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2015年1月11日日曜日

阪神・淡路大震災20年:いま、何が問題になっているか(下)

日本共産党神戸市議 森本真

被災から20年経過しても、なお未解決問題が残されています。また高齢化した被災者をさらに苦しめる施策も進められています。(前号の続き)

災害援護資金返済


残された2つ目の課題は、災害援護資金返済問題です。

被災者生活再建支援法がなかった阪神・淡路大震災当時、被災者生活再建支援法もなく個人補償を否定する政府、行政によって、何の支援策もありませんでした。

このため、被災者にとっては災害援護資金だけがよりどころとなりました。住宅・家財を失い、これからの生活の糧・営業再開の糧として、150万~350万円を貸りました。

この制度は、国が3分の2、残りを都道府県か政令指定都市が負担します。兵庫県では計1,309億円が貸し付けられました。据え置き期間5年、償還期間10年です。貸付利率は3%、連帯保証人は必須とされました。

しかし、生活再建は遅々として進みませんでした。借りた援護資金が返せない被災者が続出しました。日本共産党は、免除要件の緩和、少額返済を申し入れ、認めさせました。

最も少ない少額返還者は毎月1,000円ずつの返済です。しかし、これでは100年経っても返済できません。生活保護となっても猶予されるだけで、免除とはなりません。負の遺産として、子どもや連帯保証人に相続されます。償還免除事由は「死亡または重度障害」のみです。

2013年9月現在、1万1,000人、約166億円分が未返済となっています。

国費の償還については、5年、3年、3年と再々延長され、経済的困窮度の高い少額償還者や借受人が破産や無資力状態、行方不明などによる回収困難の増加で多額の未償還金が残ることが確実となっていました。

2014年3月、政府は、阪神・淡路大震災からの生活再建のため、国などが原資をだして自治体が被災者に貸した災害援護資金について、返済期限から10年を過ぎても「無資力状態」の場合、返済を免除する、という方針を初めて示しました。

東日本大震災では、返済期限から10年を経過した時点で「無資力」で返済できる見込みのない場合に返済を免除する規定があります。連帯保証人も必須条件ではありません。

同年3月12日の衆院災害特別委員会で内閣府の西村康稔副大臣(当時)は、返済期限を「基本的にはさらに3年間延長する方向」「この延長で最初の支払い期日から10年を経過することになり、法律に基づき、東日本と同様の取り扱いをすることになる」と表明しました。

神戸市も、「国との協議中で、来年6月には10年を経過する人がでてくるので、少額償還者、保証人の返済免除も強く要望している」と議会で答弁しています。

新長田駅南再開発事業


3つ目の課題が新長田駅南再開発事業です。

阪神・淡路大震災では新長田駅南の4つの商店街(一番街、大正筋、六間道、西神戸センター街)とマルハ市場が地震後の火災で大きな被害を受けました。

総額2,710億円、20.1ヘクタールの西日本最大の巨大再開発が震災後2カ月後に都市計画決定され、40数棟のビル建設計画がはじまりました。

仮設店舗「復興バザール・パラール」が約100店舗で営業を再開しました。火災で店舗も商品も失ったマイナスからの出発でした。ビル建設ごとに仮設店舗に移り、最終的に本店舗を持てたのは震災12年後でした。その間に200あった被災商店は半減していきました。

新長田駅からビルとビルとをつなぎ、駒ヶ林駅までつなぐ地下・地上・2階の3層構造の広大な商業床は埋まらず、50%以上が神戸市の空き床となり、売却から賃貸へと変わっていきました。

また、神戸市自体がビルを建設することもやめ、民間の不動産会社に土地を売却し、分譲マンション等を建築するように変わりました。

さらに、商店と住居の合築ビルの高い共益費や管理会社である新長田まちづくり会社の不誠実な対応は、被災商店の資産価値を落とし、「売るに売れない、貸すに貸せない」状態が生まれ、「復興という名の地獄」と揶揄されるまでになり、商店主が裁判を行うまでになりました。

