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2015年11月1日日曜日

参院選大躍進へ県労働者後援会が総会

団結がんばろー!

日本共産党兵庫県労働者後援会は十月二十三日、総会を神戸市内で開催し、戦争法廃止の国民連合政府の実現へ、参院選で兵庫から共産党躍進の大波を起こそうと決意を固めあいました。

総会は、参院選比例でたたかう大門みきし参議院議員が情勢と党の役割について講演し、金田峰生選挙区予定候補も決意表明しました。

挨拶する大門議員と金田氏

大門みきし参議院議員は、戦争法を強行したように安倍政権が戦後最悪の危険な政権だと指摘し、その危険な思想を解明するとともに、目先を変えるために持ち出したアベノミクスが大企業と大金持ちのためのもので国民収奪と経済を破壊する愚策であることをわかりやすく解明しました。

戦争法の強行採決は、国民の世論と運動に追い詰められた結果だと指摘。自民・公明は国会で絶対多数を持っているが、国会前や全国で立ち上がった若者へのショック、仙台市議選など地方選での共産党の躍進、国会論戦で答弁不能になって追い詰められた末だったことなど、リアルなエピソードも紹介。この世論と運動に確信を持とうと呼びかけました。

共産党が強行採決直後に戦争法廃止の国民連合政府提案を出したことに共感が広がっており、巻き返しもあるだろうが、戦争できる国づくりストップのたたかいはいまからと強調。参院選での大躍進をめざし、そのためにも労働者の中で党と後援会を大きくしようと訴えました。

金田峰生兵庫選挙区予定候補は、戦争法廃止の国民連合政府実現には定数三の兵庫の勝利がどうしても必要と強調。この間農業や漁業分野で起こっている大きな変化も紹介し、この期待にこたえるために全力つくすと決意を表明しました。

小林明男党県労働部長が①国民連合政府提案を職場で広く宣伝しよう②そのためにも職場で無数に「つどい」を開き、党をまるごと知ってもらおう③参院選勝利をめざし職場で党と後援会を大きくしよう―と行動提起しました。

最後に、津川知久後援会代表委員の音頭で勝利に向けて「団結がんばろう!」を唱和して閉会。「大門さんの話は面白くよくわかった」「がんばりたい」と参加者は語っています。

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

日本共産党が国会報告・要求懇談会


日本共産党兵庫県委員会と国会議員団兵庫事務所は十月二十四日、神戸市中央区のたちばな研修センターに諸団体を招き、「国会報告・懇談会」を開催。十六団体と八議員団から八十人が参加しました。

国会議員団兵庫事務所長で参院選挙区予定候補の金田峰生氏は、TPP、戦争法案など安倍自公政治の暴走に対し、「民主主義を取り戻すために全力をあげる」と決意を表明。堀内照文衆院議員と大門みきし参院議員(比例予定候補)がそれぞれ国会報告を行いました。

懇談会では―

▽阪神土建労働組合の足立司執行委員長からは、労働環境の改善、とくに収入・日当について要望が出されました。

設計労働単価はここ三年で上がったものの、兵庫県で大工の場合、日当二万円。しかし、「移動に使う車、仕事に使う道具、すべて自分持ち。ボーナスもないので、日当二万円で月二十日働いて四十万円、それだけしかない」、しかも「働いている方のところには(設計単価の)三割、四割減った額しかいかない」と非常に厳しい状況だと説明。そういうなかで「子どもに親が胸を張って仕事を継げといえない」と、若い入職者がほんとうに少なくなっていることもあげ、「現場で働く人の手元に、すこしでも多くの日当が届くような施策をぜひ考えていただきたい」と訴えました。

▽兵庫県国家公務員関連労働組合共闘会議の大森順子議長は、「(懇談会の)案内をいただき、機関会議で検討。『初めてなので様子をみてくるように』ということになった」と述べたうえで、「労働条件を守ることは労働組合として当然のことですが、私たちの専門性のある仕事が国民のために役立っているか、ほんとうに役立つ仕事をしようということも自分たちの労働組合の任務と責任だとして運動している」と国公労連の活動を紹介。

