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2014年5月25日日曜日

観感楽学

城崎には「御三家」があった。三つの老舗旅館の当主が歴代城崎町長を務め、「御三家にたてついたら温泉旅館の出入りができなくなる」と商売人や町民は恐れたが、一方で歯に衣を着せずものをいう二家族の「日本共産党の町の顔」を生み出した▼古池信一・信幸父子、木下栄一・哲学父子は二代続いて城崎町長選・町議選に挑み続け、町長選では四〇%を超す得票の歴史がある。敗戦翌年一九四六年に初代の二人が入党。意気に燃える青年たちと党支部を結成した。履物店の息子古池信一は三〇年代の大阪市電争議に参加、徴兵され衛生兵となり敗戦時には中国山西省にいた。木下栄一は静岡で反戦運動に参加し特高に追われた経歴をもつ看板屋だった▼党城崎町議二代目の古池信幸は豊岡市議、木下哲学は湯島財産区議で頑張っている。父母たちの戦前戦後の奮闘に敬意と誇りを抱いている二人も町の古参となった▼市議選ではいまも御三家の末裔側と党市議が得票を二分しているが、豊岡市との合併、中小旅館経営の困難を背景に御三家=自民党支配にも変化が現れている。城崎名物の「自共対決」は党支部・議員と御三家側、それぞれに三代目継承への正念場にきた。(A)

(2014年5月25日付「兵庫民報」掲載)

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