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2012年10月28日日曜日

ここが問題!:こども病院ポーアイ移転

こども病院連絡会の署名宣伝活動

県立こども病院は、一九七〇年に全国で二番目の小児科の専門病院として設立され、三次医療の拠点としての役割を果たしてきました。しかし、建物の老朽化と狭さで、建て替えが求められていました。

病院当局では現地建て替えの検討がされていましたが、二〇一一年、県は厚生労働省の「地域医療再生計画指針」により、県医療審議会地域医療対策部会で“ポートアイランド移転・再生計画”を提案・承認、厚労省に再生計画として申請し、同年十月、三十億円の交付金()が内定しました。

)堀内照文衆院候補、きだ結県議の聞き取りに同省は、この交付金はポートアイランド移転でなくても使えると明言しています。

県民不在の決定はじめからポーアイへの移転ありき


県は移転計画の決定にいたる過程で、県民・患者に内容を知らせていません。

一一年八月、県民の意見を聞くとして、パブリックコメントを募集しましたが、募集にあたってはポートアイランド移転には一言の説明もしていません。

一二年一月、県の総合事業等審査会は、現地建て替え含む四カ所の土地を比較し、ポートアイランド移転を決めました。

これは、厚労省にポートアイランドへの移転計画で交付金の内定を受けた後です。「他の土地を比較検討した」という形式を整えただけと言わざるをえません。

一二年二月、ようやく県民に対し、ポートアイランドへの移転を明らかにし、同年八月七日に、患者・家族へ移転計画を説明しました。感染に弱いためわざわざ病院の近所に移り住んだ患者・家族も少なくありません。移転地までの通院はできないとの不安の声もあがりました。

現地建て替えは不可能か


病院院長は、現地建て替えでは、建築基準法の日影の関係で八階以上は建てられず、必要な床面積を確保できないと説明しています。

しかし、日影がかかる場所は、東側・北側の道路と公園の一部分だけです。建築位置を西側・南側にずらすか、土地を掘り下げることで必要な建物は建てられるとの指摘があります。

中央市民病院との連携で医療機能は向上するか


総合型医療機関の連携で医療機能の向上が得られるとして、神戸中央市民病院の隣接地を選んだと県は説明しています。

しかし、隣接しているだけで連携ができるわけではありません。

こども病院と中央市民病院の医局トップが懇談していますが、中央市民病院側からは「循環器疾患では大人の対応で手一杯で子どもまで診ることは困難だ」という意見が出されています。

バイオハザードの危険性も


ポートアイランドでは神戸市が医療産業都市構想を推進し、細菌などを扱う研究機関も多く、バイオハザード(生物災害)の危険性もあります。

県は「法令や国の指針等が定められており、万全の予防対策や安全管理措置が図られている」「神戸市が安全だといっている」と説明しています

しかし、神戸市は、市内にバイオハザードマークを掲げている事業所はどれくらいあるかとの市議会質問に「把握していない。企業の活動の規制はできない」と答弁しています。県・神戸市双方の無責任な態度は問題です。

津波など防災上は大丈夫か


県は、一二年三月の国の津波高等の推計値に基づき、地盤高八・六㍍に整備するので大丈夫だと説明しています。

しかし、参院行政監視委員会での山下よしき議員の追及に厚労相が答えたように、ことし七月発表の中央防災会議の中間報告との関係で計画見直しが必要となっています。

なぜ、高台から人工島に移し、地盤整備をわざわざする必要があるのでしょうか? 阪神・淡路大震災時、橋・道路・ライフラインなどの被害で中央市民病院は救急対応など本来の役割を果たせませんでした。

総合周産期医療センター二つを隣接させる意味は?


兵庫県全体で、総合周産期医療センターは五カ所必要といわれています。現在はこども病院一カ所ですが、二カ所目として中央市民病院が名乗りをあげています。

九月に開かれた神戸市の保健医療連絡協議会専門部会では、中央市民病院の「総合周期母子医療センター」指定申請について、機能強化には異論がでませんでしたが、こども病院の移転により一カ所に集中することには異論が多数だされました。

中央市民病院では一一年七月に十三人いた小児科医師が一二年九月には五人退職し、八人になります。小児科医師不足をこども病院の移転で補う計画かと疑う声もあがっています。

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

シンポジウム:県立こども病院はポーアイ移転でいいの?

