Web版の発行はしばらく休止します

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2011年8月7日日曜日

党勢拡大大運動目標に「兵庫民報」読者拡大も

「兵庫民報」読者500人増で
採算点突破を

第71回兵庫県党会議決定

7月は残念ながら、6増・24減で差し引き18人の後退。
取り組み自体わずかです。8月から必ず前進を!


(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

東日本大震災救援物資募集中

お米、ミネラルウオーター、野菜(ある程度日持ちのするもの)、石鹸、洗剤、タオルケット、バスタオル、タオル、夏〜秋物衣料など

お近くの日本共産党事務所、県委員会へお寄せください。


原発・エネルギー問題 近畿・福井交流会議

若狭原発撤退・住民の安全へ 力あわせとりくもう


原発撤退、自然エネルギーへの転換、若狭原発群(十五基)の危険から住民を守るため力を合わせようと七月二十八日、「原発・エネルギー問題 近畿・福井交流会議」(日本共産党中央委員会主催)が京都市内で開かれました。近畿と福井の合同会議は初めてで、近畿二府四県と福井県の地方議員、党府県委員会の原発問題担当者ら約五十人が参加し、活発に討論しました。

党中央政策委員会の寺沢亜志也事務局長が「原発撤退提言」(6月13日発表)の特徴を報告。「提言」は①原発の「異質の危険」など、原発からの撤退の論理を明確にした②「安全神話」の犯罪性、異常さを告発することで、「ウソの政治」を暴き、新しい「安全神話」を許さない力になっている③五十年にわたる論戦とたたかいの蓄積の上につくられた―などを明らかにし、原発からのすみやかな撤退の一点での共同、安全を守るなどの緊急要求を重視し、広い連帯をつくるなどを強調しました。

福井県の佐藤正雄県議が、原発撤退を求める意見書の可決、首長の「脱原発」表明など立地県での情勢の変化を報告し、若狭湾の原発をなくすため近畿各府県の党・民主勢力と連携を進めたいと語りました。党国会議員団近畿ブロック事務所からは、若狭原発群が活断層の巣に立地し、老朽原発が過半数、近畿一千四百万人の命の水源・琵琶湖から三十キロ圏にあるなど特別の危険性があり、最大の安全である原発撤退へ近畿が運動の先頭に立つことを強調しました。

討論では、原発意見書ポスターを一千六十人の賛同で作成(滋賀県湖南地区)、原発撤退意見書を全会一致で可決(京都府綾部市)、原発立地阻止のたたかいが今に生きている(兵庫・但馬地区、和歌山)など情勢の大きな変化と運動の前進が語られました。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

兵庫県内になぜ原発はないのか

日本共産党と住民のたたかいの歴史にいま、光を

南光勝美(元党西播地区委員会副委員長)

福島市郎『革新の旗をかかげて』
四月の姫路市議選の中で一冊の本が話題になった。一九七六年発行の『革新の旗をかかげて』である。著者は日本共産党から衆院旧兵庫四区に立候補した福島市郎さん。(編集は私と岡村祐策氏)

三月十一日に発生した東日本大震災・福島原発事故がこの本に脚光を当てることになった。一九五〇年代末からの兵庫県内の原発建設の動向と、それを阻止したたたかいの歴史がこの本に記されていたのだ。

私も本棚に埋もれていたこの本を取り出し、読み返し、あらためて福島さんの先見の明に驚くとともに、党議員団の役割、住民運動の重要さを痛感した。市議選での個人演説会での弁士に名乗りでて、この歴史について四カ所で話をしたが、メモをとって熱心に聞いてもらい、「そんな歴史があったのか。はじめて聞いた」など、大きな反響があった。

選挙後の六月には朝日新聞から取材を受けた。「なぜ私のところにまで来られたのか」と記者に問うと、「兵庫県にはなぜ原発がないのか、建設の動きがなかったのかを調べることになった」との答えであった。香住町でのたたかいについては党但馬地区委員会を紹介した。

安全神話ふりまいた「神戸新聞」

1960年12月15日付『神戸新聞』1面
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『革新の旗をかかげて』には「問題をいっきょに表面化させたのは一九六〇年十二月十五日付の神戸新聞の報道であった」と紹介されている。その記事の細部を知りたいと思い、姫路市立城内図書館で閲覧した。

一面の左半分・九段にわたる大きな記事であり、「関電原子力発電所/御津町が最有力地/38年10月に着工/来年から用地交渉」の見出しの下、本文では、計画の概要や御津町を最適とした理由を報道している。

