Web版の発行はしばらく休止します

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2011年6月19日日曜日

講演会:原発問題とエネルギー政策の転換を考える

日時:6月25日(土)午後2時開会
会場:県立のじぎく会館ホール(県庁から北へ徒歩5分)
講演:笠井亮衆院議員
(党中央委員会原発・エネルギー問題対策委員会責任者)
主催:日本共産党兵庫県委員会

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

レッドパージ兵庫訴訟が控訴

良心と憲法に基づく判決求め

請求棄却の神戸地裁不当判決から2週間、レッドパージ兵庫訴訟の原告が6月9日、判決に不服とし大阪高裁に控訴しました。

控訴状提出のため神戸地裁へ入る(右から)原告の川崎義啓さん、安原清治郎さん、大橋豊さん

3人の原告、川崎義啓さん(94)、安原清治郎さん(90)、大橋豊さん(81)は、そろって神戸地裁へ控訴状を提出しました。代理人の松山秀樹弁護士、西田雅年弁護士が同行しました。支援の人たち約10人が見守りました。

神戸市総合福祉センターで報告集会がひらかれました。控訴趣意書を自ら書き、近く提出する大橋さんは「3人の被害の実態をよりいっそう明らかにしたい。連合国最高司令官、地裁判決ともに、平和と独立の大元、ポツダム宣言に反している事実を主張する。高裁でも良心と憲法に基づいた判決を求めつづける」と語りました。

川崎さんは「勝つに決まっていると思っていた。長生きしなければ。もちこたえて、がんばりたい」と挨拶しました。

安原さんは「自分は正しいことをやっているだけ。年齢的にもしんどいが、みなさんが応援してくれるから生きていける。3人だけでは闘えない」と述べました。

日弁連会長も談話発表

5月26日のレッドパージ兵庫訴訟神戸地裁判決に対し、日本弁護士連合会の宇都宮健児会長が6月3日、談話を発表。「当会が2度にわたり勧告しているとおり、レッドパージによる日本政府の責任は重大。今回の判決は、損失補償について立法府の政策的判断に委ねられていると判示しているが、政府は立法府へ何ら働きかけをしていない」とし、適切な措置を講ずるよう強く求めています。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

第2回救援ボランティア募集


6月23日夕~27日朝

  • 期間=6月23日(木)~27日(月)/23日午後6時30分JR加古川駅前をマイクロバスで出発。27日午前8時加古川駅に帰着予定。
  • 活動地域=福島県いわき市内。
  • 作業内容=民家の片付け、地域の清掃、泥・海砂除去、被災者訪問(要望聞き取り)など。現地まで往復のマイクロバス運転手も募集。
  • 費用=食費などは自己負担。ただし加古川・現地間バス運行費とボランティア保険料は党負担。
  • 宿泊=現地センター(毛布、寝袋の用意あり)。センター周辺にスーパー・コンビニ、コインランドリーあり。センター内にも簡単な調理設備。

宿泊施設(旅館・ホテルなど)の利用、別途交通機関の利用の場合はそれぞれ自己負担。
応募・問い合わせは、党県委員会☎078・577・6255、または各地区委員会まで。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

日本共産党近畿ブロック事務所が関電本店交渉

原発から撤退を

日本共産党国会議員団近畿ブロック事務所は六月十三日、吉井英勝、宮本岳志両衆院議員、近畿二府四県の地方議員らとともに、原発からの撤退などを求め、関西電力本店(大阪市北区)と交渉しました。

要望は、▽原発依存を転換し原発ゼロへの計画をつくる▽運転停止中の原発停止、新・増設しない▽過去の津波被害調査と津波対策の抜本的見直し▽老朽原発の廃止、プルサーマル計画の中止などです。

関西電力(手前)と交渉する(左から)吉井、宮本両衆院議員ら

「安全神話」固執を批判

吉井衆院議員は、「地震確率0.0%の福島原発で事故が起きた。関電は原発依存率が五割と高く、近畿の水がめ・琵琶湖は、原発が集中立地している福井と隣接している。被害が起きれば今の東電どころではない。原発は根本的にやめるべきであり、再生エネルギーへの転換を」と強く要求。関電が打ち出した15%節電については、電力会社には電力提供の義務があることを指摘しながら、データ公表を求めました。