時の政権のもとで仕事をしなけらばならないだけに、「ほんとうに国民のための仕事を公務員にさせるようにしてほしい」と訴えました。

▽ひょうご借り上げ住宅協議会の段野太一氏は、県、神戸市、西宮市が〝URからの二十年の借り上げ期間満了〟をもって強硬に退去を迫っていることを強く批判するとともに、神戸市条例改正について募ったパブリックコメント七百五十数件のすべてが反対意見であったこと、兵庫県弁護士会も意見書を提出するなど全面的に応援してくれていること、堀内議員や山下議員の質疑が自治体に大きな影響を与えたことなどを紹介し、裁判闘争も含め、希望者全員の継続入居を求め頑張る決意を述べました。

ただし、入居者も支援者も高齢であり、「ぜひ力強いバックアップをいただきたい」と要請しました。

このほか、共済をめぐる保険業法・TPPの問題や、マイナンバー、国民健康保険の都道府県化、年金・介護保険・後期高齢者医療、中学校給食、青年の雇用・働くルールの問題などでのとりくみや要求についての発言も相次ぎました。


(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

憲法が輝く兵庫県政へ(5):医療

すすむ医療崩壊

兵庫県保険医協会事務局主幹 角屋洋光

「救急患者たらい回しで死亡」「小児科閉鎖」「産科閉鎖」など、社会に衝撃を与える事件がおこる度に、医療崩壊がおきていると叫ばれてきました。今、兵庫県下の医療事情は一体どうなっているでしょうか。


県下の救急搬送人数は、二〇〇九年十九万八千三十人から、二〇一三年二十二万九千九百九十一人へと、この五年間に約三万人、一六%増えています(グラフ:データは記事末尾に掲載)。兵庫県の人口は、二〇〇九年約五百六十万人をピークに、二〇一二年約五百五十七万人へと減少していますから、救急搬送増加の実態は、実数の一六%以上に悪化していることになります。一方で、県下の「一般・療養病床」数は、二〇〇五年五万三千百床から、二〇一二年五万三千五百二十一床へと、七年間で八%増えたにすぎません。救急医療は困難さを増していると言わざるをえません。


医療崩壊が進む原因は、診療報酬の引き下げや消費税負担などで、病院経営が疲弊し、必要な医師の確保や、病床が確保できないためです。特に公立病院は、公立病院ガイドラインによって独立採算を求められる中で、病院の統廃合や医療機能の再編などが進められる中で、矛盾が大きくなっています。


例えば但馬医療圏は、兵庫県の面積で四分の一を占める広域圏ですが、人口は県の三%しかいない過疎地域です。但馬では九つの公立病院が地域医療を分担していますが、九病院の全病床数は、かつては約千六百床で、約二百名の医師が奮闘していました。しかし、二〇〇六年当時ですでに三十名以上が欠員となっており、夜間救急の制限や、小児科や眼科などが休診になるなどの事態に至っていました。

その後、病院のあり方をめぐって見直しがおこわれましたが、二〇一五年の病院名簿によれば、現在の許可病床は一千四百十六床で約百六十床も減っています。医師数は、百九十四名で一見確保されているように見えますが、基幹病院である豊岡病院が二〇〇六年八十三名から二〇一五年百二十一名へと三十八名増加しており、他の八病院は合わせても八十二名から七十三名へと、九名の減少です。これは県の方針で基幹病院に医師を集中する一方、他の公立病院は医師不足に拍車がかかっている状況です。


県は救急医療体制の整備を名目に、予算と医師を豊岡病院に集中配置し、「ドクターヘリ」を導入しました。ドクターヘリによる診療患者数は、二〇一四年度で一千百九十二名に及んでいます。つまり、一日平均三回を超える出動となっているのです。一見、華々しいドクターヘリの大活躍ですが、他方では、救急担当医以外の医師不足や、他の公立病院の救急機能がおちてしまい、それぞれの公立病院が本来の機能を果たせなくなるなどの問題がおこっています。


また、周産期医療では、県は豊岡病院に「但馬こうのとり周産期医療センター」をつくり本年から稼働することになっています。但馬地域に周産期医療センターをつくるのは、歓迎すべきことですが、問題はそのために産科医師を豊岡病院に集中させることです。