―防災と周産期医療を中心に―

シンポジスト:

橋本寛(橋本ファミリークリニック院長・県医師会理事
田結庄良昭(神戸大学名誉教授(地質学))
米澤美左子(心臓病の子どもを守る会)

村口 至(坂総合病院名誉院長・宮城県塩竈市)

コーディネーター:

西山裕康(県保険医協会理事)

日時 11月24日(土)午後2時30分~
会場 兵庫県医師会会館 ホール
主催 こども病院連絡会☎078-393-1807

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)


本紙でコーディネーターの西山氏のお名前を間違えていました。正しくは上記のとおりです。おわびして訂正します。

川崎重工はヘリコプター官製談合疑惑の真相公表を

日本共産党川重委員会が申し入れ



九月六日の「しんぶん赤旗」に、陸上自衛隊ヘリコプター開発をめぐり、官製談合防止法違反容疑で、東京地検特捜部が防衛省と川崎重工を家宅捜索したと報じられました。

その後、「しんぶん赤旗」が入手した川重の議事録によって、受注争いで競合する富士重工業を排除して川重に有利に受注できるように、防衛省幹部と川重担当者が秘密会合を開いたことや、その会合に三菱重工社員も出席していたことが判明しました。さらに、防衛省が同省の担当者数名を官製談合防止法違反容疑で東京地検特捜部に刑事告発しました。

これらによって、談合の事実関係がいよいよ鮮明になっています。

川重は、これまで「ごみ焼却施設」談合、「トンネル換気施設」談合、「橋梁」談合、「水門設備」談合を起こしています。ごみ焼却施設談合では、五十一億六千五百万円もの課徴金を支払っています。

談合は、税金を盗み取りする卑劣な犯罪行為です。数々の談合によって会社に多大な損害を与え、会社の社会的信用を大きく失墜させたにもかかわらず、経営陣の誰一人として責任をとっていません。

今回のヘリ官製談合疑惑についても、特捜部の捜索を受けてすでに一カ月以上も経過しているのに、経営陣は何らのコメントも発表していません。あまりにも不誠実な態度です。

日本共産党川崎重工委員会は、今回の官製談合疑惑に経営陣がどう関わったのか、ただちに真相の公表を求める申し入れ書を川重本社に郵送(十月十二日)し、その内容のビラを川重神戸工場や神戸駅などで配布しました。

職場では、「せっかく入社したのに川重は大丈夫だろうか?」「経営トップの了解なしに担当者クラスが勝手にできるもんやろか」などの不安や戸惑いの声があがっています。

党委員会は、引き続きヘリ官製談合疑惑の真相公表やこれまでの談合事件の経営責任などを追及していく決意を表明しています。


(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

オスプレイ配備に危惧,領土問題は平和解決を

堀内・金田氏らの要請に各地の首長



兵庫県にも「ブラウンルート」と呼ばれる、米軍機の低空飛行訓練ルートがあり、オスプレイも飛行する可能性が示されています。また、ブラウンルートからかなり南に位置する佐用町でも、低空飛行が目撃されています。

こうした状況をうけて、日本共産党兵庫県委員会はこの間、各市・町長に「オスプレイ配備反対の発信を」と要請し、懇談を重ねています。

堀内照文衆議院比例近畿ブロック候補と小選挙区候補、金田峰生参議院選挙区候補らは「オスプレイ開発に関わった米軍関係者が『しんぶん赤旗』に『オスプレイは構造的欠陥がある』と証言してくれました。市民の安全を守るために飛ばさせない、配備撤回を求めるのが一番ではないでしょうか」「沖縄で反対集会に県民十万人が集まりました。これは沖縄の揺るぎない決意だと思います。兵庫県もブラウンルートがあり、沖縄と連帯してオスプレイ配備に反対を」と呼びかけました。