関電側は原子力燃料サイクル部長らが対応。「エネルギーの安定供給のためには原発は必要」「電源が確保できず、冷却機能が失われても冷温停止できる」「停止中の原発の運転再開は経産大臣から安全上支障はないと言われている」など、引き続き「安全神話」に固執し、原発依存を続ける姿勢を示しました。

設計想定年数三十~四十年をこえた老朽原発について関電側が「適切に管理することで六十年間運転は可能」と述べたことに対し吉井議員は「無謀の極み」と厳しく批判、宮本議員は「安全神話」からの決別を重ねて求めました。

天正大地震(一五八六年)で起きた若狭湾沿岸の津波被害の調査については「調査方法を検討しており、まとまり次第、実施の可否を検討する」と回答しました。

宮田しずのり兵庫県議は、使用済み核燃料の再処理技術が確立されていないことを指摘して原発からの撤退を主張。滋賀県の節木三千代前滋賀県議は、「関電はこれまで何度も事故を起こしてきた。その反省に立って『安全神話』を改めるべき」と訴え。和歌山県の高田由一県議は「日置川や日高の原発計画、御坊の放射線廃棄物の中間貯蔵施設計画はやめるべき」と求めました。

堀内照文兵庫国政委員長も参加しました。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

日本共産党灘区委員会が震災・原発問題でつどい

東日本大震災発生から三カ月目の六月十一日、日本共産党灘区委員会は、「震災と原発・エネルギー問題」を考える“灘区のつどい”を開き、五十七人が参加しました。

“つどい”では、味口としゆき神戸市議と広岡豊・神鋼火力発電公害問題灘区連絡会事務局長から、福島県いわき市などでのボランティア活動が報告されました。

避難所や借上げ住宅などを訪問し、「市長も来ない、地元から出ている議員も顔を見せない、まわってきてくれるのは共産党さんだけ…」との声を聞いたこと、大きな川の橋の上で「きれいな川でしょう。でも、ここの鮎は放射能に汚染されている。そんな町で生きていかなくていけない。この思いを全国に発信して欲しいと」訴えられたことなどを紹介しました。

つづいて、「福島原発とエネルギー問題」について、くらし学際研究所の落合淳宏氏が講演。一九七九年のスリーマイルの事故を機に米国は設計指針も変更して対応しているが、日本は〇六年に耐震指針を改訂したものの、七〇年代に運転を開始した福島原発では、新たな安全基準に見直すことなく今日まで「既存不適格」のまま運転が続けられてきた、と問題点を指摘。さらに、今後のエネルギー問題について、ドイツ、スイスなどで原発を廃止し自然エネルギーに転換することを決めていること、日本でも世論調査では「廃止すべき」が多数に変化していることなどをわかりやすく語りました。

質疑応答では、参加者から「メルトダウンして再臨界は起こさないのか」「自然エネルギーの活用はどうなっているのか」など活発な意見が出されました。

「原発のことが良くわかった」と好評で、“不破パンフ”(二面に関連記事)も二十一部普及できました。

(党灘区委員会・西下勝)
(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

“不破パンフ”が大好評―「読みたい」「読んでほしい」


パンフレット『「科学の目」で原発災害を考える』(不破哲三著、日本共産党中央委員会出版局発行、百五十円)が兵庫でも飛ぶように売れています。

「(同パンフを紹介した)毎日新聞の記事を見た。不破さんのパンフはないか」など、各地の党事務所に問い合わせが相次いでいます。百冊以上活用する党支部もうまれています。「友人にも渡したい」と二冊、三冊と購入していく人も少なくありません。「(原発問題をとりあげた国会質問を収録した)『前衛』六月号を読みたい」との問い合わせもあります。

党尼崎地区委員会では、すでに七百冊以上のパンフレットを普及しています。

読んだ党員が「これはいい」と職場の同僚にすすめています。「一人に買ってもらったら隣の人にすすめないのは失礼」と、次つぎと声をかけると、七人が購入してくれました。小学校の同窓生にすすめるなど三十人、五十人と普及している党員もいます。

