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2015年3月22日日曜日

ノーモアヒバクシャ近畿訴訟・傍聴記:'15-3-10,11

被爆者の命をかけたたたかいが続く

副島圀義

3月10、11日と大阪地裁での審理が続きました。いずれも、新たに提訴した方の陳述(お1人は代理人)でした。

【10日、Wさん】

1歳で被爆。お母さんに抱かれておっぱいを飲んでいる時で、母子ともに家の下敷きになった。ガラスの破片が全身に刺さり今でもその傷跡が残る。子どもの時から下痢、発熱、鼻血、化膿がしばしばで小学校の体育はいつも見学。

お母さんが「被爆者は差別されるから、被爆したことはぜったい外で話してはだめ」といい、家族みんなが被爆者健康手帳をとらなかった。

高卒で就職したが体調不良の原因を話せず、「よく休む」と言われて15回も転職。医療費負担も大きいのでなかなか医者にかかれなかった。

お母さんが亡くなったあと、32歳になってようやく手帳をとったが、すでに高血圧・腎炎などにかかり、以後、慢性腎不全、胃かいよう、十二指腸かいよう、食道バレット腺がんと、多くの病気に苦しめられてきた。しかし国は慢性腎不全についての原爆症認定申請を却下…

【11日、Oさん】

2歳で被爆。下痢や鼻血が小学生の頃まで続いた。父はビルマで戦死(遺骨もない。太ももに貫通銃創を負い、放置されたと聞くが、どこかで生きているのでは、と思ったりする)。

母再婚後の義父からの暴力、住み込みで働きながら定時制高校に通ったことへの同僚のねたみ、等々、30歳ごろまでの極貧生活は思い出すのもいやだ。

ようやく生活が安定したと思ったが50歳で心筋梗塞を発症。冠動脈形成やバイパス手術をうけ投薬治療を続けている。

原爆症認定申請を厚労大臣は却下したが、私の心筋梗塞が原爆放射線と無関係と断言するなら、同じ体験をしてみよ、と言いたい…



9日には同じ原告グループのYさんが亡くなりました。高齢で病気に苦しむ被爆者の、文字どおり、命がけのたたかいが続きます。

(2015年3月22日付「兵庫民報」掲載)

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