「解説」は見出しこそ「地元へは慎重な構え」としているが、「播磨工業地帯とくに赤穂地区の発展を考えれば、設置地点としては妥当」と主張している。

1960年12月15日付『神戸新聞』11面
ダルブクリックすると拡大して読めます
また、外国の例をあげ、「住宅地または工場群の真ん中に、原子力発電所が建設されている例が少なくない。原子力学者などの専門家が『絶対に放射能の被害はない』と保証すれば、付近の住民はいたずらに設置反対を叫ばない。『(略)外国人の方が不思議なほど合理的な考え方をもっている』(平井電発副総裁)。このことは冷却水の使用にもいえる。(略)外国では下流でこれを飲料水に使っている」と安全性を強調している。

こうした動きに対し、御津町、家島町、南淡町、香住町などで反対運動が展開され、『革新の旗をかかげて』に記されているように、どこでもその先頭に日本共産党と党議員が体を張って住民とともに奮闘している。

今、これらの歴史と事実を、一人でも多くの国民に語り、広げていかなければならないと思う。


(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

救援ボランティアレポート(第4回)福島県いわき市

支援の隙間埋める課題も
日本共産党兵庫国政委員長 堀内照文

保育所での側溝除染作業
日本共産党兵庫県委員会第四回救援ボランティアは、神戸、尼崎、淡路、丹波、姫路などから総勢九人で七月二十九日朝神戸を出発し、三十、三十一の両日、福島県いわき市内で活動し、八月一日帰神しました。

一日目は全員で、いわき市立四倉保育所の側溝の除染作業。二日目は同保育所の雨どいの掃除と、雇用促進住宅へ聞き取りの二手に分かれて、活動しました。
いわき市内の現在の放射線量は毎時〇・二マイクロシーベルトですが、四倉保育所では、側溝で毎時三・五六マイクロシーベルト、かき出した汚泥は毎時四・三八マイクロシーベルト、雨どいにいたっては毎時十七マイクロシーベルトもありました。マスクや手袋、雨がっぱなどで防護をしながら作業を終えると、値は毎時〇・二マイクロシーベルトにまで下がりました。

雨どいの除染作業
土日でしたが、所長さんや保護者会会長さんらがかけつけ、「子どもたちを外で遊ばせてやれない」「土砂の捨て場がなく、除染作業がすすまない」などの不安を語るとともに、「わざわざ遠い所を本当にありがとうございます。こんなにしてもらって…」と保護者の方から涙ながらに喜んでもらえました。
「津波で流されたけど、何とか脱して助かった」「原発爆発直後は、妻と娘をタクシーに乗せ千葉まで避難させた」など、雇用促進住宅では被災当時の生々しい体験が語られました。そして、当座の生活資金、商工業再建への支援制度の拡充などの要望が出され、病人をかかえたお宅では、救援物資の要望も出され、手配しました。

なかには、「避難先の神奈川県で三月末に生まれた子です」と乳飲み子を抱えた若いお母さんも。家屋被害はないが放射能汚染の危険から避難されている世帯については、現行では何の支援対象にもなりません。そうした“隙間”をいかに埋めるかも、今後の重要な課題です。

雇用促進住宅には抽選で入っているものの、久ノ浜や豊間といった同じ地域の被災者がある程度まとまって入居しており、「孤立している人への支援が必要」との声がある一方で、元のご近所さん同士が集まってお茶を楽しんでいるお宅もありました。久ノ浜の商店街は、小学校の校庭での仮設店舗が決まっており、再スタートの一歩を踏み出そうとしていました。まだ地震、津波と火災に原発事故で壊滅的な被害を受けた地区全体の復興の計画も、再建の目処もたっていませんが、明るいニュースでした。
また、行動のなかで、「東電や政府関係者は一度ここへ来て寝泊りをしろと言いたい」「民主党もひどいが、もともと原発を推進してきたのは自民党ではないか」「その点、共産党のみなさんはこうして足を運んで要望を聞いてくれる」「お宅がつくってくれた支援制度をまとめた冊子は役に立った。会社の従業員にもコピーして渡した」と、原発災害にたいする政治への怒りや党への期待を語ってくれた男性が、「しんぶん赤旗」日曜版を購読してくれることにもなりました。

お盆明けには第五回ボランティア派遣を予定(8月19日=金=朝出発~22日=月=夜帰着)。引き続き支援を強めていきたいと思います。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

原水爆禁止世界大会へ青年がプレ企画

原発ゼロ、核兵器ゼロの声—兵庫から世界に


兵商連青年部協議会、民医連ジャンボリー実行委員会、民青同盟などの主催で、原水爆禁止世界大会の兵庫青年プレ企画「原発ゼロ‼ 核兵器ゼロ‼ ゼロコネクション」が七月三十日、神戸市中央区のまちづくり会館で開かれました。