状況打開のために商店主らが議会に陳情。日本共産党は、震災復興にふさわしい被災商店への直接の支援で、元気な商店街に再生することなどを求め、論戦してきました。

また、長田TMO(中心市街地活性化協議会)やNPO法人鉄人プロジェクトは、鉄人28号実寸大モニュメントや三国志のまちづくり、ぼっかけなど観光客をはじめ人が集まる集客企画を展開し一定の効果が表れています。国道2号以南の「アスタくにづか」エリアでは地元商業団体が主体となって「くにづかリボーンプロジェクト」が発足しました。にぎわいづくりへの取り組みやタウンマネジメントなどを議論し、まちのマスタープランを検討することとなっています。

商店街の復興に、再開発手法がなじまないことは、震災復興だけでなく全国で失敗例がいくつもでています。被災商店主から同じ過ちを繰りかえさないようにとのアドバイスが東日本の被災地の商店街には届いています。

阪神・淡路以降の震災と東日本大震災、そして豪雨・土砂災害へ


阪神・淡路大震災以降も、中越、中越沖地震などの「地震列島日本」といわれるとおりの災害が発生しました。

阪神・淡路の教訓を生かし、中越地震では、旧山古志村(現長岡市)の全村避難に対して、仮設住宅も集落ごとに建設し、地域コニュニティーを守り、孤独死を出さない取り組みが進められました。

阪神・淡路では、地場産業・中小企業に対する支援は、融資しかありませんでしたが、能登半島地震では、輪島塗など地場産業を守る取り組みが行われました。

東日本大震災は、現在も復興途上ですが、住宅再建と生業の再建は、遅れています。福島の原発事故への対応も含め、被災者の立場に立った施策が必要です。

また近年、豪雨・土砂災害などが全国各地で頻発しています。激甚災害に指定されず、被災者支援法が適用されない全壊世帯など、被災者生活再建支援法の見直しも急務になっています。

国や自治体は、「自助・共助」を強調し、「公助」は最小限としていますが、間違いであるのは明白です。住民のいのち・くらし・財産を守るのが国や自治体の役割です。

「災害対策」は、国や自治体のあり方が問われています。

昨年の総選挙での躍進で、兵庫の堀内照文氏が比例近畿ブロックで当選し、中国ブロックで当選した広島の大平よしのぶ氏とともに災害対策特別委員会の委員になりました。阪神・淡路大震災20年の節目の年、被災者に冷たい政治を力を合わせて改善したいと決意しています。 (終わり

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

日本共産党新春宣伝に人垣

躍進の流れ広げ 安倍暴走政治ストップ!いっせい地方選挙勝利!



日本共産党は、昨年の総選挙での躍進を受け、この春のいっせい地方選挙勝利、安倍政権の暴走ストップ、国民の願い実現をと、元旦から各地で新春宣伝にとりくみました。

4日には神戸元町・大丸前で清水ただし、堀内照文の両新衆院議員が宣伝。また、西宮市区選出の、いそみ恵子県議と神戸市中央区市政対策委員長の大前まさひろ氏もいっせい地方選挙予定候補として挨拶しました。司会は金田峰生党国会議員団兵庫事務所長。

郵便局の非正規職員出身の大前氏は、労働法制改悪を強く批判するとともに、神戸市政でも中学生までの子ども医療費無料化、自校方式での中学校給食、敬老パス無料化など市民要求実現に全力をあげる決意を表明しました。

いそみ県議は、阪神・淡路大震災以来の被災者のたたかいを振り返るとともに、借り上げ住宅から被災者を追い出そうとしている冷たい県政・市政を改めるため奮闘する決意を表明しました。

清水衆院議員は、阪神・淡路大震災でのボランティアを通じ、テレビや舞台から笑いを届けることも重要だけれど、日常生活から笑顔の絶えない、安心して暮らせる世の中こそ必要だと思い政治家をめざしたと語り、地方自治法に定める住民の命と暮らしを大切にする県政・市町政の実現へ、日本共産党が議席を増やし、住民の声を届けることがいまほど求められている時はないと強調しました。

堀内衆院議員は、戦後70年、安倍自公政権の「戦争をする国づくり」は許されないと批判。日本共産党がすべての委員会に委員を送れるようになり、他党から「やりにくくなるな」との声が漏れるなど、国民の声を届け正論を貫く日本共産党21議席の役割をずっしりと感じたと報告。阪神・淡路大震災20年の節目に被災地から国会に送り出してもらった重みを受け止め、明るい未来を実感してもらえるよう奮闘したいと決意を語りました。


