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2014年4月13日日曜日

川内村被災者を訪ねて:東日本ボランティアレポート

朝倉えつ子(党北区くらし・福祉相談室長)

仮設住宅を訪問し、話を聞く朝倉さん(中央)

四月三日~五日の日程で、神戸から私を含め四人が福島へ支援活動に参加しました。

四日、党被災者支援センターと郡山市労連のみなさんと、郡山市富田町若宮前の仮設住宅に避難されている川内村の被災者をお訪ねしました。午前中七グループ、午後は五グループに分かれて、百二十世帯を訪問することが出来ました。

川内村は避難地域市町村でいち早く「帰村宣言」した村ですが、東電はそれを理由に昨年八月に旧緊急避難準備区域(原発二十㌔㍍圏外)の賠償を打ち切り、政府も国保料、介護保険料、医療費一部負担金の減免を区域により対象外にするなど、同じ村内でも賠償・支援に格差が持ち込まれました。

私が今回訪ねたお宅も、区域も世代もそれぞれでした。居住制限区域の方は、その制限が解除されるめどもわからない中「今さらまた別の場所へは行きたくない。移るなら自宅へ帰りたい」と言います。しかし、小さいお子さん抱えた娘さんは「川内村には帰りたくないと言っている」と繰り返し語られました。

「川内村に帰っても、通院できる病院が無い。一人では出かけられない」
「自分で作ったお米を食べたい」
「川内村の水(井戸水)はおいしい。ここのは(水道水)うまくない。お金もかかる」
「キノコ狩りが毎年楽しみだった。去年は放射線量が四十倍。初めて食べずに捨てた」

これまでのあたり前の暮らしを奪われた皆さんの想いは、はかりしれません。

「こうして来てうちらの話し聞いてくれるのは共産党だけや」と私の手を強く握る女性。「頑張ってほしい」と手作りのストラップをくださったAさん。励ましに行ったはずの私の方が逆に励まされました。

一緒に行動した地元の方が「最初はこんな風に暖かく受け入れてもらえなかった」と。支援センターや地元のみなさんがコツコツと支援に取り組まれてきた活動にあらためて敬意を表します。

被災者のみなさんからは「次の世代のために頑張って欲しい」と言われました。ご家族が除染の仕事をされている方が少なくありません。私は、震災後初めて福島を訪ねることができましたが、復興もこれから、原発事故の収束もしていないというのが現実です。

訪問日の夜、支援センター内に事務所がある郡山合唱団のみなさんが交流の場を設けてくださいました。福島で作られた曲を教えていただきましたが、団長さんの「震災支援の曲はあるが、希望はまだ咲かない」という言葉が、さらに私の胸に刺さります。再稼働に走る安倍首相にこそ、この声を届けなければいけません。声を上げられない方の分まで。

同行したSさんは「震災の映像に胸がつぶれる思いだった。ここに来て逆に皆さんに励まされた。ていねいに話を聞くことが大切」と感想を語られました。これまでボランティアに数回参加されているMさん、そしてKさんが交替で往復二十時間以上の道のりを運転していただき参加することが出来ました。本当に感謝します。

(2014年4月13日付「兵庫民報」掲載)

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