多次勝昭朝来市長は、「ブラウンルートにあたる他の自治体の動きもみながら、対応を検討している」「今のところ動きはないが、だからといって何もしないという訳ではない」と、積極的に対応する考えを示しました。

「ブラウンルート」からは外れていますが、長瀬幸夫香美町長も、「人的ミスであれ、機能上の問題であれ、危険な航空機が町民の頭上を飛ぶのは問題です」と懸念を表明しました。

田路勝宍粟市長は「ヘリコプターと飛行機を合体させるというのは、やはり無理があるのでしょう」と述べ、要請に同席していた日本共産党市会議員団に「今のところ情報は得ていないが、低空飛行等の事実があればすぐに知らせて欲しい」と“逆要請”しました。

九月二十日にも低空飛行が目撃された佐用町の庵逧典章町長は、「有事ならともかく、オスプレイであれ、低空飛行であれ、訓練はやめていただきたい」「(オスプレイが我々の頭上を)飛んだらもちろん抗議しますよ」と言明しました。

首長との懇談では、領土問題についても話題になり、「日本は戦後、総括をきちんとやっていない事が問題。きちんと総括したドイツは湾岸戦争にも協力しなかったが、日本は一番協力した。きちんと総括すべき」「野田首相も弱腰だが、自民党政権の時代から長年問題を棚上げし、竹島は構造物が造られても何も言わなかったのも悪い。武力衝突が起きないか心配している」「安保条約は役に立たない」などの意見が表明されました。

金田峰生参院候補のコメント


どの首長も、オスプレイ配備に対しては危惧を抱き、領土問題では平和解決を望んでおられる様子がうかがえます。

国がおかしな言動をしている時に、自治体の長が地方自治の精神に立って住民を守る立場でものを言われるのは大事なことだと思いました。

また、保守の首長からも「こんなにアメリカいいなりでいいのか」という思いが沸き起こっています。市・町議員をはじめわが党が積極的に知らせ、働きかけることで、変化をつくりだしていることを実感します。引き続き共感と共同を広げ、国政を正したい。


写真:多次朝来市長(左手前)と懇談する(左奥から)鈴木逸朗市議、金田氏、平山和志衆院5区候補、堀内氏、岡田和之市議

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

県議会決算特別委員会―いそみ恵子県議が質問

いそみ恵子議員

消費税増税すすめる兵庫県

二〇一一(平成二十三)年度兵庫県決算の特別委員会が県議会で開かれ、日本共産党のいそみ恵子県議が質問しました。

消費税増税で大型開発が再び


いそみ県議は、消費税増税を国にせまってきた井戸知事の姿勢をただし、「大震災での借金増は、県の開発優先の基本姿勢があらわれている。民主・自民・公明の三党合意による『付則』で、消費税増税分が公共事業にまわされる。九〇年代の開発優先の逆戻りでいいと考えているのか?」と質問。県当局は、政府のごまかし答弁を繰り返すのみで、消費税の増税に対する、国民の不安や怒りの声を全く無視する姿勢でした。

いそみ県議は、「消費税増税が決まって、整備新幹線の「凍結区間」(北陸含めて約三兆円)の着工が決まった。井戸知事は、関西広域連合でも、『広域インフラ検討会』などで、北陸新幹線の整備をすすめるなど、大型開発に反省ない姿勢であり、経済界の要望をストレートに聞いて、実現しようとしている」と批判しました。

姫路・日本触媒爆発事故


いそみ県議は、法律にもとづき定められている「石油コンビナート等防災計画」では、「県の役割として、災害予防のため、防災資機材の整備強化や特定事業所の立入検査」とあることを指摘し、実際には県の立入調査を行ったのは、二〇〇九年の一回(加古川の神戸製鋼)のみで、毎年行っている県下四十の特定事業所の立入検査は、各消防本部まかせだったことを明らかにしました。