被爆者の千葉孝子さんの体験談や、神戸大学工学部の金持徹名誉教授の、「『被爆』と『被曝』」と題した講演を聞いた後、参加者でグループディスカッションをおこないました。

学生グループの討論では、「被爆者の方の話で、子孫まで影響すると聞いてあらためて原発・放射能の怖さを感じた」「ボランティアで福島にいったりして原発に興味もった。被爆者の方が、原発の推進を許してきたことへも責任を感じていることに心うたれた」などの感想とあわせて、「核兵器は本当になくせるのか?抑止力も必要じゃないか」と議論。世界の平和の流れなども紹介し、世界大会でその流れにふれようと交流しました。

集会後は、元町から三宮まで元気にパレード。「原発いらない」「核兵器いらない」「太陽光がいいね」「風力いいね」「一緒に歩こう」などと練り歩くと沿道から「がんばれ~」と声がかかり、携帯電話で写メをとる人もいるなど大きな注目を集めました(写真)。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

党東灘・灘・中央地区 青年支部のつどいで入党

子育て交流しながら学べる

日本共産党東灘・灘・中央地区の青年支部は七月三十日、「自然エネルギーを考えよう」と、つどいを開催し、青年ら九人が参加しました。

支部では、原発事故をうけて、放射能への不安も率直にだしあいながら、つどいを計画。この日に向けて、不破パンフなどの学習や、「どんなエネルギーがいいですか?」とボール投票宣伝(写真)などもとりくんできました。

子育て中のメンバーのために居住支部の力も借りて、「託児所」コーナーをもうけ、じっくり学べるように工夫しました。

つどいでは、廣岡豊・神鋼火力発電公害問題灘区連絡会事務局長が、プロジェクターを使って、原発の問題点、自然エネルギーへの展望を、ドイツの例なども交え、語りました。

参加者のひとりOさんは、支部のメンバーと児童館で知り合い、子育ての相談をするなかで仲良くなり、今回出席しました。Oさんは、「原発の問題点や、自然エネルギーへの展望がよくわかった。灘区に火力発電があって大気を汚染していることにもびっくりした」「子育ての悩みも交流しながら、こんな勉強ができるのはいい」とすぐに入党を決意しました。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

三田市議補選:長尾明憲氏初当選

日本共産党市議団の値打ち訴え

長尾明憲氏
三田市議補選(改選数三、立候補五人)は七月二十四日、投開票が行われ、日本共産党の新人・長尾明憲氏(33)が三位で当選しました。

長尾氏の得票は五千四百一票、得票率19・49%で、昨年の参院比例票三千三十五票の1.78倍を獲得しました(投票率34.11%)。

当選は長尾氏の他、みんなの党の新人と民主党推薦の新人。

日本共産党は、東日本大震災の復旧・復興、原発問題で果たしている同党の役割と三田市で市民の願いにこたえ奮闘している党市議団のかけがえのない値打ちを訴えました。

長尾氏の当選で三議席の党市議団が回復。議席占有率は12.5%。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

社会保険病院存続へ法律つくらせた住民運動

住民の会が報告集会=神戸市北区=

社会保険神戸中央病院を守る住民の会は、社会保険・厚生年金病院を公的病院として存続させる「独立行政法人地域医療機能推進機構法」の成立を受け、七月三十一日に北区のすずらんホールで報告集会を開き、五十人が参加しました(写真)。

開会にあたって田中章之会長が「みなさんの運動で法案成立、これからも医療の中身を充実させるためがんばろう」とあいさつ。来賓・祝電紹介のあと、「社保・年金病院等の公的存続をめざす全国連絡会」の大島賢幹事が講演を行いました。住民が「存続のための法案」をつくらせたことは初めてだが、条文中に施設売却の可能性がまだ残されているなどいくつか問題点があることを指摘し、今後は①売却させないための地元自治体首長・議会への働きかけ②一刻も早く法律を施行させる運動③患者・利用者の立場で地域医療を推進させるため地域協議会に住民代表を参加させること―などが提起されました。

集会には来賓として日本共産党から森本真・味口俊之両市議、民主党から向山好一衆院議員・人見誠市議、芦屋市民病院を守る会から副島圀義氏が出席。メッセージは社会保険神戸中央病院の西尾晃院長、北区歯科医師会の森鼻健史会長、日本共産党から山下よしき参院議員、金沢はるみ市議(母親大会に出席中)、民主党から井戸まさえ・高橋昭一両衆院議員から寄せられました。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

神戸市原爆被害者の会会長 松尾正敏さん

広島・長崎から66年 核兵器・原発NO!

