この日は、西宮市原爆被害者の会の水野喬司会長を鳴尾まで訪ね、近くの公民館で聞き取りをおこないました。水野さんは、初めに自分の生い立ちや居住されている鳴尾の特徴などを紹介したうえで、戦争体験、被爆体験を語りました。
水野さんは、現在の神戸市東灘区の出身で、1945年6月5日、母親と兄や姉と神戸での空襲にあいます。350機のB29が神戸の街を襲い、3千人が死亡、5千5百戸が被災した空襲で、水野さんも火傷を負いながら、大きい貯水池に逃げ込んだようすなどを、御影町(当時・現東灘区)での空襲が描かれている『火垂るの墓』のアニメの映像も引用しながら、リアルに紹介しました。
水野さんは、空襲を逃れるために、友だちも疎開していくなか、仕事で父親が行っていた広島に疎開することになりました。8月6日、早朝、広島の学校に行き8時から校長先生の訓示があって、教室に戻って服をぬぎかけたとき、「ピカー」「ドカーン」と爆風が吹き、水野さんは、足にガラスが突き刺さったそうです。ガラスが刺さるような怪我をした友だちが何人もいました。爆心地に約1キロ近づく自宅へ戻る途中、原爆資料館にあるろう人形のように焼きただれた人、目ん玉が飛び出ている人、肌がずるむけになった女性や赤ちゃんなど、すさまじい姿の人たちが、逃げ歩いてきていました。
水野さんは「いまの子どもたちには、耐えられない光景じゃないか」といいながら、「二度とこのようなことが起こらないように、みなさんに知ってほしい、放射能の影響を知ってほしい。福島でもたいへんな事態になっている。〝全世界から核兵器をなくしたい〟―そういう思いで語り部をしている。語り継げるのは、私らが最後の世代くらい。ぜひ、いろんな体験を聞いてほしい」と語りました。
参加した大学1年生のYさんは、「私自身、被爆者の話、広島の話は中学校の修学旅行ぶり。あらためて原爆の恐ろしさを、見たままのことを聞いて、やっぱり二度とあってはならないし、世界に原爆がまだまだあるというのが怖い。8月のニュースの報道などはわかるけど、こういうリアルな実態を多くの人ともっと聞いていきたい」と感想を話しました。また高校2年生のIさんは、「御影公会堂などがでてきて身近だった。思っていたよりも悲惨。もっと早く知っておけばよかった。多くの人に伝えていきたい」と語りました。
(2014年9月21日付「兵庫民報」掲載)