いそみ県議は、「日常的な企業へのチェック体制、県の役割を含めて、事故検証を行うべき。化学的爆発などの専門家の力も借りるべき」と提起しました。

県当局は、「事故検証に県の取り組みも含まれる。専門家とも相談する」と答弁しました。

介護保険料を引き下げ、生活援助の時間短縮撤回を


いそみ議員は、高すぎる介護保険料を抑えるために「市町が一般会計からの繰り入れを行うことを禁じるべきでない」と迫り、県に「(市町が独自判断で繰り入れを行っても)国のペナルティーはない」ことを明らかにさせました。また、「今年度限り認められている県の介護保険財政安定化基金のさらなる取り崩しを行い、保険料を下げよ」と求めました。

今年度の介護報酬改定で生活援助の時間削減が押しつけられた問題で、利用者が自分らしいくらしを奪われ、ヘルパーが利用者と話すこともできず時間に追われている実態を明らかにし、県として影響調査を行い、介護報酬を元に戻すよう国に求めるよう要求しました。

オスプレイ配備と低空飛行訓練


墜落事故をくりかえす欠陥機であるオスプレイの沖縄配備が強行されたもとで、全国で低空飛行訓練が予定され、該当する市町長も配備反対の声をあげはじめています。

いそみ県議は、「兵庫県は、国に事前説明を求めるだけでなく、配備反対の意思を示すべき」「ドクターヘリの運用空域とも重なり不安の声が聞かれる」と迫りましたが、井戸知事の「国の安全保障上の問題」という姿勢と同じ答弁を繰り返し、反対を明言しませんでした。

こども病院ポーアイ移転撤回を


県立こども病院のポートアイランド移転にかかる様々な疑問点を指摘しました。

「移転のメリット」とされるキャリーオーバー患者(子どものときに先天性の心臓疾患の手術をした成人患者)の問題では、隣接地になる神戸中央市民病院との「連携」が言われています。

いそみ県議は、両病院間の意見交換会(五月二十八日)で、中央市民病院側が、「循環器系疾患について、中央市民では大人の疾患で手一杯」という発言があったことを明らかにし、受け皿として、キャリーオーバー患者解決の保障は全くないことが明瞭になりました。

また、「新病院の床面積の広さ(三万四千平方m)」についても、ポーアイ移転を選んだ理由と言われていました。

いそみ県議は、今回病院局がはじめて明らかにした資料である「現地建替えの設計図面」により、建替えた本館(二万九千平方m)と従来からある小児と周産期センターをあわせた床面積は三万九千平方mを超え、「ポーアイ移転で広くなるとは単純に言えない。結局、現地建替えの検討の途上で、国の補助金の話があり、ポーアイ移転計画に強引に切り替えて、医療関係者や患者の意見を聞かずに決めたということではないか」と批判しました。こうした問題点をあげ、こども病院のポーアイ移転の撤回・再検討を求めました。

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

塩ヅケ土地

宝塚新都市で16億円、小野市場で9億円の「損」


バブル期に買い上げ、なにも使わずに「塩ヅケ」土地となって、その後、時価で売却したが、購入金額に銀行利子などをあわせた金額(簿価)の半額以下。税金で購入し、計画失敗で県民負担(借金上乗せ)に。兵庫県の失政です。

面積 簿価試算額 売却額 損金
宝塚新都市 2.94ha 28億円 12億円 6億円
小野市場 10.87ha 11億円 2億円 9億円



(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

憲法が輝く県政へ

不透明な国保会計

兵庫県保険医協会事務局次長 角屋洋光

国民健康保険(国保)は、住民の生命と健康を守るために国民皆保険の土台となる大切な社会保障としての医療制度です。保険者としては市や町が運営しており、県はほとんど当事者としての機能はありませんでした。

ところが、国保に加入する住民の構成が、無職や年金暮らしなどの人々が増えるに従って、国保財政が悪化してきました。高齢者の加入者が増加したことにより、医療費支出が増加する一方、保険料収入は「年収百万円以下」が半数という状態となり、医療費が上がっても保険料収入が上がらないという構造的な矛盾に陥ったからです。

こうした事態に対して、国がとった対策は、高齢者の医療制度を別制度にして、社会保険から支援金を拠出させることでした。つまり国庫負担の代わりに社会保険財政を充てようとしたわけです。

