Web版の発行はしばらく休止します

「兵庫民報」編集部は2012年11月から専任1人で続けてきましたが、その1人も2020年末で退職し、2021年1月からは嘱託となりました。編集業務の整理のため、「兵庫民報Web版」はしばらく休止いたします。それにともないTwitterへの転送も休止します。 紙版の通常号のご購読をお願いします。

2012年9月23日日曜日

次号は10月7日付です

ご愛読ありがとうございます。「兵庫民報」は月4回発行ですので、第5日曜となる9月30日付は発行しません。次号は1週おいて10月7日付になります。

(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

こども病院移転やめよ:5万人署名運動

こども病院連絡会(準)の宣伝(中央=きだ県議、右=藤末全日本民医連会長)=9月16日、三宮
9月16日、神戸・三宮で「県立こども病院の移転撤回、周産期医療の充実を求める」宣伝・署名行動が行われました。

医師、市民、民主団体などで8月4日に結成された「県立こども病院のポーアイ移転を撤回させ、周産期医療の拡充を求める会(こども病院連絡会)準備会」が初めて街頭宣伝・署名にとりくんだものです。

当日は民医連の県連総会が直前まで開かれており、藤末護全日本民医連会長はじめ県下各医療生協役員を先頭に数十人が署名用紙やビラを手に通行人に訴えました。きだ結県議をはじめ日本共産党県委員会もいっしょにとりくみました。短時間の宣伝でしたが、2百人あまりの署名があっという間に集まりました。


こども病院のポートアイランドへの移転計画には、東日本大震災、津波の経験を全く無視し、東南海地震の津波被害で使えなくなるようなところに小児医療の最後の砦を移転するのは問題だ、と県医師会をはじめ医療関係者や患者から猛反対が起こっています。

国会では山下よしき参議院議員がこの声をとりあげ、東日本大震災をふまえ国自身が検討している方向にも反していると、撤回求めました。この山下質問は兵庫県医師会会長も県医師会の会報で紹介しています。


同連絡会は結成集会を9月27日、兵庫県私学会館で開きます。目標5万人の署名推進とあわせて参加団体、賛同者を広げることにしています。

21日午後4時から須磨区板宿商店街で、10月27日には神戸大丸前で、宣伝・署名行動が予定されています。

(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

内閣退陣・総選挙を:兵庫革新懇が街頭宣伝

政治を変えようと呼びかける堀内氏

兵庫革新懇は9月15日、神戸・元町で街頭宣伝を行い、参議院本会議で可決された野田首相の問責決議にもとづき、野田内閣の退陣、国会解散・総選挙を求める訴えを行いました。

訴えたのは、兵庫県年金者組合・岡本毅一委員長、兵庫電力の会・高馬士郎氏、兵庫農民連・上野信行事務局長、兵庫原水協・梶本修史事務局長、日本共産党兵庫県委員会・堀内照文副委員長の5氏。

岡本氏は、民自公3党合意で成立させた「税と社会保障の一体改革」を批判。高馬氏は関西電力大飯原発の再稼働は直ぐやめるべきだと訴え、上野氏は、日本の農業が壊滅的な打撃をうけるTPP参加は許せないと政府の責任を追及しました。梶本氏は米海兵隊のオスプレイ国内配備に抗議しました。

最後に堀内氏は、「参院本会議で野田首相の問責が決議されたことは重要で、悪政をこれ以上放置できない。国会解散総選挙を行うべきだ。国民の力で政治を変えよう」と呼びかけました。

(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

革新芦屋の会:日米安保学習会

学習会「安保をなくしたらどういう展望が開かれるか」を「平和・民主・革新の日本をめざす芦屋の会」(革新芦屋の会)が9月15日、芦屋市内で開催しました。

全国革新懇総会での日本共産党・志位和夫委員長の講演をDVDで視聴したあと、13人の参加者のほとんどが発言し、感想、疑問、意見を出し合いました。

軍事によらない安全保障をめぐっては「戦争になったら困るけれど、抑止力は必要という人は多い」「日中間では、日中平和友好条約が軍事的対応を抑止している」「中国など、アジアを旅すると同じアジア人だ、とほっとする。アジア人同士としての誇りをともにもつことも大事だ」「中国などから日本をみたら『戦争で負けて反省して憲法9条をつくったけれど、ふたたび軍事大国になっている。いつまた侵略してくるか?』と映っている」「『軍事同盟をなくしている国がこんなに発展している』『日本もこんな展望が』と語れるようになりたい」などの発言がありました。