松村ヤス子尼崎市議は、「行政の人によく知ってほしい」と市の幹部を中心に四十五部を普及しています。

党丹波地区委員会の丹南地域支部では、同パンフのもとになった「古典教室(第四回)」を視聴。「とてもわかりやすかった。とくに日本共産党が最初の段階から安全性抜きの原発建設に反対してきたことについて詳しく紹介されていたのがよかった」「スポット演説の参考になるし、訪問したとき、これで対話できる」「みんなに読んでほしい」など感想を交流。

ふだんは会議に参加できていない党員にもパンフレットを届けることにしました。支部のメンバーが次つぎ「知り合いにも渡したい」と持っていきます。「いろんな情報が流されるなかで、もっと多くの人にパンフの内容を知ってほしい」というのが支部長をはじめ、みんなの思いになっています。
(党県委員会学習教育部・井上光孝)


(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

党救援ボランティア福島県へ

感謝のことばに元気をもらって
日本共産党兵庫県書記長・松田隆彦

兵庫県委員会は、六月九日から十三日にかけて福島県いわき市への震災救援ボランティア第一陣を送りました。

今回参加したのは県下各地から駆けつけた十三歳から七十歳超の党内外の二十一人。私(松田)はその隊長役で参加し、足かけ五日間を有志と行動・寝食をともにしました。

いわき市の状況は、先に西宮と芦屋、神戸の各市議団のレポート(5月29日付、6月5日付掲載)にもありましたが、被災三カ月目の今も困難を抱えています。

海岸近くでは、片づけや家の修理にも手がつかない単身高齢者宅が残り、とくに、瓦屋根の被害は広範に広がっており、現地では「職人さんが来てくれるまで二年待ち」という話さえ出ています。また「罹災証明を申請したが返事がない」「被災判定に納得がいかない」など行政の対応の立ち遅れも目立ちます。

私たちは現地の党組織とも連携して被災家財の片づけや、がれきの処分、崩れた塀の撤去、被災状況調査と要求の聞き取りなどにとりくみました。

私たちが使えなくなったものを、紙、ビン、木材、金属などに分別し終えると、片づけに手が着かず途方に暮れていたお年寄りの表情が急に明るくなり、ボランティア参加者も「元気になってもらってよかった」と確信を深めました。

また隣家の人が「よそからボランティアに来てがんばってもらっているだけで、自分たちの家とは関係ないことでも元気が出た」とジュースなどの差し入れをしてくださるなど、大変歓迎されました。

津波被害の大きかった塩屋崎薄磯地域、四倉地域も視察しました。犠牲者のいちばん大きかった薄磯地域では、地震前は「遠浅なので津波は心配ない」と言われていたことで住民の避難が遅れ、犠牲が拡大したと聞きました。たくさんの家が土台だけを残して荒れ野が広がり、つぶれた消防車がまだ現地に残されていました。四倉地域の海岸では打ち上げられた漁船が真っ逆さまになったまま放置されていたり、沈没したままであったりと被害の凄まじさを見せつけられました。

また、被災者の皆さんから共通して怒りと不安が寄せられたのは、何と言っても福島原発事故です。政府や東電の無責任な対応に怒りの声が上がっています。子や孫の健康を気遣い、サッカーの練習もできず、家の中でしか遊べないお孫さんのふびんを嘆くとともに、「放射線測定を全地域でやって欲しい」「測定器を区長に提供して、こまめに測定すべきだ」との要求もあります。日本共産党が呼びかけている、原発からの撤退を求める署名にも快く応じてもらえました。


ボランティアの皆さんは、被災者からの感謝の言葉に逆に元気をもらいながら、献身的に奮闘しました。早々と二週間後の第二陣派遣(別項参照)に再度の参加を表明される方もありました。参加者の皆さんにこの場を借り、あらためて感謝申し上げます。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

県議団が宮城県訪問

「地方行革」の間違い浮き彫りに
 日本共産党兵庫県議・宮田しずのり

日本共産党兵庫県議団は、六月一日から三日の日程で、東日本大震災の被災地・宮城県を訪問しました。まず十六年前の阪神・淡路大震災とも違う、被害のすさまじさを感じました。見渡す限りのがれきの山、ぐちゃぐちゃになった車のかたまり、家々、鼻につく匂い。

