阪神・淡路大震災でのコミュニティづくりの経験から
堀内 私が話を伺った長田区の新長田駅北地区の細田・神楽地域でも、3割だった減歩率を9%にまで下げさせたと聞きました。
平野 当時、復興型区画整理と呼ばれ、減歩だけでなく用地買収を行い公共用地を3割にする手法がとられました。
森本 自宅を再建するより、「もう年やから」と公営住宅に入る方もいて、その土地を行政が買い取ったんです。それで市のもっている土地がけっこうあった。そういう土地も活用して公共用地3割を確保したんです。
新長田北地区は事業がようやく昨年に終わったのですが、結局、借家人の方たちは戻ってこれなかった。御菅地区では半分になってしまった。もともとケミカルの工場地帯だった地域で、そうした工場が撤退するとそのまわりの労働者などの家が建ちません。長屋だと大家が再建しないと、住んでいた人たちは戻れません。
長田では、こうして商店、市場がなくなってしまって、空き地がまだかなり残されています。本当に人が少なくなったというのが、地域の人たちの実感です。
元住んでいた人が戻りたいとの強い願いを、かなえられなかったことが、コミュニティの破壊、そして後の孤独死の大きな原因となりました。
堀内 長田の細田・神楽地域では、もともと自治会のないところで、一からまちづくり協議会をつくり、借家が大半なので地主さんとの合意が必要になりますが、東京在住など多くが「不在地主」だったそうです。名簿を整理して、資料を全国に散らばる地主さんたちに郵送し、合意を得ていく作業は本当に大変だったと聞きました。
神戸市住宅供給公社が施主となって、18%の公的助成を受け、共同建て替えが実現し、半数近い世帯が元に戻ることができた例もあったということですが、地域全体でみてもやはり半数は域外に出ざるをえなかったそうです。
平野 行政サイドから事業計画が出されるときに、それに住民がどう判断して受け入れるのか…まち再興協議会の代表の方が、教訓として真っ先に言われたのが、「現実にたって理想をみる必要があります」という言葉でした。現実というのは、被災して家がなくなり、戻りたいという強い思いのことです。理想というのは、この場合、区画整理事業ですが、単純に区画整理事業をとんでもない制度だというところから出発してしまうとうまくない。そうではなくて、「戻るためにはどうすればいいのか」を第1に考えて、そのためであれば区画整理事業も利用するということを強調されました。
神戸市長田区鷹取東第1地区
借上げ災害公営住宅が地主の再建、住民の復帰助ける
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借上げ公営住宅(右のタイル張りビル、左中ごろの白いビルなど)が
建ち並ぶ鷹取東第1地区=2011年10月1日
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森本 それは、長田区の鷹取東第1地区でもそうでした。ここは全部燃えてしまった地域ですが、長田区内でも一番早く事業が終わりました。街の人たちが、「いかに早く再建するか」、「区画整理になったけど、どう再建するのか」という思いでがんばりました。
長屋が多く、地主さんと住んでいる人が違うというむずかしさがありましたが、市の支援として、地主さんが再建した住宅を、災害公営住宅として借上げたことで、地主さんも再建できたし、住民の方も元に戻れました。地域には市営住宅はひとつも建てていないのですが、民間借上げで補完したのです。
平野 まち再興協議会の方が教訓の二つ目として指摘されたのは、専門家の意見をもらうことです。先程も東灘の例でありましたが、コンサルタントには行政から送り込まれてくる人もいますが、それだけに頼らずに、住民自身が専門家を味方につけ、知恵を借りるということです。
そして3番目には、住民同士の連携に一番苦労したと言われました。その秘訣はお互いに理解しあうことを1番に置くことだと。住民同士、利害や意見が食い違うことはたくさんおこります。そのときに、それを対立にもちこまないで、どう対応していくのか。難しさもあり、すべてきれいにすすんだわけではありませんがその姿勢が大事だと思いました。
(つづく)
(2011年10月9日付「兵庫民報」掲載)
*連載各回へのリンク:
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中②、
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