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2014年4月27日日曜日

観感楽学

「朝鮮人鉱夫は力も強くよく働いた」と語るのは戦時中、十七歳で関宮町(現養父市)中瀬鉱山で共に鉱内労働をしていた谷本春雄氏だ▼中瀬は江戸時代に高品位の金を産出し生野代官支配の鉱山だった。戦時、アンチモン産出で軍需鉱山とされ、戦後作成の厚生省名簿で朝鮮人労働者二百四十三人、うち強制連行者百八十一人が確認されている▼谷本少年には朝鮮人鉱夫は働く同僚であり、強制連行は「徴用・官斡旋」とされていた。同じく厚生省名簿では生野鉱山に千三百四十人、明延鉱山に八百九十九人とされている▼谷本氏はつづいて十八歳で神戸の軍需工場に徴用され、二度の大空襲の現場にいた。戦後、帰郷した村では、農地解放、強権供出・重税反対の農民組合運動に青年たちが湧いた。町役場の青年に紹介された河上肇の著作は貧困と侵略戦争の仕組みを解き明かし、谷本氏は「日本共産党への入党にためらいはなかった」という▼いま八十七歳の谷本氏は「町議選十一回、県議選一回、町長選二回を候補者としてたたかった」「合併後の自治体運動と党支部はどうあるべきか」と真剣に語る。いわば氏の人生は戦後史を背負い、体験には日韓・日朝の根本問題が横たわる。「世代的継承」の師匠の一人がここにいる。 (A)

(2014年4月27日付「兵庫民報」掲載)


 【補足】谷本春雄氏は二〇〇一年四月まで通算十期にわたり旧関宮町議を務められています。

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