ところが、この方式も矛盾が噴き出して破綻しました。それは社会保険財政が、非正規雇用の増加によって、まともな保険料収入を得ることができなくなったからです。財界が勤労者の働かせ方を変更したことが、社会保障財政にはね返ってきたのです。

こうした、国は次の手段をとることにしました。それが、市町国保を県国保に一元化することです。

県下の国保は、例えば二〇〇八(平成二十)年度で赤字の自治体は六市町ありますが、黒字の自治体が三十三市町あります。全部を一本の国保にすれば、赤字は吸収されるだろうということです。

しかし、これは問題を先送りするにすぎません。国保は規模が大きいほど、保険料が高く財政が困難だという特徴があります。財政規模が小さい市町の黒字など、たかがしれています。

しかも、問題の根本には国が国庫負担を削減し続けてきたことが、大本の問題としてあります。表1は、二〇一〇(平成二十二)年度の兵庫の国保から作成した県全体の国保収入の内訳ですが、国庫支出金はわずか二四%にすぎません。一方、県支出金も四%しかありません。これでも以前よりは多くなったのですが、県支出金が増えたのには理由があります。それは、国庫支出金が削減されるときに、一部は交付金として県への支出になっているからです。「定率負担金は引き下げるが、その代わりに、県に対する交付金として支払っている、総額は一緒だ」というのが国の言い分です。

しかし、県国保をみれば、国庫支出金と県支出金をあわせても、二八%にしかなりません。保険給付金の半分は公費で責任をもつはずなのに、一体どうなっているのでしょうか。

国は、県単位に国保統一するために、先の通常国会で、すべての医療費支出を市町別にではなく、県単位でいわば再保険の形で負担する法「改正」を行いました。無理やりに県単位化を推し進める構えですが、住民に身近な市町の役割を無視して、県に役割を果たさせようとしても、もともとやる気のない県が本気で対策をとるとは考えられません。

現在の兵庫県の姿勢を示す一つのデータとして、福祉医療制度の取り扱いがあります。井戸県政になる直前、貝原県政最後の二〇〇一年度には、福祉医療費予算は総額で百八十三億円ありましたが、井戸県政になってから十一年後となる今年度の予算は、わずか百十二億円です。その差は七十一億円、四割ものカットです(表2)。対象となる高齢者の所得制限を厳しくするなどしてきた結果です。

県下市町の国保には、基金等の積立金を保有していますが、この間、二〇〇五年度に百二億円あった基金は、約六十八億円へと大きく目減りしてきています。個々の市町に対して基金の活用を働きかけることは必要ですが、先細りは明らかです。

国保改善の根本は、国の国庫負担削減政策に追随する県政か、国庫負担引き上げのために努力する県政なのかが問われています。


表1 県支出金はわずか4%

保険料(税)22%
国庫支出金24%
療養給付費交付金5%
前期高齢者交付金23%
都道府県支出金4%
一般会計繰入金8%
繰越金2%
その他12%


表2 福祉医療費は71億円減

2001年183億円
2012年112億円


(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

神戸・要求実現をめざす市民集会

「要求運動と連帯強めよう」


20日には神戸大丸前で街頭宣伝も行いました

兵庫労連、兵商連、兵庫民医連、日本共産党など十八の団体でつくる「神戸・市民要求を実現する会」は十月十四日、「市民のいのちとくらしを守る神戸市政に―要求実現をめざす市民集会」を開催、百二十人が参加しました。

記念講演には、五期十七年民主町政を担っている福崎町の嶋田正義町長が講演。嶋田町長は、国の悪政のもと町民のくらし向きが悪化するもとでの税の滞納に対しても、強権的な取り立てや差し押さえに頼ることなく、町民の暮らしに寄りそう形で職員が納税相談に乗り、九九%という県内一番の納税率を実現していることを紹介。町民こそ主人公の姿勢の大切さをかたりました。

特別報告で、田中章史・自治労連副委員長は、新自由主義、「地域主権改革」のもとで自治体がどう変質されられてきているかを報告。松山秀樹自由法曹団事務局長は、借上復興住宅からの入居者の追い出しの違法性について報告。松本のり子神戸市議団長は、矢田市政十二年とオール与党議会の実態。一年後の市長選での市政転換の展望について報告しました。

