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2015年7月5日日曜日

田中正造の生きざまに惹かれ:公害との闘いの原点・渡良瀬行

横山晴朗

5月に、公害の原点、公害との闘いの原点を2日間にわたってつぶさに見てきました。数年間温めてきた思いの実行でした。

「真の文明ハ山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし」――民衆とともに生きた政治家・田中正造のことばと鮮烈な生きざまに惹ひかれ、栃木県西部・渡良瀬川源流部に、公害の原点といわれる松木(まつぎ)村跡をまず訪ねました。

みどり復活の努力が続く松木村跡の山

明治政府の富国強兵政策のもとで生じた足尾銅山の鉱毒事件。草も魚も死に絶えた松木村跡を訪ねたのち、大挙して東京へ請願に向かおうとしていた村人を力で押さえ込んだ「川俣事件」の現場(群馬県明和町)を見、田中正造の分骨地6カ所を巡り、佐野市郷土博物館(栃木県)で明治天皇に銅山の鉱業中止と村の再生を求めた直訴状を観ました。

最後に訪ねた栃木・群馬・埼玉・茨城の4県にまたがる33平方kmという広大な渡良瀬遊水地ではヨシキリの大合唱、キジとウグイスの伴奏に出迎えられました。

渡良瀬遊水地のところどころに、墳墓のような「○○家跡」が残っています。官憲の有無を言わさぬ、村人の家の撤去。縄を掛けて引き倒される我が家を身を挺して守ろうとする人々。そのありさまが彷彿(ほうふつ)と目前に蘇(よみがえ)るようでした。鉱毒の存在を湖底に隠し去ろうとする国の企みは村人の抵抗に遭い、ついに完全には成し得なかったのです。遊水地の土壌には、銅などの鉱毒物質が、いまだに多く含まれているといいます。

田中正造について語る庭田隆次さん(中央)

田中正造が闘いの中で倒れ帰らぬ人となった102年前、最後を看取った佐野市にある庭田家の人々は、自らは「目玉粥」(薄い粥(かゆ))をすすりながら手厚い看護を絶やさなかったと、田中正造が息を引き取ったその部屋で現在の当主・庭田隆次さんから聞き、田中正造がいかに村人に尽くし、また慕われていたかを知りました。

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今回の渡良瀬行は、田中正造記念館理事・島野薫さんのお力添えで終えることができたのでした。

(2015年7月5日付「兵庫民報」掲載)

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