阪神・淡路大震災でのコミュニティづくりの経験から
仮設住宅でのコミュニティづくりについて
堀内 いま、被災地では、むしろその前段階の仮設住宅などでのコミュニティづくりが課題になっているところですが、この点はいかがですか。
平野 芦屋では、浜手に大きな仮設住宅が建てられたのと、あとは地域のグラウンドなどに仮設住宅が建てられたので、市内の人がバラバラにはならず、ある程度コミュニティが守られました。
松本 東灘でも地域のグランドに仮設住宅が建てられましたが、抽選で、東灘の人が中央区の仮設住宅に入り、逆に中央区の人が東灘の仮設住宅に入るなどバラバラにされてしまいました。
そうしたなか、いろんなボランティアがきて、仮設住宅の集会所で歌う会など様々な支援を行うなかで、住民同士が仲良くなっていきました。
堀内 いまの被災地でも、私たちが仮設住宅で、青空市を開催し救援物資を広げると、そこではじめて住民同士が顔を合わせて、もともとご近所さんだった方たちが「あなた、ここにいたの?」と喜びあう場面がいくつもみられたそうですよ。
抽選でバラバラに入ったため、ご近所さん同士でも、どこに避難しているのか分らないし、同じ仮設住宅にいたことも、そこで出会うまで分からなかったようです。そこをボランティアが青空市をすることで物資の提供だけでなく、出会いの場づくりにもなった。今後、継続した支援を通してコミュニティづくりの手助けをするボランティアの役割も重要ですね。
森本 行政の役割も重要です。復興住宅のように生活援助員(ライフサポートアドバイザー=LSA)を配置するとか、芦屋市にあるようなケア付き住宅などで高齢者の見守りを行うことなどが求められます。
松本 神戸市西区にあった仮設住宅では、なかに診療所を置いたところもありました。
それと行政の最大の役割はやはり、もとに戻れる展望をしっかりと示すことだと思います。そして孤独をなくすこと。
森本 東日本の被災地では、民間の住宅を借り上げて仮設住宅として活用するなど新しい仕組みもできています。早く普通の家で暮らせるようにと、制度的にはよくなりましたが、バラバラに住まわされるなどコミュニティを守るという点では課題も残されています。
平野 コミュニティづくりも、仮設住宅などの短期的なものと、恒久住宅に入ってからどうするかの両面が必要です。
芦屋では、行政も住民もきめ細かくサポートしたので、仮設住宅で長屋らしい近所づきあいができました。住民のなかには、仮設住宅に入ってはじめて近所づきあいができたという人もいました。それだけに仮設住宅を出るときには、涙ながらに別れたものです。
ところが、その恒久住宅に入ると、鉄の扉とコンクリートで孤立してしまうんです。そういう意味でLSAなどもサポートするのですが、限界もあります。恒久住宅でのコミュニティづくりはまだまだ大きな課題です。
芦屋では、復興住宅のなかにある花壇を利用して、ちょっとした菜園をつくってその世話をするサークルができ、野菜をつくって収穫したり、その花壇のまわりで様々な行事を企画したりと、コミュニティづくりの努力がされています。また、その活動を党員が支えています。仮設住宅でも党員が世話役で随分がんばりました。
堀内 大きな津波で集落ごと流されてしまったところでは、海沿いにまた街を再建するのかどうかも、まだこれからのことですし、福島では街を再建しても放射線被害のもと、人が戻ることができるのかという点で、さらに大きな壁があって本当に厳しい道のりですが、今日、話し合った阪神・淡路大震災の経験が少しでも役に立てればと思います。
同時に、今、阪神・淡路では、民間借り上げの災害公営住宅からの追い出しで、また築き上げられてきたコミュニティが壊されようとしています。このような課題にもしっかりとりくみ、今後の被災者支援制度の改善へ力を尽くしたいと思います。今日は、ありがとうございました。 (終)
(2011年10月16日付「兵庫民報」掲載)
*連載各回へのリンク:
上、
中①、
中②、
下