安保をなくす多数派形成をめぐっては、「原発にしてもTPPにしても、保守の人も含めて、『アメリカのいうままではあかん』という広がりがある」「子どもを守るために避難してきている若いお母さんたちは、インターネットで必要な情報を手に入れ、自発的にたちあがっている」などの意見がでました。

領土問題などでも意見交換があり、「安保、領土問題から、アジアにおける日本の位置、日本人のありようについての論議が深まった」などの感想が寄せられました。

(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

学生が沖縄スタディツアー

沖縄の苦難目の当たり


米軍が基地移設をねらう辺野古の海岸で

9月9日から13日まで、神戸大学、兵庫県立大学、神戸市看護大学、神戸学院大学の学生たちが沖縄スタディツアーを企画しました。

9日には10万1千人が集まった「NO!オスプレイ!沖縄県民大会」に参加。集会後には北谷町議会議員の中村重一さんの案内でキャンプ瑞慶覧、嘉手納基地や普天間基地など米軍基地をフィールドワークを行いました。基地外の住宅に住む米兵が起こす事件が後を絶たないことや、基地が高台にあることで津波が起こった時に避難するルートが作れないなど、深刻な実態を目の当たりにしました。

仲松傭全さんから話を聞く

13日までの滞在期間中に、沖縄平和資料館やひめゆりの塔を見学。また沖縄戦当時17歳で通信兵見習いとして戦争を体験し、戦後は沖縄人民党と日本共産党で活躍した仲松庸全さんから、戦争体験と戦後のたたかいの話を聞きました。

伊波さんの案内でフィールドワーク

沖縄平和ネットワークの伊波宏俊さんの案内で、沖縄戦の米軍上陸地点から集団強制死が起こったガマへ、フィールドワーク。

ガマで

嘉手納基地でタッチ&ゴーを繰り返す米軍機の騒音も実体験しました。辺野古座り込みのテントにも行き話を聞きました。

沖縄の豊かな自然と文化にもふれながら、かつてそこにあった悲惨な戦争と、今も続く米軍基地による苦難を体験するフィールドワークになりました。


ツアー参加者の手記:この現実を伝えたい

玉本あかりさん

沖縄県民大会に参加(右が手記筆者の玉本さん)

9日の沖縄県民大会では、10万1千人の参加者に、「NO!オスプレイ」がオール沖縄の声であることを感じました。子どもたちが多く参加していたのも印象的でした。

発言の中で「沖縄は差別されてきた」という声があり、本土にいるわたしたちの問題でもあることを強く感じました。

この大会の後、米軍基地のフィールドワークに行ったのですが、いかに日本政府がアメリカいいなりで、沖縄県民の命や生活を犠牲にしてきたのか実感しました。

平和資料館や、南部戦跡めぐり、17歳の時に戦争を体験された仲松庸全さんという方から当時のお話を聞いたりすることができました。

特に仲松さんのお話はとても貴重なものでした。「恐かったのはアメリカ軍ではなく日本軍だった。日本軍の将校は、濠の中で泣く少女をうるさいからと銃で撃ち殺した」という話もきき、とても心がしめつけられました。戦争は人を人でなくしてしまうことを強く感じました。

しかし、こんな話を実際に聞ける機会はもう限られています。私たち若い世代がいかに正しい歴史を知り、それをどのように伝えていくかは大きな課題です。そしてなにより、仲松さんのような戦争を体験され、今もそれを伝えようとがんばっておられる方々が生きておられる間に、安保条約が破棄され沖縄から米軍基地がなくなる第1歩を踏み出すべきだと心から思いました。

今回のフィールドワークでは、沖縄のきれいな海、沖縄料理、沖縄民謡、人柄にもとても魅力を感じ、本当に沖縄が好きになりました。こんなすばらしいところで、日本で唯一の地上戦があったこと、米軍基地があること、その中で沖縄の人たちが様々な思いを抱えて暮らしていることを決して忘れてはいけないと強く感じました。