これまでは、豊岡病院、日高病院、八鹿病院で出産が可能(かつては香住病院を加えた四病院)でしたが、但馬全域で出産できる病院は豊岡病院だけになる可能性があります。


少ない医師と病院経営の効率化を優先するという前提のもとでは、病院や病床を減らして医師と医療機能を集中させることで地域医療を守ろうとするのは、与えられた条件を変えることができないとすれば、一つの解決策です。しかし、それではセンター病院以外の、その他の病院はますます疲弊し、病院として残ることは困難となります。その結果、住民は身近なところにある安心の医療施設を失うことになり、地域自体が益々疲弊していくことになります。

大元の問題は、国が医師を増やそうとしないこと、公立病院の黒字を優先する姿勢にあります。井戸県政は、国の方針に従って公立病院の統廃合や機能の再編を進め、ドクターヘリに胸をはっていますが、極端な機能集中は、逆に地域医療をゆがめ、住民の安心・安全を遠ざけるものです。国の方針を変えられない前提とするのではなく、県政で可能な手をつくすことこそ求められています。


「救急搬送の状況」グラフのデータ(各圏域上段は搬送件数、下段はその09年度比)
圏域名 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年
神戸 55,381 60,424 62,587 63,140 65,157
神戸09年比 1 1.09 1.13 1.14 1.18
阪神南 39,108 41,186 42,553 43,606 45,454
阪神南09年比 1 1.05 1.09 1.12 1.16
阪神北 24,561 26,223 26,981 27,803 28,010
阪神北09年比 1 1.07 1.10 1.13 1.14
東播磨 23,937 25,656 26,783 27,203 28,423
東播磨09年比 1 1.07 1.12 1.14 1.19
北播磨 9,640 10,386 10,475 10,741 11,024
北播磨09年比 1 1.08 1.09 1.11 1.14
中播磨 20,611 21,583 22,751 23,377 23,631
中播磨09年比 1 1.05 1.10 1.13 1.15
西播磨 9,061 9,720 10,103 9,969 10,220
西播磨09年比 1 1.07 1.11 1.10 1.13
但馬 6,955 7,351 7,779 7,740 7,692
但馬09年比 1 1.06 1.12 1.11 1.11
丹波 3,767 4,158 4,411 4,619 4,746
丹波09年比 1 1.10 1.17 1.23 1.26
淡路 5,009 5,236 5,332 5,573 5,634
淡路09年比 1 1.05 1.06 1.11 1.12
合計 198,030 211,923 219,755 223,771 229,991
合計09年比 1 1.07 1.11 1.13 1.16


(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

甲東平和を考える会が学習講演会「安保法制と今後を考える」


西宮市の甲東平和を考える会(吉村平会長)が十月二十五日、アプリ甲東で、関西学院大学法学部の長岡徹教授を講師に、学習講演会「安保法制と今後を考える」を開催。百十人が詰めかけ、満席となりました。

長岡氏は、「憲法から平和と安全保障を考える」と題して講演。安保法制は第三次「日米防衛協力のための指針」の一部に位置づけられており、すでに実施されていると注意を喚起した上で、国会審議で明らかにされた安保法制の問題点を復習。戦争への道を許さない国民運動の展望として、アフガニスタンの緑化などで示された「戦わない国」ブランドに対する信頼の重要性を強調し、憲法を守る活動を続けていくこと、若い人との共同を広げることを訴えました。

この日は、SEALDs KANSAIの鈴木詩穂さん(関学生)と、安保関連法に反対するママと有志の会・兵庫の有村陽子さんも招かれ活動報告をしました。

福島県出身の鈴木さんは、原発事故をきっかけに社会や政治について考えるようになったこと、大学への道々に地域の人が張った戦争法反対ポスターに勇気づけられたことを語り、平和と民主主義を守ってきた先人の取り組みを大事に受け取り、次の世代に手渡したいと決意を述べました。

有村さんも、街頭宣伝も子どもを連れてデモに参加するのも初めてで、ママ友に批判されないかなど勇気がいったが、「だれの子どももころさせない」、政治に殺させてはならない、絶対守りたい、と訴えました。

