記事を検索

2013年6月30日日曜日

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟

“機械的な線引きで却下”は破綻

副島圀義

六月十二日の法廷(大阪地裁)は、原告証言。

*

Kさんは広島湾で「水上特攻」に備えていた「暁部隊」の一隊長でした。原爆投下直後から、宇品(広島港)では救護や遺体処理、爆心地近くでは遺体をだびにふしたり、瓦礫を撤去するなどに従事。

戦後は、発熱しやすい、ハチにさされて治るのに一年半もかかる、出血しやすい…など体調不良が続きました。十六年後に狭心症で手術。以後、原爆症として申請した心筋梗塞、白内障のほかC型肝炎、前立腺がんの疑いなど、次々と病気にかかりながらも、「被爆の語り部」としてがんばってきました。

狭心症発病後はピタリとたばこを止め、強い意志で健康維持につとめてきました。

Kさんが原爆症認定を申請したのは、全国の原爆症裁判で次々と被爆者が勝訴し、国がそれへの対応に迫られていた時。新規申請は全部たなざらしにしたあげく、Kさんには二年も経ってから、却下を通知しました。

救護や遺体処理、瓦礫撤去などで大量の残留・二次放射線を浴びたことを無視。「心筋梗塞や白内障は近距離での直接被爆しか認めない」という、機械的な線引きをあてはめたのです。

Kさんは裁判のたたかい半ばに死去されましたが、奥さんが引き継ぎ、この日の証言に立たれました。

証言を「戦時中、子どもも大人も『国を守る』と一所懸命だった。それなのに戦争の犠牲者に国は何もしてくれない。裁判所には、このことを改めさせるよう、訴えたい」と結ばれました。

国側の反対尋問は「ハチに刺されたときに治るのにかかった期間は半月ではなかったか?」など提出された書面などをよく読めば聞く必要もないことばかり。「語り部」として克明な被爆体験を記してきたKさんには反論のすべもない様子でした。

*

一連の裁判はまだまだ続きますが、八月二日には、一つのグループについて判決。フクシマ被災者のためにも、国の姿勢を厳しく正す審判が求められています。


(2013年6月30日付「兵庫民報」掲載)

日付順目次