同時に、地元の共産党議員団、役所の職員の懸命な活動を見て、被災者といっしょになって悩み、活動し、政治を前にすすめるために全力をつくした経験は、共通のものだと感じました。

兵庫からのさらなる支援と、「地方行革」などのまちがった方向を転換する必要性をあらためて強く決意しました。

党宮城県議団長と

「水道、電気などライフラインが復旧していないところも多い」「まだまだ被災者救援に全力をつくさねばならない」―一日に懇談した横田有史宮城県議団長の話が、被災地の現状を物語っていました。

兵庫県は、被災地のなかで宮城県を担当し、被害の大きな石巻市、南三陸町、気仙沼市の三カ所に現地支援本部を置いて、県や市町の職員を応援派遣しています。

保健師などの専門職が力を発揮

兵庫県は、三月二十二日からローテーションを組んで現在まで十二陣の応援をしていますが、特に、避難所や自宅避難している被災者を訪問し、直接、健康状態の相談にのったりしている保健師の方々は、地図を頼りに家々をくりかえし訪問するなど、救援の最前線でも奮闘していました。

自治体合併や公立病院減らし影響

石巻、南三陸、気仙沼もそうでしたが、宮城県には最近合併した自治体が多く、以前全体で七十一あった自治体が三十五にまでなっているそうで、「旧町長がいなくなって、連携がうまくいかなかった」との声も聞かれました。

また、三十六名の町職員が亡くなった南三陸町では、五月三十日にやっと電気が復旧し、仮設の役場で仕事をつづけています。

ここでは、地元の公立志津川病院が被災し、仮設で診療所を開いていましたが、公立病院減らしで休止した隣町の診療所を間借りすることになったそうです。

これまで政府がすすめてきた「民間任せ」「地方行革」の政策の間違いが浮き彫りとなっています。

漁協などと「一万年前から知っているような関係」に

宮城県知事は、企業参入の水産特区や復興増税を主張し、復興計画も、被災地の住民に建築制限をかけ、東京のコンサルタント(野村総研)まかせという、被災地の知事のなかでも特に被災者無視の姿勢が顕著です。

そのなかで、「漁協や農協との様々な協力・共同が広がっているのが大きな希望」「まるで一万年前からの知り合いのように急速に通じあっている」(中嶋廉宮城県政策委員長)との話に、感銘を受けました。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

いきいき署名・子ども署名を県へ提出

日本共産党の兵庫県委員会と県議団は六月十三日、医療費の無料化や少人数学級を中学三年生まで実施することや、保育所増設と保育料引き下げ、中学校給食の実施を求める「子ども署名」(五千三百五十筆)と、お年寄りの医療費の負担軽減・無料化と介護保険料・利用料の軽減と国保料引き下げのための助成を求める「いきいき署名」(七千七十五筆)を兵庫県知事あてに提出し、その実施を求めました。





写真:ふたつの署名を提出する日本共産党県議団と堀内照文兵庫国政委員長

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

新婦人が「原発ノー」署名行動とパレード

原発から自然エネルギーへ

東日本大震災から3カ月の6月11日、新日本婦人の会兵庫県本部(岸本友代会長)が「原発ノー! 自然エネルギーへの転換を!」と呼びかける署名行動・パレードを神戸三宮でおこないました。各支部から約70人が参加しました。

センター街東入口で「守ろう自然、守ろう子ども」「安心安全な未来を子どもたちに」などと書いたプラカードやタペストリーを手に、原子力発電からの転換を求める署名を呼びかけました。岸本会長らが「いまこそ核兵器も原発もない平和で安全な世界を。原発ノーの声を一緒にあげましょう」と訴えました。

神戸市兵庫区から買い物に来た40代の夫妻は「福島の原発事故は心配。子どもたちに何を残すのか真剣に考えたい」と話していました。愛知県から遊びに来た20代男性4人組も「大切な問題」と署名しました。制服姿の海上自衛隊員も足を止め署名。「北海道泊や福井県大飯の原発近くに友人がいる。大変気がかりだ」と語りました。

