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2013年11月3日日曜日

ノーモアヒバクシャ近畿訴訟傍聴記:10/23

「いやがらせ」でしかない国側の「尋問」

副島圀義

前回、“裁判する元気がなければ泣き寝入りしろ”というような国の態度を指摘しました。十月二十三日の法廷では、いっそう、その感を強くしました。

原爆の熱線による火傷で足の指が癒着してしまったTさんには「服が燃えたと言ったが、ぞうりは燃えたか?」―

Kさんには「被爆者手帳申請書には《(校庭の芋畑に)食べられそうなものは何もなかった》と書いているのに、証言では《芋のつるをかじった》と言った(どちらが本当か?)」―

Hさんには「(ちょうどその日に出産した)長姉の年齢はいくつ?」―

などなど―国としては、少しでも原告の言い分に「矛盾箇所」をみつけて、信頼性を崩したいのかもしれません。が、その不まじめな質問には傍聴席から失笑(ため息か)がもれていました。

Hさんは翌十日、父に連れられて爆心地に近い工場跡(折れ曲がった鉄骨だけ残って、遺体がころがっている焼け跡)に行きます。(長女の出産で休んでいた)自分だけが助かったのが申し訳ない、と声を上げて泣いたお父さんの姿を証言されたのですが、国側は「手帳申請書には爆心地近くに入ったことの記載がない。どうしてあなただけを連れて行ったのか」と尋問。“爆心地近くに入ったことは疑わしい”と言いたいのかもしれません。が、お父さんの悲痛な気持ちを受け止めることもできないのでしょうか。

左半身、頭から足先まで火傷を負ったTさんに国側は「傷の洗浄や消毒はしなかったのか。地面に直接寝ていたのか。身動きもできず垂れ流し状態だったのか」とくどくど尋問。今もずっとTさんを苦しめているケロイドは“単に不衛生や直後の措置不足によるので、放射能とは無関係だ”と言いたいのかもしれません。

しかし、直撃では死なずに済んだ人へのまともな救援も治療も成り立たせないのが核攻撃なのです。加えて、救援や治療を妨害したのがアメリカ占領軍なのです。

国側代理人たちに“あなたたちは、いったい、いつまで加害を積み重ねるのか?”と問い詰めたく思った一日でした。
(2013年11月3日付「兵庫民報」掲載)

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