大丸前には100人を超える人垣ができ、「がんばれー!」などの声援や拍手が巻き起こりました。


(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

2015年県議選候補者発表(第5次分):神戸市北区

日本共産党兵庫県委員会は12月25日、2015年いっせい地方選挙の県議候補第5次分を発表しました。

◎神戸市北区 定数3

平松順子(65)新

法律事務所で働きながら神戸大学法学部第二課程卒業。新日本婦人の会県本部事務局長など歴任。01年参院選と14年をはじめ4回の衆院選に立候補し奮闘。現在、兵庫県憲法会議幹事、党兵庫県委員会常任委員、平和運動部・女性部・児童部部長、北区県政委員長。
(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

「公共交通 粟生線シンポジウム」

行き過ぎた「規制緩和」が招いた危機



神戸電鉄粟生線の問題をみんなで考えようと、「公共交通 粟生線シンポジウム」が12月14日、神戸市北区・谷上駅前の谷上SHビルで行われ、約100人の市民が参加しました。

このシンポジウムでは、猫のたま駅長で有名になった和歌山電鉄貴志川線の再生をてがけた岡山の小嶋光信両備グループ代表兼CEOが基調講演、松本修治さん(神戸電鉄企画部長)、ゆいみのりさん(粟生線の未来を考える市民の会・世話人)、佐藤フミ子さん(みんなで乗って残そう神戸電鉄粟生線北区連絡会)がパネリストになり、行われました。

小嶋光信さんは、社員を大切に、首を切らないなどの経営理念を語るとともに、公共交通を民間に任せているのは日本だけ、公共交通まで行き過ぎた「規制緩和」を行ったことで地方鉄道の危機を招いたことなどを批判。日本の地方鉄道の抱える問題点を詳しく解明して話しました。

さらに、危機に陥った公共交通の再生を引き受けた実例を紹介。三重県の津エアポートラインの再生で、「公設民営」を導入したことも報告しました。

また、小嶋氏が、国に制定を求めてきてつくられた、交通政策基本法や地域公共交通活性化・再生の法律などについて、制定の経過や、これからの問題なども、わかりやすく、ていねいに話しました。

小嶋氏の実践に裏付けられた話に、参加者からたびたび拍手が起こりました。また、他のパネリストの発言にも、ディスカッションで質問、意見がたくさん寄せられ、応答が行われました。

最後に、小嶋氏が「このシンポジウムが出発点」と呼びかけ、参加者は大きくうなずいていました。 (松本勝雄)

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

阪神・淡路大震災20年:読者の手記(1)

震災20年の市場

山内英正(66歳・芦屋市)

先日、歴史散歩で久しぶりに須磨区の板宿市場を訪ねた。市場で商いしている人も参加し、改めて震災後の苦労話や市場の現状について話を伺った。惣菜も野菜・果物もなぜこんなに安いのかと、驚嘆しながら仲間と練り歩いた。

私は当時の新聞記事をスクラップブックに貼って持っている。震災当日夕方、すぐに商売を始めた店があった。2日後には市場の3分の1の店に活気が戻っていた。それは、工期や費用がかかっても、子や孫世代の安全のため、重いアーケードを支える支持杭を地下8メートルも打ち込み、耐震強化していたからだ。大火が起こらなかったことも幸いした。

我が家の徒歩圏内の市場の1カ所は、瓦が礫れきの撤去とともに区画整理で無くなった。もう1カ所は低層ビルに建替えられたが、20年経つと、世代交代や景気後退のなかで、従来の商いをしている店は数軒となった。事務所や空き店舗が目立ち、市場の雰囲気はなくなった。

懇意にしていた寿司屋の主人は、奥さんが出前の途中で交通事故死してすぐに持病が悪化し、店をたたんでしまった。不要になった寿司桶が店先に積まれ、「自由にお持ち帰りください」という、紙片が貼ってあったことを思い出す。