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

戦争法廃止!:九条の会が、日本共産党支部が、革新懇が宣伝―神戸市西区

戦争法(安保法制)が強行され一カ月たった十月十九日、神戸市西区各地で戦争法を廃止する宣伝行動が行われました。

*
区南端の玉津地区では、たまつ九条の会がイズミヤ前で会員七人で戦争法廃止の署名行動を行いました。


「安倍がテレビに出たらチャンネルを変える」「選挙で安倍を勝たせたのが悪い」「野党は協力して」など対話がはずみ、二十一筆の署名が集まりました。自転車での買い物客が多く、訴えが難しいなか署名をしてもらいました。

区北端の桜が丘では、地元の共産党の支部が六人がジョイフル前で、「戦争法を廃止しよう」とハンドマイクで訴えながら「国民連合政府」の呼びかけビラなどを百十五人の方に手渡し訴えました。

西神中央駅前では、西区革新懇が世話人会の「毎月十九日を宣伝日にしよう」との申し合わせにより、第一回の宣伝行動を十人の参加で行いました。
帰宅中の労働者らに訴えのビラを二百五十枚手渡しました。戦争法の成立以前よりも受け取る人が増えていて戦争法を廃止してほしいとの市民の声が伝わってきました。参加者のひとりで教員OB九条の会の人は、手持ちの署名用紙二枚全部に十筆の署名をしてもらいました。
西区革新懇は、次回以降は「総がかり」の二千万署名と宣伝に取り組みます。
(新谷良春=西区革新懇)

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

10・21国際反戦デー兵庫県集会

「平和憲法を守る兵庫県連絡会」主催の「10・21国際反戦デー兵庫県集会」が十月二十一日、ひょうご共済会館で開かれました。

主催者を代表して大野義政自治労県本部副執行委員長があいさつし、「国民はいずれ理解してくれる」といって「憲法違反の戦争法を強行採決した」が、「国民は忘れない」、「安倍政権許さない大きなうねりを」と訴えました。

兵庫県弁護士会憲法問題委員会副委員長の八木和也弁護士(中神戸法律事務所)が「戦争法制と今後の私たちのたたかい」―民主主義って何だ―と題して記念講演を行いました。八木氏は「安倍総理が破壊したのは法の支配、国民主権であり、クーデターと同じ。次にくるのは憲法改悪、安保条約改正。今後、安保条約十条を発動させる運動が必要だ」と指摘。「戦争法反対運動に現れた、若者やママの会の運動に感動した。時代は変わった」と若者への期待を述べました。

集会は最後に「戦争法廃止」「平和憲法守れ」の「大きな運動を作り上げていきましょう」。とのアピールを拍手で採択しました。


(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

無実の人を救う文化のつどい


「無実の人々を救う文化のつどい」が十月二十五日、兵庫県民会館で催されました。国民救援会兵庫県本部をはじめとする実行委員会が呼びかけたもので二百人が参加しました。

西田雅年弁護士による開会挨拶に続き、第一部では、神戸で活躍する劇団有志の協力による構成劇『痴漢えん罪・その時家族は』が上演されました。第二部は、えん罪布川事件の元被告桜井昌司さんによるコンサート。

それぞれ、事実をもとにした迫真の演技、自らの体験に基づく感動の歌声に、えん罪にまきこまれた当事者と家族の苦悩が胸に迫り、参加者は、警察への怒り、えん罪をなくすことへの決意を新たにしました。

最後に、六つの事件関係者・支援者が紹介されました。とくに、二十三日、大阪高裁で再び再審開始決定を勝ち取った東住吉事件で被告とされた朴龍晧さんの姉が大きな拍手が起こるなか、支援のお礼を述べました。

次々とえん罪への怒りと無実の人々を救う運動への希望が語られ、感動のつどいになりました。
(近藤正博=国民救援会県本部事務局長)

