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2015年1月11日日曜日

阪神・淡路大震災20年:読者の手記(2)

暮らしを大切にする運動を学んだ

神野忠弘(75歳・神戸市須磨区)

ちょうど玄関を出て、門柱の郵便ポストの「しんぶん赤旗」を小脇にかかえた時だった。大地震が発生。自宅も周りの住宅も揺れ放題。電線はショートし火花を散らして停電。自宅は半壊。家具や本棚は転倒。棚のものは散乱。家族4人の安否を確認して、すぐに爺、婆の家の安否確認にバイクを飛ばした。

道路は寸断。交通手段はなかったがバイクは走れた。勤め先にはバイクを飛ばした。途中でガス漏れの住宅があり、そこはバイクを押して通るように指示された。勤め先では完成した鉄道車両があちこちで台車から落ちていた。街は大火が続いたが、工場はすぐ復旧した。

私は55歳。その夜から小学校の避難所ボランティアに参加した。身ごもった人、幼い子を抱えた家族、お年寄り――いざとなれば急いで逃げられない、と避難してきた。

その後は、板宿本通での日本共産党の炊き出しに参加した。飲み水の配達、支援物資の配達。この時に全国各地の共産党から届く米や支援物資を中学校まで受け取りに行った。一宮町の後援会が餅つき支援をしていた。

全国各地からの支援物資はありがたかった。あの時、おにぎりと豚汁に被災者は涙を流し感謝した。本当に元気をもらえた活動だった。

その後、兵庫労連で救援・復興県民会議と机を並べて生活相談、労働相談の相談員をさせていただいた。大量の派遣切り、寮からの追い出しなどの相談に対処した。1人でも加盟できる地域労組づくりにもとりくんできた。その間に、神戸空港より被災者支援をと住民投票運動にも参加した。

その中で、支え合い、人の暮らしを大切にする運動を学んだ。

それにしても財界と富裕層は身勝手だ。社会的に少なくなったパイを先取りしようとしていることは許せない。それに対して、国民のいのちと暮らしを第一にするぶれない政党があるのはうれしいことだ。

今後も、暮らしの助け合いと、これまでの運動の教訓を大事にしたい。

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

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