老夫婦の果物屋は今も健在だが、近隣の店との競合のなかで経営は苦しかろう。時折訪ねて短い立ち話をする。

私は月1度、市民講座の講師として尼崎に出かける。その折、中央商店街や三和市場で食材を買うことを楽しみにしている。阪神タイガースの応援歌は地域の人々への応援歌に聞こえる。それでも本通り横のナイス市場は、地主による立ち退き要請でシャッター街化した。土地が自前の乾物店も、あと追うように閉めた。昨年まで行なっていた独自の歳末抽選会は無くなったが、名物スープたこ焼屋のお姉さんは元気一杯だ。

震災や不況を乗り越えて、日々働き続ける地域の人々の、新年の幸多かれと祈るばかりである。

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

阪神・淡路大震災20年:読者の手記(2)

暮らしを大切にする運動を学んだ

神野忠弘(75歳・神戸市須磨区)

ちょうど玄関を出て、門柱の郵便ポストの「しんぶん赤旗」を小脇にかかえた時だった。大地震が発生。自宅も周りの住宅も揺れ放題。電線はショートし火花を散らして停電。自宅は半壊。家具や本棚は転倒。棚のものは散乱。家族4人の安否を確認して、すぐに爺、婆の家の安否確認にバイクを飛ばした。

道路は寸断。交通手段はなかったがバイクは走れた。勤め先にはバイクを飛ばした。途中でガス漏れの住宅があり、そこはバイクを押して通るように指示された。勤め先では完成した鉄道車両があちこちで台車から落ちていた。街は大火が続いたが、工場はすぐ復旧した。

私は55歳。その夜から小学校の避難所ボランティアに参加した。身ごもった人、幼い子を抱えた家族、お年寄り――いざとなれば急いで逃げられない、と避難してきた。

その後は、板宿本通での日本共産党の炊き出しに参加した。飲み水の配達、支援物資の配達。この時に全国各地の共産党から届く米や支援物資を中学校まで受け取りに行った。一宮町の後援会が餅つき支援をしていた。

全国各地からの支援物資はありがたかった。あの時、おにぎりと豚汁に被災者は涙を流し感謝した。本当に元気をもらえた活動だった。

その後、兵庫労連で救援・復興県民会議と机を並べて生活相談、労働相談の相談員をさせていただいた。大量の派遣切り、寮からの追い出しなどの相談に対処した。1人でも加盟できる地域労組づくりにもとりくんできた。その間に、神戸空港より被災者支援をと住民投票運動にも参加した。

その中で、支え合い、人の暮らしを大切にする運動を学んだ。

それにしても財界と富裕層は身勝手だ。社会的に少なくなったパイを先取りしようとしていることは許せない。それに対して、国民のいのちと暮らしを第一にするぶれない政党があるのはうれしいことだ。

今後も、暮らしの助け合いと、これまでの運動の教訓を大事にしたい。

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

ノーモアヒバクシャ近畿訴訟・傍聴記:12/10、12/12

〝被爆70年〟最初の判決1月末に

副島圀義

12月12日に大阪高裁、10日と12日に同地裁と、公判が連続しました。

地裁では、原告の高橋一有さんと宮本義光さんが、それぞれ意見陳述されたのですが、お2人とも「これからは公然と名を名乗って裁判に臨む」とおっしゃいました。

「ずっと被爆のことを隠してきたし、原爆手帳をとったのも平成元年だ。裁判を傍聴して、国側代理人からあんな尋問をされるのはいやだ、とも思っていた。けれど、このまま『なかったこと』としてすますわけにはいかない。裁判所には被爆者の姿をしっかりうけとめていただきたい。そんな思いで、はっきり名前を出して臨んでいきたい」(高橋さん)。わたしも、これからは差支えなければお名前を出して書こう、と思ったことでした。

高裁では、国側が「(放射線の人体影響を過小評価し続けてきた〝御用学者〟らの)連名意見書」にもとづく証人を申請。原告側弁護士は「20年以上も前の松谷訴訟以来の蒸し返しであり、裁判を長引かせるだけのもの。証人採用されるべきではない」と厳しく批判。裁判官は合議のうえ「証人採否は保留するが、次回で弁論終結ということもありうる(証人採用しない)」と述べました。国側の「遅延戦術」がやんわりと批判された形です。



