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2014年2月23日日曜日

観感楽学

有名なのは皿そばと斎藤隆夫。斎藤代議士は「反軍演説」で歴史的伝説となり記念館もある。ところが、忘れてはならない「出石町の大恩人」がいるという▼一九七三(昭和四十八)年刊の高山貞著『出石物語』に曰く「昭和十九年、明石の軍需工場に動員された出石高等女学校百人の命を、引率の教頭が米軍の猛爆から救った」というのだ。教頭が空襲必至と見て、「生徒は故郷で国のために働かせたい」と命がけで軍や県と交渉。全員が出石に引き揚げた後、工場は空爆で壊滅した▼著者・高山医師は松井岩男教頭の先見の明と勇気を讃えている。松井氏は戦後、新制出石中学校の初代校長を務め、町の文化運動にも貢献した。後に神戸市長候補になったから、主宰した短歌誌『列島歌人』とともに記憶している人も県下には少なくない▼戦争末期の一九四五年には、豊岡中の生徒五人が山中薪炭作業帰りの渡船転覆で溺死、豊岡高女の生徒が軍需工場帰途の列車転落で死亡と校史に記録されている。しかし、現代の高校生や保護者に学徒動員が語られることはほとんどない。藩御典医の末裔・高山氏の一文が、ことしの出石高校交友会誌で紹介される意義は大きい。(A)

(2014年2月23日付「兵庫民報」掲載)

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