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2015年6月21日日曜日

観感楽学

1945年4月大連市立常盤国民学校2年1組は、「第5中隊第1小隊」となった。担任は教官殿、級長は小隊長となり左腕に桜の布きれが縫い付けられた。遠足は「夜間行軍」となり、裸足で軍歌を唄い暗闇の海水浴場まで歩いた。「植民地では愛国主義がしばしば行き過ぎる」笑止の沙汰だった▼敗戦間際に血迷った関東軍は少年の30代後半の父親に召集令状を2枚もよこしたが、運よく現地復員となりシベリア送りを免れた。少年の学校は日僑(にっきょう)初等第8校となり、飢餓と壁板も燃料にする寒さで凍死する寸前に引揚船が始まった。これが一家の偽満洲国での10年の暮らしの終焉(しゅうえん)だった▼「ロスケは嫌いなのよ」という引き揚げ女性がいる。少女宅に自動小銃を擬(ぎ)して押し入って来たソ連兵の記憶は70年後も強烈なのだ。が、少女は知らねばならない。「なぜ大連市で生まれたか」「ソ連軍が駐留したのはなぜか」「なぜ日本人が中国語を話さなくてもよかったのか」▼歴史を直視できない安倍政権は、教科書を改竄(かいざん)し、子どもたちに愛国心を強要する。北東アジア諸国民が共有できる近現代史探求の努力は日本の少年少女たちの未来を照らすだろう。列島と大陸に子どもたちの声が谺こだまする日を。 (A)

(2015年6月21日付「兵庫民報」掲載)

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