新婦人の会員たちは大丸前までパレードしました。垂水支部の稲毛雅美さん(35)は3歳と5歳の子どもの母親です。「エネルギー問題はむずかしいけど、しっかり勉強したい」と話しています。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

東園田九条の会6周年記念

品川正治さん講演会「この地が私の出発点」

「思い出深い東園田の地に呼んでもらってありがとう」と語る品川さん
尼崎の「東園田九条の会」(田中照夫呼びかけ人代表)がことし発足6周年をむかえ、記念講演会を6月11日、園田地区会館でひらきました。約170人が参加しました。同会はこの間、憲法9条をテーマにした講演会や学習会、映画会、駅頭宣伝を実施。地域の祭りでも毎年「九条寿司」を出店しています。

文化行事では東園田在住の播摩夏奈さんがソプラノで日本の四季の歌を演奏しました。

ことしは記念講演の講師に経済同友会終身幹事の品川正治さんをむかえました。

品川氏は「戦争と9条~私が歩んだ道」と題し、語りました。87歳の品川さんは、全損保労組の専従だったころ、東園田に住んだ経験があり「懐かしく、1も2もなく講演依頼を引き受けた」と冒頭で述べました。

幼い子どもを預け妻と大阪の関西労働学校に通い、1期生を優等で卒業。記念品がマルクス・エンゲルス全集だった思い出も披露。「私のその後の出発点が東園田」と語りました。そして「戦争を起こすのも、戦争を許さず止めるのも人間。誰がこの国を戦争できる国にしようとしているのか、誰がそれに反対しているのか」、憲法9条を指針に考えようと呼びかけした。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

第50回兵民協研究集会

子どもに確かな学力を

兵庫県民間教育団体連絡協議会(小島享会長)の第50回研究集会が6月12日、神戸市勤労会館でひらかれました。ことしのテーマは「子どもたちによりよく生きる確かな学力と平和な未来を切りひらく力を」です。約60人が参加しました。

文化行事は、とーふれんずがボブ・ディラン作「風に吹かれて」の替え歌を演奏。「♪どれだけ子どもたちを戦場へ送ればいいのか」と歌いました。

植田健男名古屋大学大学院教授が「新学習指導要領とどう向きあうか」と題して講演しました(写真)。植田教授は、改訂学習指導要領が「それまでとまったく基本設計が違う」と指摘。「国民を2つに分けて、下位7割を最低限の教育で切り捨て雇用の対象にもしない。すべての子どもに同じ教育内容を提供するものではない、と明確に打ち出している」と述べました。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

創作ダンスで被災地支援:藤田佳代舞踊研究所

「きょう生きて あしたも生きて あさっても」

第2章「ほら ね」
「私たちにできることは踊りだけ。被災地の子どもたちに観てもらえたら、とっても嬉しい」、モダンダンスの藤田佳代さんが、東日本大震災で被災した人たちに寄り添う踊りを創作しました。

第8章「竹は天をめざす」
ボランティア活動の知り合いを通じ、支援物資を送るなど連絡をとるようになった、宮城県気仙沼市舘山の児童養護施設、旭が丘学園に、DVDを送ります。録画撮りが6月12日、神戸文化ホールのリハーサル室でおこなわれました。

タイトルは「旭が丘学園のおともだちに きょう生きて あしたも生きて あさっても」です。テレマン作曲「12の幻想曲」にのせて踊り、演出・構成・振付は藤田さん。各曲に「昨日からの脱出」「花が咲く」「芽生え」などの題をつけました。

出演は、藤田佳代舞踊研究所の幼児科から研究科の65人。最年少は3歳です。短期間の稽古でしたが、みんな心ひとつに踊りました。また寺井美津子さん、金沢景子さん、菊本千永さんら7人が自ら作舞したソロを踊りました。

旭が丘学園は、家族と離れて暮らさざるを得ない18歳以下の園生約70人がいます。

録画の最後は被災地のお友だちにおくる全出演者からの呼びかけです
「とりわけつらい思いをしているに違いない人たちに、私たちの気持ちを受けとってもらえたら幸い。今後ほかの施設のお友だちにも踊りを届けたい」と藤田さんは語ります。

(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)

ひなたぽっころりん(470)




(2011年6月19日付「兵庫民報」掲載)