平和行進のなかで思う
西岡幸利
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国民平和大行進太平洋コース・ 兵庫での出発集会で激励しあう 筆者(左)と堀内照文衆院比例候補 =7月7日、川西市役所前 |
生存権奪われた戦前の小作農
私の父は但馬・村岡在の小作農の次男坊でした。次男のゆえに戦前、地主から小作も許してもらえず、大阪に丁稚奉公に出されました。父が28歳の時、生まれた私は両親の期待を一身に負いながら、苦学して、旧制中学から旧制高校にすすみ、終戦の年は一年生の17歳でした。
幼少時代から社会の矛盾に目覚める立場にあったといえるでしょう。物心ついたとき、すでに「活動家集団」のなかにあったのです。
「平和」こそ、活動の軸
「戦争」という集団暴力に対峙しながら、人間性を追求する、まさに「平和的生存権」確立のために、私はその後60余年を生き抜いてきました。
平和が単に戦争反対だけでなく、貧困、飢餓、疾病、差別、抑圧など、一切の戦争政策とたたかうものであることを実践的に学んできたのです。当然のことながら、平和は一人では守れないことも、経験しました。
社会保障を増進させる国の義務はSHALL
占領軍GHQの憲法草案には、現行の第25条はなかったそうです。誰かの奮闘でもり込まれたのでしょうが、背景に国民の強い要求があったに相違ありません。
だから、条文のなかに「文化的な」という法律の常識を破るファジーな表現が出て来るし、国の努力を義務づけた「ねばならない」は、GHQの訳でも「must」ではなく「shall」になっているのだと思います。物理的な強制力ではなく、倫理的な規範となっているのです。私は「shall」の方が好きです。
党創立90周年の歴史輝く日本共産党
日本共産党が、普通の人間集団としてますますその輝きを増していくよう、不合理な選挙制度を正しつつ、たとえ定数が2でも1でも、国民の選択が狂わずに日本共産党に向けられる、そんな日が来ている、としきりに思うこのごろです。
頑張れ! 共産党。
(2012年7月15日付「兵庫民報」掲載)