東日本大震災直後から被災地救援を続けている東日本大震災救援バザー実行委員会は、十一月十九日から二十一日にかけて二〇一五年救援ツアーを行いました。三田革新懇からの六人をはじめ、宝塚から姫路まで県下各地から三十人が参加しました。救援ツアーは今年で五回目になります。
浪江町・双葉町・楢葉町
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早川氏の話を聞く参加者 |
仙台空港からバスで南下して福島県に入り、帰還困難区域である浪江町、双葉町の様子を車窓から視察、福島第一原発を見ながら、九月五日に避難指示が解除された楢葉町に向かいました。
楢葉町では福島原発避難者訴訟原告団長の早川篤雄さんがバスに乗車、放射能除染物を入れた黒い袋がいたる所に積み上げられ、住民の人影がない楢葉町の様子など案内していただきました。
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いたる所に積み上げられている袋詰めの除染物 |
早川さんが住職をされている宝鏡寺の本堂で、町の現状を聞きました。避難指示解除後、町に戻ってきたのは車が運転できる高齢者が数軒だけ、同居していた若い世代の人たちは戻ってこない、先の見通しのない町には戻れないのが実態だといいます。
早川さんは、福島第一原発事故は四基の原発でこの被害でとどまったのは奇跡であり、最悪の事態が現実になるおそれがあったとし、この町の復興・再生は、安心して暮らし、子どもを産み育てる環境を実現することだと強調しました。
「早く復興住宅を」と仮設入居者
二日目は、郡山市の南一丁目仮設住宅を訪問。福崎町名産のもちむぎめんの炊き出しをして被災者の方々と懇談しました。
一年前に避難指示が解除された川内村からの入居者は、「五年近くたって家がだんだん駄目になっていくが直す手立てがない」「働く先もなく、面接に行っても避難民は保障されていて困ってないでしょと言われる」「何でもいいから復興住宅を建てて、早く帰してほしい。足を伸ばしてゆっくり寝たい」「エレベーターの無い復興住宅でなく、高齢者向けの住宅を造ってほしい」など次々と切実な訴えがありました。
また、毎年このツアーに協力いただいている日本共産党郡山・安達地区委員会支援センターの大橋利明さんから、復興・救援に向けての国や県・市の議会での活動や、地元の共産党の取り組みなども報告され、ツアー代表の安武ひろ子さんが復興まで福島の支援を続けたいと決意を述べました。
被災者のみなさんに、県下各地から託された手作りの編み物や復興の願いを込めた色紙、折鶴などとともに、白菜や大根、淡路のみかんなども届けることができました。
現地で合流した金田峰生参議院兵庫選挙区予定候補は、周辺仮設住宅へも野菜や水など救援物品を届け、震災後訪問を続けている四倉保育所を訪ねて柿や淡路のみかんを手渡し、子どもたちと交流しました。
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三日目は、飯盛山・白虎隊記念館や鶴ヶ城の名で親しまれている会津若松城などを観光して楽しみました。
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実行委員会は、阪神・淡路大震災を経験した兵庫から救援と連帯のこの取り組みを続けていこうと、来春には七回目の救援バザーを、秋には救援ツアーも行う予定です。
(文・柳原ゆき子、写真・松吉由美子)
(2015年12月13日付「兵庫民報」掲載)