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2014年7月20日日曜日

らいてうの先見性と思想を知る旅

――信州上田市の「らいてうの家」を訪ねて

ジェンダーを考える会 小谷恭子

館長の米田佐代子さん(中央)を囲む
ジェンダー研究会のメンバー

緑豊かなあずまや高原(長野県上田市)にある「らいてうの家」を訪れました。木造の山荘風の家で、多くの人の協力で2006年に建設されました。私たちは5月26日に「らいてうの家」を訪問し、館長の米田佐代子さんにも東京から出向いていただき、説明をしてもらいました。

平塚らいてうは1911(明治44)年、25歳の時、「元始、女性は太陽であった」と宣言し、「青鞜」を創刊しました。

今から100年前、明治時代の女性は、家父長制度のもとで、男性に従属し、無能力者扱いにされ、参政権もない存在でした。この状況を変えようと新しい女性の生き方をめざした動きをつくり出しました。「青鞜」は若い女性に関心を呼び、〝女が自分でものを考え、ものを言う〟「婦人問題誌」となって行きます。当時の社会からは「スキャンダラスな女」と非難されながらも、自らを主張し続けた、らいてうの決意と実行力に強い印象を受けました。

ぬくもりのある木の家に、パネル、遺品、書籍が展示され、「遠く歴史上の人」と思っていたらいてうさんの生活者としての人となりが偲ばれました。

米田さんは、らいてうが時代とともに変わっていった思想の背景について説明。「青鞜」時代は自己確立をめざした。「新婦人協会」時代は女性が社会改造を、とよびかけた。「消費組合」時代は、地域で生活の共同をめざした。大戦中は戦争に巻き込まれた時期のあったこと。そして、戦後は、憲法の女性の権利獲得はもとより、9条の「戦争放棄」を大歓迎し、1950年代より、精力的な活動にとりくんだことなど、生涯を通じ、らいてうのありのままを語られました。

また、1962年、新日本婦人の会結成時、代表委員となり、女性運動の発展をらいてうが力強く感じていたことも知ることができました。

さらに、日本国民が「戦争責任」をどう考えるのか――東アジアで平和をつくり出すためには?――くらしの問題が中心に据えられる社会にするためにジェンダーの視点が大切だと強調されました。これらの主張の中にらいてうの思想を受け継ぎ、広く知らせたいとの熱意がひしひしと伝わってきました。

あわただしい日常から離れ、静かな「らいてうの家」で米田さんのお話から、私たちが今をしっかり見て、何ができるのかを考える貴重な時間を過ごしました。スタッフの心温まるおもてなしに感謝し、「らいてうの家」を辞しました。
(寄稿)

(2014年7月20日付「兵庫民報」掲載)

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