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2013年5月12日日曜日

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟傍聴記

原爆症裁判の到達点ふまえ、行政の姿勢を改めさせる判断を

副島圀義

大阪地裁四月二十四日。裁判官が交代したので、弁護団長が原爆症裁判の意味、到達点などをかいつまんで陳述。続いて今年一月に新たに提訴されたAさんが意見陳述。以下はこれらの大要です(文責は筆者)。

藤原精吾弁護団長


原爆投下から六十八年。いまだにその被害は償われていない。占領軍は被爆の実相についての一切の言論を抑えた。一九五四年ビキニ水爆実験で日本漁民などが被曝・死傷してようやく被爆者医療法ができた。しかし、その後も政府は一貫して核兵器被害を過小評価し、残留放射能や内部被曝の影響を否定。原爆症認定(被爆者の病気のうち、原爆に起因していると認める特定のもの)を二千人程度(被爆者手帳所持者の〇・八%)に限定するやり方を続けた。

二〇〇三年、全国の被爆者が正しい認定を求めて裁判を起こした。圧倒的多数の原告が勝訴し、不当な行政処分が司法によって裁かれた。二〇〇九年、内閣官房長官が被爆者に陳謝し、首相は、〝被爆者が裁判をしなくてもよいよう、原爆症認定制度を抜本的に是正する〟合意に調印した。ところがその後も被爆の実相を無視した機械的な認定却下が続出。司法判断に従わない行政姿勢が改まらない。

いま全国で百人を超える人々が、再び裁判を起こしている。行政の姿勢を根本的に正す判決を求める。

原告・Aさん


二歳の時、広島・爆心地から三・一㌔㍍家で被爆。母と兄は原爆手帳を取得していたが、私と妹は、父から〝結婚に差し支えるから〟と手帳取得を禁じられていた。母が亡くなったとき、これから何があるかわからない、と取得した。

五十一歳のときに胃がんになり、胃と脾臓を摘出。翌年、原爆症認定を申請したが却下された。会社の仕事も続けられず、食事もまともに摂れず、再発を恐れる日々だ。

それなのに〝もう治っているはずで治療の必要性がない〟と却下されるのは納得できない。


(2013年5月12日付「兵庫民報」掲載)

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