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2014年8月24日日曜日

ノーモアヒバクシャ近畿訴訟・傍聴記:余話

被曝影響の過小評価は、核開発に狂奔した米当局者の言い分の「コピペ」

副島圀義

神戸演劇鑑賞会7月例会の劇団昴公演『イノセントピープル』~原爆を作った男たちの65年~に触発され、あらためて読んだ本の印象などに、紙面を割いていただきました。

『原爆はこうして開発された』(山崎正勝、日野川静枝・編)の一節。まだ核分裂連鎖反応の爆弾としての実用化が見通せなかった1941年頃、原子炉で作られる「死の灰」を、通常爆弾で敵地にばらまくアイデアがあった、と紹介されています。今では劣化ウラン弾として実用に供されており、アメリカはそれが「放射能兵器」であることを否認しますが、核兵器開発のもっとも初期から、放射線の危険性を承知のうえ、兵器として利用する意図をもっていたのです。

核実験に駆り出され、さまざまな放射線障害で苦しめられた米軍兵士の証言集『カウントダウン・ゼロ』(オービル・ケリー、トーマス・サッファー・著)から。兵士らが国に救済・補償を求めたときに、当局は「君があの日、そこにいたかどうかも確かではない」「君が受けた放射線量はごくわずかだ。病気になるはずがない」と、認めようとしません。ノーモアヒバクシャ訴訟での国側代理人らの「決まり文句」にそっくりです。

次のAとBを読み比べてみましょう(いずれも要旨)。

(A)「低レベル放射線被曝が重大な健康被害をもたらすとの印象・誤解によって、原子力推進計画が重大なダメージを受け、放射性物質の医療利用にも問題を引き起こす」(同書から。米国防総省高官・1980年) 
(B)「一般的知見を超えて放射線の人体への影響があるとの司法判断がされれば、誤った認識が国民に浸透し、大きな影響が及ぶ」(原爆症認定訴訟への原子力ムラ学者らの連名意見書・2014年5月)

原爆症認定を拒否する日本政府らの言い分は、核開発に狂奔する米当局のそれを忠実に「コピペ」したものに他なりません。


(2014年8月24日付「兵庫民報」掲載)

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