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

川西『まち研カフェ』〝お茶を飲みながら市政を語り合おう〟

「子どもの未来をかたろう」―第5回まち研カフェ

川西市は、政府の進める地方創生のもと、▽公共施設の再配置という名目で、公立幼稚園と保育所を中学校単位に統廃合し、認定こども園を建設したり、小学校を統廃合▽ホール・福祉の複合施設をPFI事業で百億近い金額で契約し設計から運営まで丸投げ▽消防施設やごみ処理センター、市立病院の移転など次々と計画しています。大型ごみ処理を有料化したり、保育所の待機児童解消などにはお金が無いといい先延ばししながら、こうしたハコモノ事業ばかりを市民に説明も不十分なまま進めています。

こうしたなか、市政についてもっと知りたい・考えていきたいという市民の声に応え、お茶を飲みながら、助言者も招いてみんなでざっくばらんに話し合おうという『まち研カフェ』を川西まちづくり研究会で企画しました。

第一回は、市で起きている問題全般をテーマとし、参加者から質問が飛び交いました。二回目以降はテーマを絞り、②公共施設の再配置とPFI事業③マイナンバー制度④低炭素型複合施設―について七月から順次、四回取り組んできました。

十月二十四日に開催した五回目のテーマは「子どもの未来をかたろう」。子連れのママなど七十人が参加しました。

保護者などの連絡会、子育て真っ最中のママ、保育現場で働く保育士などから、この間の運動が報告され、日本共産党の黒田みち市議から市の公共施設の再配置計画などが報告されました。助言者として招いた中山徹奈良女子大教授には子育てとまちづくりをテーマに講演していただき、その後、自由討論で質問にも応じていただきました。

参加者からは「今日の話を周りに広げたい」「市民の願いに沿った子育て環境を作って欲しい」「そうした運動を作っていこう」との声が出されます。今回の企画をいっしょに進めてきた諸団体と協力し、運動を発展させていきたいと考えています。
(吉岡健次=川西まちづくり研究会事務局)

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

三菱重工神戸・河原冷熱アスベスト裁判結審


三菱重工神戸造船所の下請け・河原冷熱で働いていた故・鳥居肇さんがアスベスト被曝の補償を求め、二社を相手に起こした裁判が十月二十二日、神戸地裁で初公判から二年五カ月で結審しました。

裁判長から和解の打診があり、十一月九日までに合意が得られれば交渉期日を連絡することになりましたが、いずれにせよ判決は来年三月二日に行うことが決まりました。

二十二日は原告弁護団が最終準備書面総論を提出しました。この間の膨大な書証、証拠、主治医の意見書、労災認定書、判例などと共に、妻・三重子さんの証言、鳥居肇さんの職場である修繕船内でのアスベスト作業の実態についての三菱重工OBの加藤利夫さんの証言などで、アスベスト被曝を原因とする肺がんで亡くなったことを立証し、三菱重工と河原冷機の企業責任を明らかにしました。
 (泊満春)

写真:鳥居肇さんの妻・三重子さん(前列左から3人目)と弁護団、支援者

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

ノーモアヒバクシャ近畿訴訟・傍聴記:2015-10-22,23

被爆の実相への、ひどすぎる無知

副島圀義

十月二十二日(大阪地裁)、二十三日(高裁)と、二日分の傍聴記です。地裁では原告被爆者ご本人の証言。高裁では国側がたてた医師の証人尋問でした。

いずれも、被爆の実相を知らないし、知ろうともしない国の姿勢があらわになった弁論でした。

地裁 内田和子さんの証言から―


長崎。爆心地から南へ三・八㌔㍍で被爆(十三歳)。

いったんは近所の防空壕に避難したが二日ほどたってから佐賀県嬉野に疎開。両親、姉、弟といっしょに爆心地付近を歩き、道ノ尾駅(爆心地から北へ四㌔㍍)から汽車に乗った。途中の道では、右も左も遺体を積み上げて焼いていた。駅裏で野宿したが夜通し「水をくれ」の声が聞こえて、今も忘れられない。

神戸に来て三十代になってから頭痛、疲労感がひどくなり三十七歳で乳がんに。その後医師から「被爆者手帳は?」と聞かれてはじめてそんな制度があることを知った。すでに手帳をとっていた母や姉に調べてもらい、同じ内容の申請書を出して手帳をもらった。父は食道がん、母は肺がんで亡くなり、姉、妹、弟もがんや心臓病…。

