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2014年9月28日日曜日

観感楽学

元気な若者が2次被爆者になった。「昭和20年7月姫路46部隊に徴兵、8月長崎に送られ9日から遺体収容にあたった」Y氏。「広島陸軍病院三滝分院の日赤看護婦、『動ける者はかかれ』の号令で無我夢中の被爆者看護。敗戦後1年間タロキナ、ラバウルまで復員船に勤務」T氏▼来年は日本原水協結成60年。原水爆禁止と被爆者救援の国民的運動は被爆10年後に全国化した。米軍は原爆の効果検証のため、被爆の実相を秘密とし被爆者の体験公表も禁止した。ビキニ水爆実験の漁船被爆を契機に国民的世論は堰を切った▼国民運動のねばりで核廃絶と被爆者救援はいまや国民的合意となった。広島・長崎への修学旅行、原爆の日式典と世界大会、平和行進、6・9行動、原爆症訴訟、『原爆詩集』『黒い雨』『父と暮らせば』など膨大な創作と映像作品、非核都市宣言、核兵器禁止条約要求署名、たゆまぬ努力は今日も続けられる▼湯村温泉に佇む夢千代像は創作上の被爆2世だが、国民的合意の独特の襞を現している。映画『夢千代日記』のテロップに流れた詩まで被爆者の絶唱に聞こえる。人のため流るる涕のこるかや/我もたふとし/尚いきてあらむ(前田純孝) (A)

(2014年9月28日付「兵庫民報」掲載)

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