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2015年6月21日日曜日

ノーモアヒバクシャ近畿訴訟・傍聴記:2015-6-10

国には、せめてもの償いの心はないのか?

副島圀義

6月10日の大阪地裁。1日に亡くなったばかりの原告Yさんの代理人が意見陳述しました。



Yさんは当時4歳。3月の神戸空襲に遭い、お父さんの実家に避難していて被爆したのです。爆心地から4kmあまり離れていましたが、その日から知人・親戚を探すお父さんに連れられて爆心地近くを歩き回っています。真っ黒こげの遺体が壁に張り付いている光景などがいつまでも浮かんでくると話していました。

中学生の時に神戸に戻ってきたが、他の生徒との体力の差に驚いたそうです。顔に膿をもった湿疹がよくできて同級生から「汚い」と言われたこともありました。

被爆者であることが知られたら差別されるので、ずっと隠してきました。体力がないので健康には人一倍気をつかい、野菜中心の食事で酒ものまずタバコも吸わない、「生活習慣病」とは無関係の暮らしでした。

それなのに54歳で前立腺がんを発病。それが治って、再発はないと思われていたのに、一昨年秋に大腸・肝臓・胆管と多発がんの告知を受け、つらい抗がん剤治療に臨んできました。

前立腺がんの際も、今度の多発性がんの際も「原爆症」認定申請をしましたが、国はいずれも却下。

〝爆心地近くを歩き回って浴びた放射線以外に、こんな身体になるはずがない。被爆後どれだけ苦しんできたか、国はわかっているのか〟

Yさんはその思いで裁判をおこしました。体調悪化のなか、4月には入院先での尋問にも臨みましたが、ついに帰らぬ人となってしまったのです。

代理人の弁護士さんが「機械的形式的な審査でなく、じっさいにかなった判断をしていれば、亡くなる前に認定はできたはずだ。被爆者の身体や心を元に戻すことはできなくても、せめて10分な補償をすることが国の責任ではないのか」と切々と訴えたのが印象的でした。

(2015年6月21日付「兵庫民報」掲載)

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