記事を検索

2015年1月11日日曜日

阪神・淡路大震災20年:読者の手記(1)

震災20年の市場

山内英正(66歳・芦屋市)

先日、歴史散歩で久しぶりに須磨区の板宿市場を訪ねた。市場で商いしている人も参加し、改めて震災後の苦労話や市場の現状について話を伺った。惣菜も野菜・果物もなぜこんなに安いのかと、驚嘆しながら仲間と練り歩いた。

私は当時の新聞記事をスクラップブックに貼って持っている。震災当日夕方、すぐに商売を始めた店があった。2日後には市場の3分の1の店に活気が戻っていた。それは、工期や費用がかかっても、子や孫世代の安全のため、重いアーケードを支える支持杭を地下8メートルも打ち込み、耐震強化していたからだ。大火が起こらなかったことも幸いした。

我が家の徒歩圏内の市場の1カ所は、瓦が礫れきの撤去とともに区画整理で無くなった。もう1カ所は低層ビルに建替えられたが、20年経つと、世代交代や景気後退のなかで、従来の商いをしている店は数軒となった。事務所や空き店舗が目立ち、市場の雰囲気はなくなった。

懇意にしていた寿司屋の主人は、奥さんが出前の途中で交通事故死してすぐに持病が悪化し、店をたたんでしまった。不要になった寿司桶が店先に積まれ、「自由にお持ち帰りください」という、紙片が貼ってあったことを思い出す。

老夫婦の果物屋は今も健在だが、近隣の店との競合のなかで経営は苦しかろう。時折訪ねて短い立ち話をする。

私は月1度、市民講座の講師として尼崎に出かける。その折、中央商店街や三和市場で食材を買うことを楽しみにしている。阪神タイガースの応援歌は地域の人々への応援歌に聞こえる。それでも本通り横のナイス市場は、地主による立ち退き要請でシャッター街化した。土地が自前の乾物店も、あと追うように閉めた。昨年まで行なっていた独自の歳末抽選会は無くなったが、名物スープたこ焼屋のお姉さんは元気一杯だ。

震災や不況を乗り越えて、日々働き続ける地域の人々の、新年の幸多かれと祈るばかりである。

(2015年1月11日付「兵庫民報」掲載)

日付順目次