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2014年10月26日日曜日

観感楽学

太平洋戦争末期の全国の中学校・女学校生徒の「勤労動員」の実態はほとんど知られていない。昭和20年5月14日、県立豊岡中生徒6人が薪炭作業の帰途に円山川城崎駅裏の今津渡しで渡船転覆「殉職」した。別に同日県立豊岡高女の生徒が勤労動員中の郡是工場で死亡している(いずれも教務日誌)▼豊岡中の校葬は同年5月20日市内寺院で行われた。豊岡高女の校葬の記録はない。県視学は生徒遭難の「不祥事」を警察署を通じて報告を求めている。豊岡中も豊岡高女も連日の薪炭作業を中断していない▼豊岡中生徒6人死亡という大事件だが、同年5月17日付神戸新聞は2面に15行のベタ記事のみ。豊岡高女生徒死亡の記事はない。同日1面トップ記事は「那覇近郊で我が斬込み隊」「南方洋上の敵機動部隊に特攻機猛攻」、悲壮な沖縄戦記事で埋まっている▼遭難した豊岡中同期生らによる慰霊行事や慰霊碑の建立が行われているが高齢に達し継続困難である。「せめて遭難生徒の慰霊を豊岡中、豊岡高女を引き継いだ高校同窓会でやりたい」との声が会員から起きている。「生徒の遺体は下り貨物列車で帰宅」(教務日誌)の真実を引き継がねば。(A)

(2014年10月26日付「兵庫民報」掲載)

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