フロアからのリレートークでは、六万筆の署名に到達した中学校給食の実現めざす運動。障害者や低所得者からの福祉パスの取り上げに反対する取り組み。県立こども病院のポートアイランド移転に反対し、医師会を巻き込んだシンポジウムを進めている活動など、これまでに広がりを見せている市民活動が紹介されました。

森口眞良社会保障推進協議会神戸市協議会議長は、実現する会の一年間の活動報告とともに来年の市長選挙にむけ、「市民の命とくらしを守る神戸市政に」をスローガンに要求運動の活発化と連帯強化、市政の実態を告発する「市政黒書」作りなどを行動提起しました。

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

2013年神戸市長選にむけ政治組織の準備会発足

二〇一三年秋の神戸市長選挙にむけて、政治組織の準備会が十月十九日、神戸市内で開かれました。今後も準備会を開き、政治団体の結成にむけたとりくみをすすめていくことなどが確認されました。

これに先立つ九月十四日には、日本共産党兵庫県委員会と同神戸市議団がよびかけた懇談会が開かれ、十六団体が参加し、政治組織づくりの準備をすすめることを相談したうえで、あらためて六団体の代表が準備会開催をよびかけたものです。

この日の準備会では、兵庫労連事務局次長の北島隆さんが経過報告。よびかけた一人である「ストップ!神戸空港」の会代表委員の武村義人さんが「市民の要求は山のようにある。私たちが多数派になるような運動を」とあいさつしました。

日本共産党兵庫県委員会の岡正信県委員長が、情勢の特徴とともに、矢田市政三期の市民犠牲の実態と中学校給食実現や県立こども病院のポートアイランド移転撤回など、市民運動の高揚を紹介し、「神戸市政を市民本位に転換させるうえで、市長選をたたかう政治組織をつくることは歴史的な意義がある」と強調しました。

各団体の代表らが「自校方式の中学校給食を実現する市長を」「三菱重工の商船部門撤退で、下請けの労働者は生活保護を申請している。市は雇用・産業に責任を持つべきだ」「阪神・淡路大震災後のようなとりくみを広げよう」と積極的に議論しました。

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

養父市議選:藤原・竹浦氏再選

藤原敏憲氏
竹浦昭男氏
養父市議選(定数十六、立候補十七人、投票率七四・三八%)は十月二十一日、投開票が行われ、日本共産党の藤原敏憲氏(62)が二位で、竹浦昭男氏(65)が十四位で当選。定数二減、少数激戦のなか、現有二議席を確保しました。

日本共産党の得票合計は二千十九票、得票率一二・五六%。前回(投票率八〇・二五%)には二百八十五票及びませんでしたが、二〇一〇年参院選比例票の二・四倍となりました。

両氏は、合併後、財政が厳しいと市民負担を押し付けてきた市政を批判、市財政が黒字であることを示し、国保税・介護保険料の引き下げ、高校の南但・北但学区維持、市民図書館建設、議員報酬減額などの政策を訴え、支持を広げました。







(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

北区青年支部がBBQのつどい


党兵庫長田北地区青年支部と民青兵庫長田北地区委員会が主催し、バーベキューのつどいを十月七日に開きました。つどいには青年支部メンバーの幼なじみや、民青がとりくむ無料塾の生徒をはじめ、ぬきなゆうな衆院候補(写真中央)、森本真神戸市議も参加。わきあいあいと交流しました。


(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

原発なくせ!:淡路でも市民行動


原発ゼロをめざす運動が全国で行われている金曜日、淡路でも十月十九日午後四時から「原発ゼロ 淡路市民行動」が、関電淡路営業所前で行われました。この行動は、淡路島平和委員会の呼びかけで行われたものです。

大飯原発の再稼働をはじめ、今回の大間原発の工事再開など、国民の原発ゼロを求める声を無視した政府や電力会社の態度に怒りを示そうと、営業所前には三十五人の市民が、「原発なくせ」「再稼働はやめろ」「放射能被害から子どもを守ろう」などのプラカードを持って集まりました。