1月30日には全国のノーモアヒバクシャ訴訟の、被爆70年・最初の判決が大阪地裁で出されます。

安倍政権が核兵器の非人道性を直視しようとしないこと(注)に、世界の批判が集中しているさなかの裁判にご注目ください。


【注】
12月はじめ、ウィーンで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」。大半の参加国が「核兵器爆発の破局的危険性を防ぐためには禁止廃絶しかない」と主張するなかで、日本政府代表が「悲観的すぎる。あきらめるのでなく、被害者の救出の研究をすべきではないか」と発言。

日本政府が被爆者に、直後から可能なかぎりの救済策をとっていたのなら、一理あるかもしれません。

しかし政府がやってきたことは、
―原爆被害を隠ぺいし、生き残った被爆者を放置・虐待
―世論に押されての医療援護制度も「一般の戦争被害者にはなんの援助もないなかでの特別扱いだ」との恩きせがましいやり方
―今なお、放射線の健康影響への過小評価にたった原爆症認定却下…。

こうした文脈で「悲観的すぎる」というのは「核兵器の使用はありうる」との立場を、国際政治の場で公言したことにほかなりません。


(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

「みんぽう川柳」大募集!

これから毎月、読者のみなさんの川柳を募集します。

1月の題は「選挙」。応募は1人1回に2句。葉書またはメールに作品とともに氏名・年齢・住所・電話番号を明記し、1月25日(日)必着で編集部まで(宛先は1面下に掲載しています)お寄せください。選者は島村美津子さん。特選の1句には賞品として図書カード500円分を贈呈します。

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

お願い:「兵庫民報」は読者のみなさんの購読料で発行経費を賄っていますので、ご購読いただいていない方はご購読の上、ご応募ください。
 

川柳「ととやみち」 新日本婦人の会東灘支部

晴れ着きて揃いのリボン揺れている
高橋恵美子

赤いリボンの花束もらう母の日に
山元三恵子

自分へのご褒美今日も花を買う
兵頭わこ

百までも歩けますようただ願う
水田裕子

たそがれ時考える度落ちつかず
沖 久代

要りません買うより減らす老い支度
宮川菊代

人生のたそがれ蹴って赤を着る
伊藤マツ子

たそがれを楽しく生きる高齢者
山村みやび

リボンつけぞろぞろぞろと団体が
祖一玉江

車椅子もみじの中へ押してゆく
島村美津子

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

兵庫山河の会「山河」49号より

百年も先の事をば考えて子や孫たちに基地を残すな
西澤 愼

沖縄に平和を築く第一歩知事に翁長氏当選果たす
鵜尾和代

失政の挙げ句の果ての総選挙彼らのピンチ我らのチャンス
古賀哲夫

集団的自衛権は撤回を声涸らしつつマイク握りぬ
岸本 守

気配して振り向き見れば紅葉葉の意志持つ如く吾に付き来る
山下洋美

折り紙のサンタに頼むプレゼント年は取れども届けば嬉し
高木庸子

わが国に初めて響きし「第九」という捕虜の演奏聞きたかりしも
安武ひろ子

葉ボタンとパンジー買ってベランダを少し片付け正月準備
浜野多鶴子

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

観感楽学

「都合のいい大義名分(かいしゃく)で/争いを仕掛けて/裸の王様が牛耳る世は狂気(Insane)/20世紀で懲りたはずでしょう?/燻(くすぶ)る火種が燃え上がるだけ」(「ピースとハイライト」より)―大晦日の紅白歌合戦で、サザンオールスターズの熱唱が心に響きました▼安倍政権が強行した「集団的自衛権の行使容認」はまさに「都合のいい大義名分」で憲法9条を壊し、再び日本を戦争できる国に変えようとする動きそのものに他なりません▼しかし安倍政権が狙う憲法「改定」については、過半数の国民が「反対」と答えるなど、深いところから国民の批判が起こっています。私の周りでも「今まで平和や戦争の問題について目をそらしてきたけど、子どもが戦争にいくような社会にはなってほしくない。憲法9条の大切さが分かった」と語るなど、平和の願いと行動が地域からも広がっています▼総選挙で私たちが訴えた「日本共産党が躍進すれば政治は変わる」ことを示せるかどうかが真剣に問われています。今年は戦後70年の節目の年、いっせい地方選挙の年です▼それぞれの自治体のあり方を問うとともに、地方から兵庫県から安倍政権への厳しい審判を下したいと思います。(Y)

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)