十七人(全県三千六百九十八人)に激減。大震災二十一年・被爆七十一年を経る体験を引き継ぐ課題は今、大切になっている。 (K)

(2016年1月24日付「兵庫民報」掲載)

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