参加者から、それぞれの原発ゼロへの思いをスピーチでリレーしました。

十四日に原発学習会を成功させた淡路九条の会の役員は、「原発問題を学習すればするほど、危険な実態が明らかになる。原発なくす行動にこれか らも参加したい」と発言。新日本婦人の会の女性は、「今日が新日本婦人の会結成五十年の記念日です。子どもを放射能の被害から守るために、原発は絶対になくさなくては」と訴えました。

六人の参加者がスピーチを行ったあと、神戸の金曜日行動に参加している鎌塚聡淡路市議のリードで、営業所に向かって原発なくせとコールをしました。

淡路では初めての行動でしたが、たくさんの参加で元気の出る行動になりました。

次回は十一月九日(金)午後五時から行う予定です。

間森和生=淡路島平和委員会事務局長)

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

消費税をなくす兵庫の会総会

総選挙・参院選で怒りの審判を


来賓挨拶をする堀内氏

消費税をなくす兵庫の会は十月二十日、第二十三回総会を神戸市内で開きました。

開会挨拶で貫名初子代表は、結成以来、草の根で有権者に訴え続け、全国一の会員数となっていることを紹介、一〇%への増税中止へ運動を強めようと呼びかけました。

溝渕吉男事務局長は、常任世話人会からの報告と提案の中で、一九九〇年七月の「兵庫の会」結成総会は消費税廃止を「国民の生活と営業、日本と世界の平和のため、避けてとおるわけにはいかない」「国会の力関係を変えて廃止の展望を切り開こう」と呼びかけ、消費税廃止各界連絡会など共同行動とともに、個人加盟のボランティア組織として、尼崎、芦屋、御影、北区、須磨区、長田区、垂水区、西区、明石、住吉、高砂、加印など各地で「なくす会」が独自の宣伝活動を定期的に続けてきたことが、世論を広げ、ながらく増税を押しとどめきたことに確信をもとうと訴えました。

さらに、いま一〇%への増税実施を阻止するため、後継者・世話人づくりなど会活動の活性化へいっそう力をそそぎ、迫る総選挙・参院選で民主・自民・公明など増税勢力に怒りの審判をくだそうと呼びかけました。

総会では日本共産党の堀内照文衆院候補が連帯の挨拶をしました。

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟・傍聴記:10/2

副島圀義

十月二日、大阪地裁での原爆症裁判(ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟)で、原告の三人の方が証言しました。

爆心地から1kmで被爆したのに却下


Uさん。長崎で被爆(当時十五歳、爆心地から一km)。難治性貧血症とリンパ球減少症で認定申請。

夜勤明けで寝ようとしている時に被爆。倒壊した家の下敷きになったが必死にはい出た。火が迫って、姉とその下の子は助けることができなかった。姉の「早よ逃げて」の声は忘れられない。姉の上の子は応急処置を受けたが一週間後に死去。母は、全身に紫色の斑点が出、歯ががたがたになって、九月四日に死去。

その少し前から自分も斑点、脱毛、歯茎のゆるみ、発熱で、病院に行っても原因不明。しだいにおさまったが、ずっと体力がなく、風邪を引きやすかった。

一九五九(昭和三十四)年ごろ、大阪にきて靴職人になった。座ってする仕事だからできたが、立ち仕事は続けられない。結婚する前に、日赤病院で「貧血だ」と言われた

二〇〇二(平成十四)年、「前立腺肥大」ということで入院したが、あとでがんだったと分かる。

貧血、リンパ球減少で歩くのもたいへんだが、今日はムリして裁判所に来た。当然認められると思ったのに、申請が却下された。正しい判決を求める。

「積極認定」のはずだった心筋梗塞でも


Mさん。広島で被爆(当時七歳、爆心地から二km)。心筋梗塞で認定申請。

庭で遊んでいて被爆。わき腹にガラスがささったがガラスを抜いて親が止血してくれたと思う。ケガはたいしたことはなく、重油のような黒い雨が降ってきたが遊んでいた。被爆後は父がつくった掘っ立て小屋で過し、敷地内にあった井戸の水を飲んでいた。