私たちは今回の体験を伝えるために報告会を10月27日にやります(時間・会場は未定)。報告会を通して身近な人から伝えていきたいです。

(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

憲法が輝く県政へ(15)

災害時、職員のマンパワーが重要

日本共産党兵庫県会議員団事務局長 児玉憲生

南海トラフ巨大地震の被害想定結果が発表されました。今後、県の地域防災計画の修正や津波防災インフラ整備5カ年計画など、専門家の知見や住民の意見をより反映したものにしていく必要があります。

津波への対策では、避難する時間を確保する上でも、防潮堤がきちんと締められるか、津波で能力を発揮できるかということも問題です。

また、学校や公共施設の耐震化はもちろん、保育所で現在59%に留まるなど福祉施設の耐震化が遅れており、民間住宅の耐震化とあわせて促進が求められています。

東日本大震災の直後、宮城県などに調査に入った時、町長ほかに「どんな支援が求められているか?」とお聞きすると、「土木や福祉の職員が必要」という意見が多く聞かれ、「市町合併で、職員を減らして大変」という話も聞きました。

今も県財政むしばむ開発型復興


阪神・淡路大震災は、バブル後に景気対策と称して大規模開発がすすめられつつあるなかでの大震災で、空港や再開発など、住民無視のムダな開発が大問題となり、「空港よりも住宅を」は、政策スローガンにもなりました。

この開発型の「創造的復興」は、いまも兵庫県財政をむしばんでいます。

職員不足に悩む被災自治体


しかし、東日本大震災は、市町合併や「構造改革路線」がすすみ、地方が疲弊させられてきたなかでの大震災です。そのせいで、被災地はどこでも「職員が足らない」との声が聞かれるのです。

「災害時のマンパワー、特に専門職員が重要」ということは、全国共通の問題であり、今後の南海トラフ巨大地震への備えについても、大きく問題にしていかなければなりません。

豪雨災害時、佐用町の中心部に到達できず


その点で兵庫県の現状はどうなっているでしょうか。

憲法が輝く兵庫県政をつくる会は、「2013年知事選挙に向けた政策アピール(第1次)」で「地方公務員の削減は、自治体の防災部門や消防体制の職員不足の常態化をもたらし、初動態勢の遅れなどにもつながってい」るとし、「保健所や土木事務所など県内各地にあった事務所は、4割近くが減らされました」と井戸県政の「行革」を批判。「この結果、2009年の豪雨災害時には、大きな被害がおきた佐用町には当日、県職員はだれ一人『町の中心に到達できなかった』」と告発しています。

国がすすめた集中改革プラン期間によって、2005年には県下の市町で3万286人いた一般行政職員は、7年間で7492人(24.7%)も削減されています。

消防職員も、全県で国の定めた基準の76%(5673人、09年時点)の低い水準なのに、「広域化推進計画」で、消防本部の統合により、「スリム化」しようとしています。

さらに、市町が心配しているのが、国出先機関の「原則廃止」「丸ごと移管」です。国の安心・安全の責任・機能が後退する危惧が指摘されています。井戸知事が連合長をつとめる関西広域連合がこの先頭にたって、国に迫っています。

このような状況で、県民を守るための行政としての責任が果たせるでしょうか。防災、災害への備えからも、井戸県政、「県行革」路線は、転換が求められています。


(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

日本トムソン正社員化裁判報告集会

職場に戻す闘いこれからも

日本トムソン正社員化裁判=最高裁上告不受理不当決定=報告集会が9月15日、神戸市勤労会館でひらかれました。兵庫労連とJMIU兵庫地本が主催し62人が参加しました。

JMIU日本トムソン支部の組合員9人が解雇撤回と正社員化を求めていた裁判は、最高裁判所が口頭弁論をひらかないまま7月13日、上告不受理の決定を出しました。

日本トムソン姫路工場で、偽装出向、違法派遣のうえに期限前に解雇された労働者たちが09年4月、神戸地裁姫路支部に提訴。11年2月の判決は会社の雇用責任を否定しましたが、違法派遣を認め慰謝料1人50万円の支払いを会社に命じました。しかし同年9月の大阪高裁は、会社の違法を容認し慰謝料支払い命令を取消す判決でした。

