記事を検索

2012年12月15日土曜日

ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟裁判傍聴記

副島圀義

大阪地裁十二月六日。ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟で、原告のHさんとNさん、Hさんのお姉さんが証言した。

Hさん(長崎・当時は七カ月の乳児)

母、兄、姉らと爆心地から約三・五キロメートルの自宅で暮らしていた。八月九日、爆心地近くにあった三菱兵器に学徒動員されていた兄が帰ってこないので翌日、母はHさんをおんぶして探しに行くが不明。なんどか探しても不明だったが、一週間ほどして帰ってきた(大ケガをして病院で手当をうけていた)。(これら被爆直後のことは、長崎在住の二人のお姉さんが証言)。その兄は定年を待たずに退職し、心筋梗塞で死去。その上の兄も前立腺がん、母も被爆後十一年、五十一歳の若さで亡くなった。脳溢血。

ずっと病弱で、十歳くらいのときに入院した記憶がある。九年前に狭心症を発症、四年前に原爆症認定申請。

Nさん(長崎・国民学校一年生)

自宅(爆心地から南へ四キロメートル)近くで遊んでいて被爆。長崎医大病院に通院していた母が帰ってこないので、十日、父に連れられて探しに行く。病院は見えたが爆心地近くの瓦礫で近づけない。十一日夜に母が帰ってきた。街が火の海で、野宿しながら山越えで帰ってきたとのこと。被爆後は疲れやすく学校もよく休んだ。湿疹や発熱もあった。縫製業を営んできたが、「休み休みの仕事」だった。

胃がんが発見され、前立腺がん、大腸ポリープも発症。再発したら手術もできないといわれ不安な日々だ。

国側反対尋問の中心点は、お二人とも、「被爆者健康手帳の申請書に爆心地近くに行ったことが書いてない」(爆心地から自宅までの距離なら放射線の影響があるはずがない)というものです。

手帳申請に、基本的には第三者二人の証人が必要となっています。「爆心地近くに身寄りを探しに行った」ということの証人を得ることは難しいが、自宅が手帳取得できる地域にあれば、それで十分なのです。手帳取得の時に「原爆症認定の時にはたいへん厳しいハードルがある」ことを、誰があらかじめ考えるでしょうか?

多少とも被爆者施策を知っていれば「手帳申請書に書いていないから、爆心地近くに行っていないはずだ」などという質問をすること自体が恥ずかしくなるでしょうが、まさに国側代理人がそういうのです。「被爆者いじめ」を繰り返す政府の姿勢を、あらわにしたものでした。

(2012年12月16日付「兵庫民報」掲載)

日付順目次