八月七日の午後から嘔吐やひどい下痢におそわれ二、三週間続いた。

二十三歳ごろに就職。一九八二(昭和五十七)年に会社の階段を上がるときに胸の痛みを覚え、兵庫医大に入院。心筋梗塞、九九%狭窄との診断でバイパス手術を受けた。以後ずっと投薬治療をうけている。一九九四(平成六)年に狭心症、二〇一〇(平成二十二)年に狭窄で再入院。「心筋梗塞は積極認定」のはずだったのに却下された。審査委員がちゃんと審査する前に、事務方で機械的にやっているのではないか。

八月十五日入市、十八日まで片付けを手伝い


Tさん。長崎で被爆(当時十四歳、八月十五日に入市)。肝細胞がんで認定申請。

学徒動員されていた海軍工廠で終戦を迎えた。動員解除となり、十五日の夜八時か九時ごろ、汽車で長崎に向かうが、道ノ尾駅(爆心地から北へ三km余)で降ろされた。駅周辺には負傷者がたくさんいて、この列車は、折り返し負傷者を乗せて大村海軍病院などに行くのだ、と聞いた。

満員の乗客が降りて長崎市街地の方に坂を下りていくのでいっしょに歩いた。その頃の道はいまのように広くなく、狭い山道で石もごろごろしていた。軍靴が破れて足も痛く、途中で座り込んだまま眠ってしまった。

目が覚めたのは翌十六日の昼近かったと思う。大橋が見えたので松山町のあたり(爆心地直近)だったと思う。あたり一面、墨汁をながしたように真っ黒。

しばらくして長崎医大病院が目に入った。一九四三(昭和十八)年、中学に入学する年の一月に母が亡くなった病院だ。座り込んでずっと泣いていたら、二人のおばさんに声をかけられた。「母と姉を探しに来たが、亡くなったので遺体を焼いたところだ」と聞いた。あまりにも残酷な話で、聞いているうちに日が暮れて、いっしょに野宿。十七日も十八日もおばさんが片付けるのを手伝って過ごした。

結局、十九日に長崎駅までいき、実家(高島)に帰った。

高島に戻る前から水のような下痢が一、二カ月続いた。下痢が収まると脱毛。頭の毛も眉毛も抜けた。

C型肝炎から肝臓がんになり、胆嚢と肝臓の切除手術をし、化学療法を続けている。最近は「心房細動」と言われ、ペースメーカーをいれなければならないかもしれぬ。

認定申請後、厚労省から追加資料の提出を日限切って要求され、それも出したのに二年もたってから却下。いじめではないか。被爆者援護法の精神にもとづいてやってくれ、と厚生労働大臣と首相に抗議の手紙を出した。

「機械的な線引き」繰り返す国側


このような証言に対して国側代理人は、《貧血の原因はがん治療薬の副作用によるものだろう》《心筋梗塞の原因は喫煙だろう》など、いままでの原爆症裁判ですでにくつがえされている「理屈」を持ち出したり、《爆心地近くで三日間過ごしたというが、その場所は間違っていないか》などと証言の「信頼性」をくつがえそうとしたり…。被爆の実相に謙虚に向き合おうとしない、「機械的な線引き」の姿勢にたった質問を繰り返しました。

敗戦で初めて広島・長崎の人々の安否を尋ねることができた

この日の傍聴でもあらためて、「被爆の実相というものを分かったことにしてはならない」と痛感させられたものです。

八月六日、九日とともに、十五日という日の意味も考えさせられました。それまで「新型爆弾でたいへんなことになったらしい」とは伝わっていても、多くの一般庶民にとっては、十五日・日本の敗戦ではじめて、広島や長崎にいる家族、親戚、知人の安否を自由に尋ねることができるようになったのでしょう。

加害の歴史にも、被害の歴史にも、まともに向き合ってこなかった日本の戦後。ノーモア・ヒバクシャ訴訟は、それ自体が歴史の空白を埋める営みでもあると思うのです。

(十月二十四日の医師証言は続報。本文の文責は筆者、見出しは編集部)
(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)

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解散の迷い



段 重喜

(2012年10月28日付「兵庫民報」掲載)