報告集会でJMIU中央本部の生熊茂実委員長は「正義は私たちにある。法の不備を運動で正していこう」と訴えました。

津川知久兵庫労連議長は「自分たちはモノや部品ではないと立ち上がった原告たちの闘いは、全国の仲間を励ました。正規・非正規の枠を越えた職場の団結と、地域の力関係を変える闘いになった」と述べました。

裁判経過報告で吉田竜一弁護士は「解雇された非正規労働者に何の落ち度もない。松下PDP最高裁判決は政治的影響を強く受けたもの。トムソン裁判で地裁判決は会社の違法責任を認めた。高裁は一転し『違法でも働く場を提供してきた』と本音をさらけ出した判決内容だった。いちばん若い20代の原告が法廷で『妻と子どもを幸せにするのが僕の夢。僕の夢を奪わないでください』と陳述したが裁判所は見向きもしなかった」と語気を強めました。

出席できなかった原告らに代わり前尾良治日本トムソン労組委員長が挨拶。「原告たちは9月12日の社前行動でも『人を人として扱え』と訴え、大きな拍手がおこった。職場に戻す闘いをつづけていく」と述べました。


(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

日本化薬派遣切り裁判

上告不受理に抗議声明


法の下の平等に反する判断日本化薬姫路工場を相手どり偽装請負で働かされてきた労働者が地位確認を求めている裁判で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は8月29日、上告不受理を決定しました。

この裁判は、派遣会社タスクマネジメントから日本化薬姫路工場に05年6月派遣され、3年間の派遣労働抵触期日を過ぎても同一職場、同一業務で働いていたAさん(53)に会社が08年12月、翌月末での契約解除を通告。Aさんは「日本化薬は直接雇用の責務がある」と09年3月、地位確認と損害賠償を求め神戸地裁姫路支部に提訴しました。

Aさんは姫路工場で乗用車のシートベルト引き込み部品をつくっていました。火薬類を扱いますが、派遣会社は許可を受けていませんでした。また日本化薬社員から業務上の指示を受ける偽装請負も明らかになりました。

11年1月の地裁判決は地位確認、損害賠償ともに棄却。大阪高裁も同年11月、1審判決を踏襲し控訴棄却の不当判決でした。

Aさんが加入する西播地域ユニオン労組や兵庫労連、西播労連、弁護団は連名で声明を発表。「司法の判断は派遣労働者の置かれている労働実態に目を伏せ、法の下の平等、国民の幸福追求権に反する」と指摘しています。

Aさんは「司法の誤った判断で、労働者を危機に陥れるもの。声を大にして闘いつづける」と語っています。



(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

「原発をなくす尼崎の会」結成

知恵を結集し原発ゼロへ



尼崎の新婦人や民商など5団体が呼びかけた「原発をなくす尼崎の会」結成総会が9月15日、尼崎市労働センターでひらかれ、約150人が参加しました。

主催者を代表し藤田照人尼崎労連議長が挨拶。関西電力大飯原子力発電所の真下を活断層が通るにもかかわらず「安心」を宣言し再稼働させた政府を厳しく批判。「原発をなくしクリーンエネルギーへの転換を求める市民の思いを結成したのが、この会」と述べました。

庄本えつこ日本共産党衆院兵庫8区候補は挨拶で、「原発ノー」の運動が全国に広がるなか、民主党の発表した新エネルギー政策が「30年代に原発ゼロ」と先延ばししている問題をあげ「国民の声が届く政治へ、一緒に変えていきましょう」と呼びかけました。

宮田静則県議は、大飯原発再稼働容認を5月末発表した井戸敏三県知事の姿勢が「民主党政権より後退している」と指摘しました。

同会は、昨年11月の全国連絡会結成につづき準備をすすめ、内部被曝問題の学習会もひらきました。すべての知恵を結集し、1日も早い原発ゼロをめざします。この間、駅前宣伝を4回実施。賛同署名は現在200人を超えています。今後も具体的な活動として、ニュース発行、学習会・研究会開催、アピール・署名活動などを計画しています。

