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2012年12月9日日曜日

「侵略戦争反対」:命がけのたたかい兵庫県内でも

十二月八日は、七十一年前の一九四一年、ハワイ真珠湾攻撃、マレー半島上陸作戦を嚆矢に天皇制政府が太平洋戦争を開始、侵略戦争をアジア・太平洋へ拡大した日です。

日本共産党は戦前も天皇絶対の暗黒政治の下で、「主権在民」「侵略戦争反対」を命がけで主張してきました。兵庫県内でも次のような奮闘が行われていました。これに対し天皇制政府は治安維持法により苛烈な弾圧を加えましたが、「主権在民」「侵略戦争反対」の主張は戦後、日本国憲法に実りました。


一九二七年、天皇制政府が中国山東省に出兵し、中国革命への公然たる干渉戦争にでたとき、県党は全国でも最も早く対支非干渉運動を神戸地方評議会を中心に起こし、この運動のなかで開かれた太平洋労働組合会議に白土五郎を派遣した。

中国への侵略戦争の拡大にたいして、県党は「三二年テーゼ」に導かれ、三菱などの軍需工場で反戦活動をすすめ、地域でも積極的な宣伝、デモなどを組織してたたかった。一九三二(昭和七)年七月十七日には神戸の党組織が防空演習反対のビラをいっせいに配布し、八月一日の国際反戦デーには数十人の労働者がデモを敢行した。反戦の呼びかけは兵士にむかってもおこなわれ、「十月大演習」を終わって阪神魚崎沖に結集した第二艦隊乗組員にむけて「水兵諸君に告ぐ」のビラが配られた。党姫路地区委員会(責任者、平葦信行)は姫路師団の中国への出兵にあたって行動隊を組織し、数回にわたって練兵場や営門前、姫路駅構内で危険をおかして「出兵反対、銃を天皇政府にむけろ!」のビラを配布した活動は、「聳ゆるマスト」に比すべき英雄的行動であった。

これにくらべて社会民主主義諸政党が、侵略戦争にたいして初めはおずおずと抵抗しながら、最後には公然と「聖戦」と称して協力した事実は、右翼日和見主義の階級的裏切りであり、その一部が明白な社会ファシズムに転化したことは忘れてはならない歴史の教訓である。

(「わが地方の日本共産党史(兵庫県)」(『前衛』八四年九月号)より)

(2012年12月9日付「兵庫民報」掲載)

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