嬉野への疎開の時期について、内田さんの記憶と、被爆者手帳申請書に書かれていることに一、二日の食い違いがあることが、国が病気と被爆との因果関係を否定するほとんど唯一の「根拠」のようでした。

「防空壕を出たのが何日かカレンダーか何かで確かめたか?」(原爆投下直後の防空壕にカレンダーがあるのか。内田さんは「そんなもの、あるはずがないでしょ」と)。

「電車がいつどこから動いていたか?」(弁護士から「汽車」と指摘されそこでは言い直してもまたすぐ「電車」と言います。その時代の交通機関についてのお粗末な無知ぶり)。

「なぜわざわざ爆心地の近くを通ってまで疎開しようとしたのか?」(いつまでも防空壕に居られないでしょう)。

などなど、少しでも原爆投下直後の長崎のことを知っていたら聞けるはずのない「尋問」。しかも「手帳申請書にウソを書いたのですね」「虚偽の申請だったら手帳の返納を命じられることも知っていましたね」と、まるで被疑者取り調べの調子(若い女性訟務官ですが、検事あがりか?)。

高裁 国側証人の医師尋問から―


心筋梗塞での原爆症認定訴訟で一審勝利した梶川一雄さん(故人)に対し、国側が控訴。この日は循環器の専門医を国側が証人にたて「梶川さんの心筋梗塞発症は被爆と無関係」と「立証」しようとします。医師と国側代理人は、医学上の専門用語を並べ「心筋梗塞発症の危険因子はたくさんあって、放射線の影響を考慮するまでもない」と言います。いままでの裁判ですでに決着済みの「いろいろな危険因子があったにしても、被爆がそれを増幅させたことは否定しがたい」ということへの「反論」にはぜんぜんなりません。

梶川さん代理人弁護士の「証人が危険因子としてあげた、善玉コレステロールが低いことや腎臓病自体が、被曝と有意な因果関係にある」との指摘には反論もできず。

「心筋梗塞について、被爆者集団と非被爆者集団との差違に関する疫学的研究業績をお持ちか?」と聞かれて「ありません」としかこたえられませんでした。

十一月二十七日には弁論終結の見込みです。

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

福太郎さんのこと:大門みきしエッセイ(5)

九月末に風邪をこじらせて急性肺炎になり、二十日ちかく入院・療養しました。病中、たくさんの方にご迷惑、ご心配をおかけし、またフォローもしていただきました。おわびとともに心から感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

三十八度以上の熱が数日つづくとあらぬことを考えてしまうもので、妻になにかほしいものがあるかと聞かれ、天むす(えび天の入ったおにぎり)とこたえました。おそらく、この世の最後に食べたいと思ったのが天むすだったのでしょう。

おなじ病室の福太郎(仮名)さんとお話しするようになりました。身よりのない七十二歳。重い病気にもかかわらず、いたってのんきな自由人で、病室でたばこを吸ったり、用もないのに呼び出しボタンを押したり、いたずらばかりしていました。女性の看護師さんたちも慣れたもので、けっして怒らない。お見舞いに来る人がいない分、家族のように接してあげていました。福太郎さんをみているとあまりに屈託がなく、人間、なにが幸せかわからないとおもいました。

退院する日の朝、福太郎さんにあいさつをしようとカーテンの中をのぞいたら、まだ眠っておられました。もう充分生きた、と言っているような平穏な寝顔でした。

病院を出て、秋色に変わる街路樹をみながら、誰でもいつかはお迎えがくる、そのときは、なにが食べたいなどと騒ぐことのない人間になっていたいものだとおもいました。

(参院選比例予定候補)

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

俳句:新俳句人連盟兵庫支部

第九条逆光に透く狗尾草
俊子

秋小寒「英霊」迎えた小女たち
よし子

両の手を溢れ出そうな星月夜
昭子

冬瓜に耳・目・口あり年金日
邦子

(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)

ひなたぽっころりん(565)



(2015年11月1日付「兵庫民報」掲載)