福井県小浜市明通寺の中嶌哲演住職が講演。若狭での反原発の闘いを紹介しました。


(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

宝塚九条の会7周年記念集会

宣伝・学習の活発化へ



宝塚九条の会7周年記念集会・第8回総会が9月16日、宝塚市西公民館でひらかれ、約60人が参加しました。

開会挨拶で西澤慎代表世話人代行は、アメリカが環境に配慮しハワイでとりやめたオスプレイ飛行訓練を、沖縄県民が反対するなか強行しようとしている問題で「私たちも呼応しオスプレイを日本から締めだそう」と呼びかけました。

1年間のとりくみでは、定例でひらいている世話人会と事務局会議、憲法学習会、毎月19日の駅前宣伝、ほぼ毎月手渡し発行の「宝塚九条の会瓦版」(最新51号)などが報告されました。

また活動をより活発化させるための申し合わせ事項の改定と、駅前宣伝だけでなくさまざまな機会を利用した「九条の会アピール」署名の呼びかけ、学習会、会員拡大など活動計画を確認しました。

第2部は和田進神戸大学教授が「日本国憲法と世界の動き」と題して記念講演。和田教授は、日本国憲法前文が、戦争は政府によって引き起こされると明記している点を指摘し「人権としての平和、戦争のない状態で生活する権利を定め、平和は人権そのものという思想が日本国憲法」と強調しました。


(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

神戸ドラマ館ボレロ「紙屋町さくらホテル」

井上ひさし作品 10月5日から



神戸ドラマ館ボレロ(三村省三代表)が井上ひさし作「紙屋町さくらホテル」を10月5日から3日間、兵庫区の神戸アートビレッジセンターで上演します。演出は三村さんです。

戦時下の人びとを描いた連作の1つで、97年に発表されました。

45年5月の広島。軍需工場や陸海軍病院をまわる移動演劇隊さくら隊が公演を前にホテルで「無法松の一生」を稽古中です。新劇俳優の丸山定夫や宝塚スター園井恵子にまじり、現地採用された傷痍軍人や薬売りも役者に加わっています。しかし戦況は悪化の一途。本土決戦も近いと噂されています…。

「戦争反対と直接言わなくても、読めば読むほど作者が台詞の1つ1つに込めた深い思いに気づかされる。骨のある芝居」と三村さんは語ります。


「紙屋町さくらホテル」/井上ひさし作、三村省三演出/10月5日(金)18時30分、6日(土)13時30分・18時30分、7日(日)13時30分/神戸アートビレッジセンター/大人2,400円、中高生2,000円、当日各300円増/☎078・361・9870

(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

一コマまんが

歴史的事実と国際的道義ふまえ冷静に


間 康成


(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)

観感楽学

「その夜は就寝介助のヘルパーさんも来ず、余震にふるえながら夜が明けるのを待つしかありませんでした」―先月、宮城県松島町で全国の障害者運動の活動家が集まった障害者の現状と今後の運動課題などについての学習会での車いす障害者の報告です▼この人は、翌日安否確認に来たヘルパーさんから「避難命令が出ている」と言われ、初めて自分だけ取り残されていると知ったそうです▼発達障害を持つ青年の父親は「240軒の小さな集落に住んでいるが、4人の役員が60世帯ずつを担当し、さらに小さな班に分けて班長が数世帯の状況を常に把握して訓練してきた。この度の地震の時、息子は1人だったがすぐに近所の方が来てくれた」と報告▼災害弱者にとって地域コミュニティの果たす役割が重要であることを改めて実感したが、障害者も参加して「災害弱者避難計画」をしっかり作り、地域での取り組みを支援する自治体の役割が重要だ▼姫路市は今年3月、「災害弱者支援2万人避難計画」を策定すると発表したが、阪神・淡路大震災で同様の経験を持つ県内各自治体の対応はどうだろうか?あまりの貧弱さに焦りと腹立たしさを痛切に感じる。 (N)

(2012年9月23日付「兵庫民報」掲載)