「毎年8月上旬、神戸駅南地下街で原爆写真展をひらいている」
と語る松尾さん(72)

岡山県笠岡市で生まれ育ちました。軍医だった父の転勤で45年、広島市に移り住みました。3人弟妹です。妹は2月に生まれたばかりでした。

真っ青な空に見た落下傘

あの日、8月6日は夏休み登校日でしたが、母が寝坊したこともあって、私と弟は学校に行きませんでした。朝、弟と2人で窓から南の空をぼーっと眺めていました。真っ青な空でした。東から西へ落下傘が2つ落ちてきて、真正面で見えなくなりました。その瞬間、右後頭部に激しい衝撃を受け、フラッシュを浴びたような強烈な光を感じました。

家は爆心地から2・5㌔弱、山の中腹でした。キノコ雲が右前方に見えました。石油が燃えているような真っ黒な雲でした。しかし視界の左半分は真っ青な空のままでした。忘れられない光景です。いまでも毎年、8月6日の朝は西の空を見上げます。

日赤病院近くだった学校は丸焼け。大勢の先生や友だちが亡くなりました。岡山県大野浦に出張だった父は、列車に乗り遅れたのが幸いし助かりました。

3日後、行方不明の伯父を捜しに家族で広島市内を歩きました。収容された負傷者の名札を1つひとつ確認しました。あとで宇品にいると分かりました。

終戦翌年、家族は岡山に帰りました。私は三次市で開業内科医だった祖父の治療を受けました。そのころ、父から「被爆を口に出すな」と言われました。被爆者は偏見をもって見られていました。

私が被爆者だと公表したのは歯科医をめざし日大歯学部に入ってからです。54年3月、ビキニ環礁での第五福竜丸被曝事件に出会ったのも一因でした。

被爆者手帳は30年前に両親や弟妹、家族全員で申請しました。

神戸市灘区で歯科医院を開業しました。神戸市原爆被害者の会に誘われ、入会したのは6年前です。患者さんに小学校の同級生がいて、その人が会員でした。昨年4月、会長になりました。

被爆者は高齢化し、会員も減少する一方です。10年先を考えると心配です。被爆2世も60代70代。私のところに体調不良を相談に来られます。不安を抱える2世も親世代同様に無料で精密検査を受けられるよう、いま私たちは兵庫県に申し入れています。

世界が知った原発と核の恐ろしさ

東日本大震災がきっかけで、原子力発電の怖さ、核の恐ろしさを世界に知ってもらいました。日本の原発を推し進めてきた歴代自民党政権の責任は重大です。もっと追及されて当然です。

被爆者として、原爆医療の発展に感謝していますが、被爆体験を背負って生きるつらさを、次の世代にまで繰り返させたくありません。私たち神戸の会は、これからも被爆者の苦しみを訴え、伝えていきます。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

障害者の明日を語り合うつどい

総合福祉法へ意見交流

第19回障害者の明日を語り合うつどい(同実行委員会主催)が7月24日、神戸市医師会館でひらかれ、約60人が参加しました。

開会挨拶で石倉勝実行委員長(兵庫障害者センター副会長)は「障害者自立支援法廃止後へ新法制定議論が、私たち自立支援法違憲訴訟原告団と厚労省が昨年1月確認した基本合意通りに進んでいない」と指摘しました。

鈴木勉佛教大学教授が「障害者自立支援法の廃止と障害者総合福祉法(仮称)づくりに向けて」と題し基調講演をしました。鈴木教授は「新法を考える際の基本は障害者権利条約」と述べ、06年採択、08年発効の同条約が、フランス革命やスウェーデンのノーマライゼーション(平等思想)原理など、世界の豊かな経験がもとになり成立した過程を紹介。新法に含まれるべき論点に「商品化・市場化・営利化・財政統制の廃止」などをあげました。

シンポジウムは6人が意見を述べました。「自立支援医療制度は自己負担を軽減する公費負担医療制度といいながら、従来ゼロだったものが1人約5千円負担になった」(森利孝さん・人工透析患者)

「放課後支援実施は神戸市北部で1カ所のみ。生まれ育った地域で学び働き生活できるよう環境整備してほしい」(水原ひとみさん・特別支援学級在籍児童7歳の母親)

「アパート入居拒否や介助犬の入店拒否など、社会参加したくても整備はまだまだ不充分」(杉本勝恵さん・視覚障害者)

「災害では聴覚障害者が置き去りにされてしまう。日常生活の中で法的責任整備が必要だ」(小林泉さん・聴覚障害者)

「命を守ってくれている通所作業所が、成りたつ報酬単価に、専門性に見合った職員給与にしてほしい。健常者も障害者も同じ命」(田中昌子さん・重度知的障害児の母親)

「65歳を超えると介護保険優先になる。自分でケアプランを組めない、障害に合った車椅子が使えないなど、不便が多い」(原静子さん・車椅子利用障害者)などの発言がありました。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

ひょうご福祉ネットワークが総会

災害援護資金特例は成果

ひょうご福祉ネットワークの第16回総会が7月30日、神戸市総合福祉センターでひらかれ、相談活動ボランティアら10人が参加しました。

同会は阪神・淡路大震災直後から被災者相談を始め、現在も神戸市内5カ所で巡回相談を毎月実施。昨年度の相談総数は80件。一昨年より2割減ですが、内容は健康問題や生活苦など深刻化しているといいます。

活動報告で、元ケースワーカーの正津房子さんは「案内ビラをにぎりしめ相談に来る人が印象的。近況を伝えに毎回顔を出す人もいる。炊き出しのカレーや豚汁も好評」と述べました。

方針として①毎月の巡回相談と被災者懇談会の案内をより多くの人に②市や県、国に被災者の実態を伝え対策強化をはかる③東日本の被災地との交流―などを確認しました。

意見交換では「災害援護資金は、残念ながら東日本限定だが、保証人をつけると無利子になり、返済期間延長などの特例が認められた。16年の運動が実った」「借り上げ住宅問題で神戸市は強硬姿勢を崩さない。大きな運動にしていこう」などが話し合われました。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

第44回兵庫県平和美術展

東日本の被災者に希望送る絵や立体

平和美術展の作品を熱心に鑑賞する来場者
第44回兵庫県平和美術展(兵庫県平和美術家協会・同展実行委員会主催)が7月28日から6日間、兵庫県民アートギャラリーでひらかれました。

平和への熱い思いを表現した絵画や書、彫刻、写真、パッチワーク、絵手紙などの作品が会場いっぱいに展示され、連日多くの来場者で賑わいました。

吉田利秋さんは「九条」の題で「変わってはいけないものがきっとある」ほか自作川柳を書で出展しました。

岩田敏明さんは、東日本大震災復興をテーマに「故郷が消えた」「絶望に光を」「私は生きる」など連作6点を日本画、版画、オブジェ、ファッションデザインで表現。「被災しいまも困難を強いられているみなさんが、わずかずつでも前に進む希望を表現したかった」と話していました。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

全国定通教育学習交流集会

日本高等学校教職員組合の全国定時制通信教育学習交流集会が7月29日と30日、神戸市でひらかれました。初日の開会全体会には教師や保護者ら約130人が参加しました。

雨松康之兵庫高教組委員長が挨拶。「定時制の教育条件整備や教師の労働条件改善が必要。しかし県教委の政策はまったく逆」と強調しました。

反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが「1人ひとりを大切にした復興に向けて」と題し講演。「中退による学校との切れ目が社会との縁の切れ目にならないようサポートが重要。学校は最後の拠点。年間自殺者13年連続3万人が、あたりまえの社会ではないことを子どもたちに伝えたい」と訴えました。

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

ひなたぽっころりん(473)


(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)

観感楽学

民主党の事業仕分けで「世界一が必要なのか」と指弾された神戸の「京コンピューター」ですが、一部稼動ですでに世界コンピューター格付会議から「世界一位」の評価を得ています▼「京」とは一億の一億倍のことで、想像のつかない速度で計算をするスーパーコンピューターです。これに膨大なデーターを投入して各種のシミュレーションが可能になります▼完成にはなお一年余かかるようですが、多様な用途での利活用が予定されています。「台風の進路予測」とか、地震が起きたら瞬時に「津波を含めた被害」が予測できると言います▼いま世界で競争している「抗インフルエンザウイルス薬」の開発で先駆できるとか、個人のゲノム(全遺伝情報)の解析が早くなり、医療の進歩にも大きな期待がかかります▼ポートアイランドにあるこのスパコンは、理化学研究所が設立した「計算科学研究機構」が管理運営しますが、「利用推進協議会」が設置され、民間の大企業がずらりと名前を並べています▼このスパコンが産業分野で活用されても、大企業の金儲けのためではなく、国民の生命と暮らし・社会進歩に役立たされなければなりません。(TS)

(2011年8月7日付「兵庫民報」掲載)